第13話 凶獣(2)
魔王領アガルタの中心に泰然と立つ〈
多くの趣向と技巧を交えて築かれた人間種国家の平城に比べれば、華やかさなど比べるべくもないが、無骨なれど確かな生を営々と刻んでいる逞しさからは、生命の深奥から放たれる眩いばかりの活力を、見た者は往々に感じるだろう。
それが異胚種の質実剛健な気質の基礎になっているのは疑いようがない。
〈万魔殿〉を擁する王都シャンバラの周囲もまた、断崖絶壁がどこまでも続く不毛な砂礫の大地であり、おそよ生物が生存していくには厳しい環境だった。
今、そんな王都の四方八方に広がる峡谷の中から、眩いばかりの白色の光が発せられていた。
それは〈万魔殿〉を中心として円で囲うよう連なっており、ゆっくりとだが確かな存在感を放ちながら天へと向かっている。
その道筋から最頂点たる〈天環橋〉への集結を目指しているのは一目瞭然だが、緩やかな曲面を描きながら昇る様は、さながら麗らかに咲き開いた花弁が蕾へと還っていくかのような、時間の遡行を感じさせるかの如き光景だ。
この王都を覆わんとしている『
「やはり……時間との勝負になりそうじゃな」
相変わらず空のある一点を凝視しながら、そんな事情を鑑みてエルファーランは呟く。
どうやらエルファーランには、『凶獣』とやらの出現箇所が視えているようで、そこから目が離せないらしい。……らしい、というのはユディトが直接そう言われたからではなく、周囲の話を拾ったからに過ぎないが。
厳しい表情を崩さない魔王少女の手には、豪奢な造りの黄金色の錫杖が握られていた。
何かしらの儀式用なのか、意味深で細緻な彫刻が掘り込まれた意匠の杖の先端には、拳大の透明な宝玉が埋め込まれ、淡い白の光を発している。滾々と湧き出る光の性質が、展開している結界と極めて似ていることから、深い関連性を思わせて止まない。
事実、エルファーランの杖『煌杖アルマデル』は、『魔王』を継承する際に共に受け継がれるアガルタの秘宝の一つである。
王都を覆う結界たる『消散帷帳』並びに『
煌杖は使用の際に要求される『星灼』が膨大すぎて、この世界の全種族の中で高い水準を維持している異胚種、その中でも『魔王』以外には扱えない。
仮に人間種がこの杖を起動させようとした場合、体内の星灼を奪い尽くされて死滅する、という凄惨な結末しか待っていないという。
所有者の『星灼』を貪って超常を顕す、という点では人間種の『
なんにせよ、杖から発せられる光が淡く明滅を繰り返しているのは、順当に稼働しているからなのだろうが、それを繰る少女の面に余裕が見られないのは、経過が芳しくないことの顕われであった。
「シエルよ。民の避難はどうなっておる?」
「市民の避難は恙なく進んでいる、とのことです。ただ一部の区画で騒ぎが起こったようで……既に鎮圧され、首謀者を拘束しました」
空を見上げたまま繰り広げられる主従の会話。忠臣シエルは眼下に広がる王都のことを報告していたが、ここに伝令の姿がないことから、彼女は先程用いていた『影の網』で、随時最新の報告を部下より受け続けているのだろう。
避難が順調なのは寧ろ吉報なのだが、しかし両者は厳しい表情を崩さない。
「……そうか。今回のことは、
「かしこまりました。魔王様のご厚情にその者も感謝することでしょう」
「とんでもない。今回の件の責こそ、妾が負わねばならぬ」
「ですが、それは――」
杖を持つのとは逆の手で自らを抱き締めたエルファーランは、呻くように呟いていた。
何かの痛みに耐えるかのような声韻にすかさずシエルが異を唱えるも、エルファーランは頑として聞き入れようとはしていない。
重ねられる応酬の根底には、主従を超えた確かな信頼が見え隠れしていて、余人の入り込む余地がなかった。
故に、周囲は口を挟めず。ただ黙ってそのやり取りに聞き入るだけ。
だが――。
(……綺麗だよねえ。オーロラみたいだ)
殺伐とした空気が肌に痛い場に在りながら、現実感に乏しいこの幻想的な風景を目の当たりにしたユディトは感嘆を零していた。
眼下より昇る朧な光は壮麗で、とても美しい。
嘗て地上よりも遥かな上空で、臨海都市の営みの息吹を感じさせる耀きを見たことがあったが、それに近い雄大ささえ感じるではないか。
よくよく見れば、白きオーロラに先行するように五層の、淡く煌いた粒子が霧状に広がっていて、更に目を惹くのが、〈万魔殿〉から遠く離れた場所より屹立する八基の光の柱である。
柱そのものが赤、橙、黄、緑、青、紫、藍、そして白といった色彩を帯びて、誘蛾灯の如き蠱惑的な輝きを放ちながら、確かな存在感を世界に主張していた。
眼下の光景が何を意味しているのか。エルファーランの指示をシエル配下の者達が的確に実行している、ということは明らかだったが、異邦より流れてきたユディトとイヴリーンにはその意図が全くの未知である。
だがだからこそ、純粋に眼前の事象を見つめることができていた。
(お前は、またそんな脳天気なことを……)
(だって綺麗でしょ?)
(……まあ否定はしない。確かに美しい光景だが――これは)
(イヴ?)
相変わらずの緊張感のなさで辺りを眺めながら、呑気にイヴリーンと念話をしていたが、不意に彼女が考え込むように黙ってしまった。
何回か呼び掛けてみても反応がないことから、相当深く思惟に浸っているのだろう。各神器からの情報精査に意識を大きく割いているのかもしれない。
そうなるとユディトにはすることがなくなってしまい、ここでようやく自身を取り巻く現状を思い返す。
「カリオン君、カリオン君」
「く、君!?」
「エルファーランさまは答えてくれなかったけど、結局何が起こっているんだい?」
まともに言葉を交わすのは初めてだが、友好的な雰囲気で柔和に話しかけるユディト。
実にほほえましい呼び方であったが、そんな風に呼ばれたことがなかったのか、カリオンは目を白黒させるばかりだ。
しかしその戸惑いは当然のことである。
ユディトの双眸に載った感情の色彩は、つい先刻自分を殺しに掛かってきた者へ向けるようなものではない。カリオンとしても、一度殺意を向けて攻撃を仕掛けた相手から、友好的なものを返されるとは思っていなかった為、呆気に取られる他なかった。
それに加え、ユディト自身の状況が状況である。
シエルの『影の路』とやらにいきなり呑み込まれたユディトは、何かに引っ張られるような感覚に襲われたかと思えば、気付けば〈万魔殿〉の屋上庭園らしき場所に立っていた。
ほぼ鉛直上に〈天環橋〉が見えることから、あの場所から真下の岩城の屋上部に強制的に転移させられた、ということになる。
ユディト自身、行き先がイヴリーンの元のみ、という極めて限定的な空間跳躍を行使できるので、今回の転移現象など珍しくもなんともなかったが、自分の意思で行うのと、他人が行ったものに巻き込まれるのとでは随分と印象も感覚も違う。
厳密には術理も課程も全く別種の事象なのだが、それ故の新鮮さに一瞬だけ意識を囚われてしまい、その刹那を狙って行動を起こしていたカリオンと彼の仲間達によって包囲されてしまったのだ。
……ちなみにイヴリーンは、この屋上庭園とも呼ぶべき場所に着いた時点で離れ去っていて、今もこうしてこちらを見下ろしながら周囲を飛翔しているが、誰も注意を払っている様子はなかった。
その存在を知っているのはユディトを除けばエルファーランだけなのだから、仕方がないと言えば仕方がないのだが。
真横から喉元に剣を突き付けたカリオンは元より、人質候補だった青い法衣の女性は引き絞った光の矢を正面からユディトの眉間に狙いを定め、赤い鎧の女戦士は炎を纏った戦斧を延髄に当てている。そして濃紺髪の青年に到っては、杖より幾つもの雷の槍を喚びだしては、ユディトの頭上の宙に配置しているではないか。
つまるところ、ユディトは今、行動を牽制するよう四方からの刃による拘束によって身動きが取れない状況にあった。
しかしながら、ユディトにそれを気にしているような雰囲気はまるでない。
ある意味泰然としたその佇まいが、カリオンには異様に映っていた。
「魔王とどう話を着けたのかは知らないが、今は大人しくしていろ」
「こんな状況でそう言われても、ねえ?」
力なく両手を挙げ、一応無抵抗の意思表示を見せながら、ユディトは何となしに正面に立つ淑女然とした青の乙女に同意を求めてみる。
すると乙女は一瞬パチリと目を瞬かせたが、小さく頭を振って冷静に装い直し、僅かに浮き足立っていた気持ちを落ち着かせたのか、こちらを見据える姿勢から油断も隙もなくなってしまった。
そんな様子を目の当たりにして、ユディトも苦笑を禁じ得ない。
蹴散らすことができるか否かを問われれば可能だが、流石にこちらにも非があり彼らに対しての引け目を自覚しているだけに、現状を受け容れることにしていた。勿論打算も充分にあり、この世界のことを知るまたとない機会だと、考えたからでもあったが。
そしてそもそもそれ以前に。こちらを囲う誰しもの双眸に、魔王を攫った不届き千万な賊を絶対に逃しはしない、という決然とした意志が宿っている訳ではなかった。
いや、確実にその意はあるのだろうが、どうにも集中し切れていない、というのがユディトの感じた印象である。
目線こそこちらに向けてはいるものの、意識は常にエルファーランや展開中の結界に向けられていて、それが完遂するのをまだかまだかと焦れているようでさえあるからだ。
「皆さんの様子が、本当に切羽詰っているように見えるんですけど?」
「それはまあ……仕方がないだろう。『凶獣』がじきに現れるとあっては、誰しも平静ではいられない」
「それです。さっきから気になっていたんですけど、『凶獣』って、何なんですか?」
こちらを牽制する気概を少しも緩めず、だが律儀に説明してくれるカリオンにユディトは純粋な疑問を呈してみた。
しばらく様子を窺っていたが、どうにも現在の混乱の根底には『凶獣』なる存在があり、誰しもに意気を挫く絶望を齎しているようである。
だからこその純然な問い掛けだったのだが、それを受けたカリオンは、信じられない者を見るように唖然としていた。
「お前……本気で言っているのか!?」
「ええまあ。聞いたことがないので」
「そんな馬鹿な……」
この世界にあるだろう諸事象は、確かにユディトには知りえないことだ。
しかし常識に組み込まれている者にとってはそうではない。その辺りの大きすぎる認識の齟齬が、カリオンから言葉を失わせていた。
絶句してしまったカリオンを前に、どうしたものかとユディトが困ったように視線を彷徨わせていると、先程から押し黙っていたイヴリーンから念話が再び届く。
(ユディト。周りの結界の光だが、あの光……かなりマズいぞ)
(それは思っていたよ。なんだかさっきから肌がピリピリするんだよね。どこかで似たようなものを体験した気がするんだけど……)
(さっき『神璽アポロイア』に計測させたんだが……壊性耀光だぞ)
「はあああああああっ!? て、天使兵器と同じっ!? そ、それってマズいどころの話じゃないって!!」
思わず素っ頓狂な声を挙げてしまうユディト。
それに驚くのは当然、ユディトを囲い警戒しているカリオン達である。
「な、なんだ急に叫びだしてっ!?」
「あ、いえ、何でもないです。あはははははは」
天使兵器とは、〈アンテ=クトゥン〉の大戦末期に開発された大量破壊兵器の名称だ。『魔物』との戦争がそれほどまでに熾烈を極めていた為か、形振り構わず力を求めた結果に産み出された史上最悪の兵器であった。
技術的にまだまだ未熟で、研究の余地があまりに多い状態にも関わらず、実験的に放った一射で、当時多くの争いの火種を抱えていた小さな半島を消し飛ばしたのだ。
その結果を見て、人々が実戦投入に躊躇を覚えたのは言うまでもあるまい。
単身で埒外の戦果を挙げ続けている『イルヴァーティの勇者』ユディトの存在が、それを下支えしていたのも自然の流れというものだった。……反動で、『イルヴァーティの勇者』任せ、という風潮に拍車を掛けてしまったのだが。
(壊性耀光は高活性状態にある耀力同士が衝突し、その崩壊の際に発せられる膨大な耀力波だ。発せられる波動は物質、生命体問わず構成元素に含まれる微少な耀力さえをも著しく励起暴走させた挙句、自壊に導いてしまう)
(確かそれって、アンテ=クトゥン人にとっては最悪に相性が悪いんだよね。ほら……アンテ=クトゥン人の遺伝子って、耀術行使に最適化されているんだろ?)
(まあ、そうだな。耀術行使に最適化されている、ということは保有耀力も著しく高いことになる。故にアンテ=クトゥン人にとって、壊性耀光を任意の点に撃ち出す天使兵器は諸刃の剣以外の何者でもない。……よく調べているじゃないか)
(リベカが割と本気で実戦投入の阻止に奔走していたからね。敵を倒す為に開発した兵器の最大効率を示す対象が自分達だなんて笑い話にもならない。前線の兵士を地雷代わりにする気か、って憤慨していたよ)
(あの女の立場を考えればもっともだな)
イヴリーンとの念話の中で、不意に懐かしい人間のことを思い返すユディト。
リベカ・アークハイネとはユディトが世に現われた後、〈アンテ=クトゥン〉で新たに編成された対魔物軍の前線指揮官であり、世界最強の耀術士である女性だ。
イヴリーンを除けば自分の一番の理解者であり、自分を除けば、人々から最も怖れられていた化け物だろう。
同類としての共感が多々あった彼女であるが、最後に会ってから暫く経つ。
あれからどうしているだろうか、とその行く末を思ったが、イヴリーンが咳払いしたことで今は脇に置くことにした。今の急場を凌げれば、過去に浸るなどいくらでもできるのだから。
(そんな激烈にヤバいものを、ここの人達は防御障壁に転用しているっていうのかい?)
(どんな技術を以てして制御しているのかは知らないが、あの結界の光の性質に関しては、そうだと言わざるを得ない)
(……あれって『鏡衣アシュロン』の守護領域にも結構な負荷をかけてくれたからなあ。その所為で、大分設定を見直さなければならなくなったし、面倒臭い記憶しかないんだよね)
(それもそうだが、私はこの文明レベルの世界に、あんなものを発生させる機構が何故存在するかの方が疑問だな。いや、この世界の全てを見たという訳ではないから、一概には言えないが)
(異世界だから、そういうものだって理解するしかないんじゃ)
(帰結としてはそうかもしれんが、そこで思考を止めてどうする。お前の悪い癖だ)
事実を淡々と語るイヴリーンの口調が逆にこの上ない脅しとなり、ユディトは表情を引き攣らせるばかりだった。
そしてそんなユディトの百面相を間近で見ていたカリオンは、更なる怪訝と不審感で満たされる。
「カリオン。解放して構わぬぞ」
「だが、こいつは」
「ふざけた輩じゃと思っておったが、よもや『凶獣』を知らぬとぬかすとはな。ここまで無知じゃと、逆に清々しいというものじゃ」
呆れ混じりの言葉とは裏腹に、エルファーランが離れた場所から厳しい眼差しでユディトを見据えている。その間に割って入るようにシエルが佇んでいるのは、こちらに対する警戒からか。
「『天極粋星』の件じゃが……先程の話、真であろうな?」
「言ったとおり、理論上は可能だが実物を見ないことには断定はできん。賭けとしては分は悪くないと思うが、それを信じるか信じないか、選択するのはそちらだ」
剣呑な問い掛けに答えたのは、狙ったかのようなタイミングでふわりとユディトの頭に降り立ったイヴリーンだ。
誰が言葉を発したのかを理解した途端、ユディトに武器を突き付けていた者達に動揺が走った。
誰もが瞬時に後退して距離を取り、武器を構えたまま新たなる存在に驚愕している。魔王が絡んだ異変以外では常に冷静沈着なシエルでさえ、言葉を弄する鳥の姿を目の当たりにして目を見開いているのだから、心に受けた衝撃たるや相当なものだ。
エルファーランも先程大きく取り乱した手前、強くは出れない。
「……あくまでもこちらの選択次第とぬかすか」
「こちらは別に、この状況を投げ捨てて逃亡を図ることは容易だからな。ユディトが放っておけないと言うから用意した妥協案にすぎない」
「ふんっ。いけしゃあしゃあと……いつでも逃げられるとぬかしたが、そう上手くことは運ばぬだろうよ」
「君がさっきから空を見ているのは、それが理由かい?」
冷たい一瞥をユディトに投げ付けていたエルファーランは、再び上天を仰ぎ、手にした杖の先端を向ける。
「うむ。じきに、あの辺りの空が割れる。そしてそこから『凶獣』が現れるじゃろう」
「空が……?」
「『凶獣』とは、陽炎の獣。触れる者全ての命を貪り、こちらからの一切の物理干渉を受け付けぬ故に、討伐不能。理不尽の極みたる、この世界の厄災じゃ」
「物理干渉ができない?」
「そうだ。子供でも知っていることだぞ」
エルファーランとカリオンの真剣な表情からは、嘘を言っているようにも、こちらを脅しているようにも見えなかった。
こちらからの抵抗は意味すらなさず、ただ一方的に嬲られるだけなど、嘗ての『魔物』と同じではないか。そう思い返し、ユディトは眉を顰めた。
〈アンテ=クトゥン〉は最終的に『魔物』との戦争に勝利したが、そのきっかけを作ったのは、自分である。『魔物』が纏っていた防御障壁を解析し、それを突破する術を世界に喧伝したことで、人々は反抗に討って出ることができたのだから。
それ以前まで、世間で囁かれていた文言をユディトは思い出す。
「随分一方的で不条理ですねえ。その『消散帷帳』とやらの展開は、『凶獣』が現われるまでに終わるんですか?」
「……際どいところじゃが、何とか――っ!? 馬鹿な、早まったじゃと!?」
突然ビクリとしてエルファーランが空を見上げる。
立ち上る結界は、未だ半ば程で終点からは程遠い。
ユディトも同じように空を見るも、なんら変化の兆候など感じられなかったが、瞬く間に顔から血の気を失わせるエルファーランの様子を見て、それが事実なのだと理解させられる。
「く、来るぞっ!!」
その瞬間。
悲鳴染みたエルファーランの叫びの意味に気付き、周囲にざわめきが伝搬するよりも早く。
パリンと何かが割れる音が、遙かな天涯より轟いた。
気の遠くなるほど深く均一な翡翠色の空の一部に、こともあろうか深々と亀裂が奔っていたのだ。
その亀裂の裏側から、何かが力任せに押し付けているのか。ピシリピシリと耳を劈く幹音が大空に木霊し、皹が徐々に肥大していく。
通常の物理現象ではあり得ない現実を前にして、ユディトは目を見開いた。
「空が……割れている?」
まるで湖に張られた氷が、過負荷に耐えきれず崩壊するが如く。
ユディトの脳裏に、つい数時間前にも似たような光景を目の当たりにしたことが過ぎったが、急転する場はそれを一気に押し流してしまう。
やがて、地上に在る者の全ての視線を独占する中。一際大きな破砕音を立てて空間の一部が砕け散った。
飛散した空間の欠片はガラスのようにキラキラと陽光を反して輝いていたが、亀裂の先から零れ出した極彩色の不気味な光に敢えなく呑み込まれ。
幽かに漂う残滓を纏いながら、何かがヌラリと顔を出した。
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