第11話 再会、そして…(3)

 蹴破ったと思っていた結界が実はまだ有効なのか、上空を吹き荒ぶ風は粗暴であるにもかかわらず、この島では殆ど無風だ。

 明らかに自然とは異なる、何らかの超常の作用が働いている証左である。


 そんな中、ユディトとイヴリーンの話し声だけが朗々と響いていた。


「――とまあ、こんな感じで現在に至った、かな。僕の方の経緯は」


 無事にイヴリーンと合流できたユディトは、情報交換ということで彼女に自身の遭遇した状況を意気揚々と、何一つ包み隠さず綴ったのだったが。


「阿呆か、お前は」

「あ、阿呆って……」

「行き当たりばったりにも限度があるだろうが。いや、お前の天性の間の悪さを鑑みれば、いちいち面倒事のど真ん中に着地するのは蓋然と言えば蓋然だが……つくづく思うが、お前、やっぱり呪われているんじゃないのか?」


 開口一番、淡々と切り捨てるイヴリーンの言葉に労わりはない。

 玲瓏のような声が呆れの色しか含んでいない現実に、ユディトは愕然とする。


 確かにユディトとしても、予てより自分の間の悪さは厭というほど自覚しており、今更誰かに慰めを求める気など更々なかったのだが、長年連れ添ったイヴリーンのあまりの冷徹さに、つい少しばかり反発心が疼いてしまった。


「あのね、僕だってわざとやっている訳じゃないんだよ。そこは寧ろ、疲弊しきった僕を癒してくれるような、慈しみに満ちた言葉を掛けてくれたって良いんじゃないかな?」

「安易な慰めなんぞ気休めにすらならないのは、これまでの経験でお前も充分理解していると思ったんだが」

「そう言われると確かにそうだけどさ……いや、こんな時だからこそ、優しい言葉が欲しいって言うか」

「優しい、か。そうだな……そういう星の下に生まれたと思って諦めろ。人間、見込みのない希望を早々に切ることも重要だ」

「……そ、そんな優しい声色で言わないでくれよっ!」


 しかしながら、長い時間を共有しその性質を知り抜いているイヴリーンにしてみれば、ユディトのそんな悪足掻きにすら満たない幼稚な反発も、予定調和の範疇に過ぎなかった。


 聞き分けのない小さな子供を思い遣るような、深い慈しみに満ちた柔らかな声色で綴られた言の葉は、だが無慈悲極まりなく。


 結果。強烈なしっぺ返しを受けてしまったユディトは、疲弊した心身に更なる止めの一撃を喰らったような気がして、遣り切れない気持ちになってしまった。


「……イヴ。僕の反応を見て愉しんでいるでしょ?」

「否定はしない。私達の間で体裁を取り繕ったところで、何の意味もないからな」


 にべもない。

 消え入りそうな抗議の声もイヴリーンには届かず、意気消沈したユディトはがっくりと項垂れるばかり。


 両者のやりとりはすぐさま風に攫われ、虚空に解けてゆるりと消え去っていた。


「で、結局。この娘はなんなんだ? 人質にするくらいだから、それに見合う存在ということだろう? この地の権力者の関係者とか言っていたが」

「……うん。この地で生活している『ぜのぶりーど』の一人で、『まおー』なんだって」

「『ぜのぶりーど』か……人間を『人間種ヒュムノイド』と呼称して同列に語っているようだから、恐らくは種族名、といったところか。その中の貴人だと言う『まおー』、『まおぅ』、『まおう』……ああ、『魔王』か」


 ユディトの説明だけではいまいち要領を得なかったので、イヴリーンは神器による言語翻訳の履歴を調べ、納得する。


 そんな彼女の、さして時間を経ずに得心がいった様子に、ユディトはパチリと目を瞬かせた。


「? イヴには理解できたの?」

「理解できるもなにも……ああ、そうか。お前は物語とか童話とか、そういった類いの書物を読んだことなどなかったか」

「童話? なんで今の流れでそんなのが出てくるんだい?」

「その手の創作話に『魔王』という存在が登場するんだよ」

「へえ、そうなんだ。改めて振り返ってみると、僕の人生ってそんなのとはとことん無縁だったからねえ」


 両腕を組んでしみじみとユディトは思う。


 奴隷出身の下働き故に、起きている時間は全て労働で、余暇など当然ある筈もない。

 加えて神器を得てからは、常に『魔物』との戦争の最前線に立っていたのだから尚更というものだ。

 行軍中にカードなどの遊戯に興じたことはあれど、流石に物語を読み耽る暇は与えてくれなかったし、寧ろ自身が一番早く進軍したがり、周囲を無理矢理引っ張っていた。


 そして、〈魔界〉に突入してからその後については……語るまでもない。


「それで、その『魔王』というのはどんな存在なの?」

「ん、俗っぽく言えば……自分に都合の良い理想国家を築く為に、日夜裏でこそこそ悪巧みをしている奴、だな」

「そこだけ聞くともの凄く安っぽいね……いや、むしろ甲斐甲斐しい努力家、なのか?」

「性格は傲岸不遜で、厚顔無恥にして気分屋。マメな奴やら脳筋やら色々いるが、基本的に超越者だ」

「うわっ、性質が悪い。あんまり関わり合いたくないなあ」

「どういう訳か黒を好む輩が多く、性別年齢に関しては、まあ物語に依って老若男女様々だ……ああ、モンスターとかいう突然変異でも起こしたような悪趣味な動物をたくさん飼っていて、色々な場所で放し飼いにしているな」

「うーん、困った飼い主だねえ。ペットの躾は義務じゃないか」


 ざっくばらんにも程がある大雑把な説明だったが、事前知識のないユディトは、いちいちなるほどと反応して頷くだけである。


 ただ、もしもエルファーランが聞いていたのならば、怒り狂うような気がするともユディトは思った。

 一緒に過ごしたのは僅かではあるが、それでもその言動の端々から、自らが『魔王』であることへの矜持が滲み出ていると感じたからである。

 そしてその憧れを追い求めるが如き貴い姿は、イヴリーンの綴る魔王像からの乖離が甚だしいと思ったが故だった。


「でも結局、物語っていうからには想像の産物なんでしょ? この子が、そういった物騒な存在だとは思えないけど」

「私も言っていて思ったが……早合点はしない方が良いな。『異言訳出』でそう翻訳している以上、多少なりともそういった意を包括するんだろうが、他にもこの世界特有の意味が含まれていると考えるべきだ。とりあえず、この娘はこの地の王である、とだけ認識しておけばいいさ」

「王様、ね」


 自分の予想をすっかり超えていた少女の身分に、ユディトはまざまざとエルファーランを見やった。


 貴人の係累どころか貴人の頂点に立つ存在である。

 悪い意味での自分の引きの良さに、ユディトも呆れを通り越して笑うしかなかった。


「で、だ。この地の最高権力者を誘拐した上で、その居城内を破壊して回ったのだから、お前の罪はそれはもう酷く惨憺たる様だろうな。弁明の機会が与えられた場合、どんな言い訳を考えているんだ?」

「……あー。多分、ないと思う」


 遠い目をしながらユディトは空々しく笑った。

 なにせつい先程、魔王本人とその臣下から死刑宣告をされたばかりである。いや、宣告どころか実際に刑を執行しにきたのだから、話し合う余地は絶望的だ。……それこそ原因を覆すか、現状を問題にしない程の事態急変が起きない限りは。


 何故か正座して肩身を狭くしているユディトに、イヴリーンは深々と溜息を吐いた。


「そもそも脱出するなら、適当に壁を蹴破って逃げれば良かった筈だ。ましてや外から兵士が雪崩れ込んできたのなら、それに便乗すればわざわざ人質を取らんでも穏便に済んだろうに」

「か、返す言葉もない」

「お前のことだから、突然の転移現象と訳のわからん状況の所為で動揺して『ヴァーヴズ』の制御が疎かになり、身体の感覚がこの世界の摂理に慣れず、城の中を穴だらけにする羽目になったんだろうが……それを抜きにしても、外に出られたのならこの小娘など解放すれば良かっただろうに」

「それはそうなんだけど……正直に言うとさ。なんだか僕、この人達のとても大事な物を壊しちゃったみたいで。それで、ちょっと気になって――」


 最初の接触の際の戦闘行動の最中。エルファーランら五人の者達からは、様々な罵声や怒号が投げつけられたが、水晶柱を破壊したことへの恨み言が群を抜いて多かったような気がする。


「そのまま逃走するのは気が退けた、か。私に言わせれば不可抗力だと思うがな」


 ユディトの話を聞く限り、この異世界に降り立った瞬間に攻撃を受けたのだから、文句の一つを言っても問題はないと思える。

 ただし、相手もこちらが現われるなど想定すらしていないだろうから、双方にとって不可抗力という他ない。


 しかしユディトの捉え方は、どうやらそれだけではないようだ。


「あれだけ怒る、ってことは、相応の事情がある、ってことだろ? 無視なんてできないよ」

「……お人好しめ」


 若干苛立たしげにイヴリーンは吐き捨てる。

 嘗ての争いで、多くの人々の生命を守る為に、率先して先頭に立ち『魔物』を屠り続けたユディトだが、そんな彼に向けられたのは、化け物という称号と、新たな脅威にまみえたという恐れだった。


 本人がいくら気にしていないのだとしても、ユディトの背負ったを思えば、イヴリーンの心中は穏やかではいられない。人の好さに付け込む輩など、どれだけ世界の垣根を越えようとも必ず存在するのだから。


 だが余程がない限り、本人の意思に背く気のないイヴリーンは、それがユディトという人間なのだから仕方がない、といつもの諦念で締めくくるしかなかった。


「話を戻すと、連中の大事な物である巨大な水晶柱をお前が『滅刃カーネイジ』で反射的に真っ二つにしてしまったことが、戦端が開かれた原因という訳か」

「おそらく、ね」


 先刻落下してきた巨大な水晶柱をどうにかするのに、神器を使ったことを思い出し、ユディトは徐に掌を見つめた。

 握っては開くその手には今は何も持っておらず、両方の手首には華奢で綺麗な腕輪が嵌まっているだけだ。だがそこには至高の刃が確かに宿っていて、その気になればいつでも携えることができる。


『皇権イルヴァーティ』を構成する三種の神器の一つで、破壊を司る『滅刃カーネイジ』。

 その恐ろしく研ぎ澄まされた刃はあらゆる物質を切り裂き、物質ならざるものを破断して、摂理や運命、因果律といったものまで問答無用で切り伏せる、らしい。

 ユディト自身はまだ完全に扱い切れていない『滅刃』であるが、それでも解析不能の障壁に守られた『魔物』を駆逐せしめたのだから、その能力は常識から冠絶していると言えよう。


 ともあれ、『滅刃』に斬れないものなどない。それが二人の共通見解だ。

『滅刃』に注ぎ込む耀力次第であるが、〈アンテ=クトゥン〉に比べて耀力のエネルギー準位の低いこの世界の水晶柱など、紙切れ同然に切断できて当然である。


 そして実際に敢行されたその事実こそが、今、二人の中で重要視されていた。


「『滅刃』の断滅等級はどう設定していた?」

「そういえば……何にも変えていないや」

「となると、それは――」






                 ※






〈魔王廟〉は、今代『魔王』が次代の『魔王』に役割を継承した後。後継者に様々な諸事象であらぬしこりを残さぬ為に早々に入ることになる、『魔王』の終の住処である。

 そこは権力中枢からの離脱の意を体現するかのように、〈万魔殿シャングリラ〉で最も中心から離れた場所に浮遊し、且つ周囲を漂う島々とは交じらず、ただ孤高に存在することを義務付けられていた。


 そんな場所の冷たい石床に横たえられてから、程なくエルファーランは意識を取り戻す。

 目を開いて起き上がるよりも先んじて思ったことは、自分が生きている、ということへの安堵だ。


 魔王領アガルタ最頂点に存在する〈天環橋〉という、冗談みたいな高さから落ちたにもかかわらず、手足の感覚は間違いなくあり、背中からは石床の冷たさをしっかりと感じられ、神経も通常だと実感できる。

 そんな自覚そのものが、自身の生存を証明しているのだから、ならば何故自分は生きている、という疑問に行き着くのは当然の流れだ。


 そして、自分がこんな目に遭っている原因に意識が傾き、自身を攫って城内を荒らし回ったあの賊が、本当に〈天環橋〉から〈魔王廟〉への跳躍を完遂させた、という驚きが沸き起こった。

 全く以って信じられないが、自分はそれを体験したことになるのだから、認めざるを得ない。


 そこまで思考が働き出すと、呼吸も自然なものとなり、起き上がって件の下手人に文句の十や二十をぶつけてやろうとも思ったが、このまま意識を閉ざしたフリをしていた方が、ユディトとかいう勇者の詐称者の情報を集められるかもしれない。

 そう機転を利かせ、エルファーランは所謂狸寝入りを敢行していたのだ。


 それでしばらく聞き耳を立てていたのだが……エルファーランは困惑のしっぱなしだった。


 魔王以外の者が〈魔王廟〉に立ち入ってはならない、という禁を清々しく蹴破ったユディトが、一人でぶつぶつと自問自答を繰り返していたかと思えば、唐突に耳慣れぬ女性の声が聞こえてきたではないか。


 涼やかで楚々とした割に粗野で横柄で高圧的な言葉繰りから、随分と偉そうで鼻持ちならない印象を受けたが、ユディトと顔見知りであるかのような気安い会話をしているものだから、仲間が潜んでいたのかと思わず目を開きかけてしまう。


 必死でそれを自制して止めることができたのだが……ともあれ、イヴと呼ばれている声の主は、ユディトに比べて遥かに理知的で話が通じそうな雰囲気がある、とエルファーランは感じていた。


(こやつら……どこの者なのじゃ?)


 盗み聞きをはじめた当初、エルファーランは、ユディトが人間種国家のいずれかが送り込んできた間者で、後から現われた声の女は、それを手引きした内通者である、と認識していた。


 しかし二人の話が進むにつれて、エルファーランの脳裏に、それは間違いかもしれないという考えが強くなる。二人の話している内容が、人間種国家群の主要国のいずれのことでもない、と思えてならなかったからだ。……もしかすると建国されたばかりの小国、とも思ったが、それはそれで魔王領の事情を鑑みれば現実的ではない。


 無数の疑問符を面に貼り付けても、何の回答も得られず。

 そんなエルファーランの困惑など露知らず、次々に耳に飛び込んでくる未知の単語の数々。

 ただ音の羅列としてしか捉えられない言葉も多々あり、いかんせん理解が追い付かない。


 混乱の坩堝に叩き落とされる羽目になってしまったエルファーランは、だが虚言と断じて聞き流すにはあまりにも意識に残る響きに、聞き耳を立てることに全意識を集中させていった。


 そして――。


(なんじゃそれはっ! そんな下らん『魔王』なんぞおるかっ!!)


 身体は微塵も動かさず、心の中で地団駄を踏むエルファーラン。

 場所も弁えず和気藹々と言葉を交わす二人によって示された魔王像が、あまりにも陳腐でふざけたものであったからだ。

 話題に上がったそれは、誤解どころか既に『魔王』に対してのこの上ない侮辱に他ならない。

 そのことに、声を大にして異議を唱えたかったが、実際にやってしまえばこれまでの自制が無駄に終わってしまうので、憤りを抑え込むことに全力を尽くす。……後で必ず文句を言ってやると心に誓いながら。


「ユディト。お前、『天極粋星ステラデウス』とやらを『滅刃』で斬った時の断滅等級は、前回のをそのまま使ったんだな?」

「うん。『天帝』を殺した時だから、色々設定していたねえ。あのクズ野郎、遍在分身だの概念操作だの、鬱陶しい小細工ばかりしてきてウザったかったから、とりあえず全部真正面から否定してやる為に、遠慮なく神器を開放したっけ」


 声に嫌悪の色を乗せて吐き捨てるユディト。その言い様から、斃した敵がどれだけユディトにとって不快な存在だったが知れるところだ。


 本当に僅かな間だが、終始柔和な口調や雰囲気を崩していなかったユディトが、こうも嫌悪感を隠しもしないのは中々に迫力があり、双眸を伏せたまま聞いていたエルファーランは思わず背筋が寒くなるのを感じた。


(てんてい? かーねいじ? 断滅、等級……こやつら、何の話を?)


 バレないように僅かに眉を寄せるエルファーラン。

 やはり二人はこちらに気付いていないのか、話は続く。


「私の記憶では、その後〈神苑エデン〉を破壊する為に変更していたと思うが?」

「あ、そう言えばそうだった。あんな大質量の粗大ゴミが、大気圏外から地上に落着したら世界が滅茶苦茶になっちゃうからって、細切れにすることにしたんだったね……結局、力が続かなくて半分くらいがやっとだったけど」

「あのゴミクズとの戦いで耀力を大量に消耗したんだ。無理もないだろう」

「でも形態を変えれたら丸ごと消し飛ばせたんだから、悔しいよ。……半分は落下中の摩擦熱で燃え尽きただろうけど、残りの半分を重力圏から叩き出すので限界だったし」

「それに巻き込まれて、我々も宇宙に放り出されてしまったがな」


 どうにも話題がよほどユディトにとって面白くないのか、言葉の端々に辛辣さが増していた。


(大気、圏外? 粗大ゴミは粗大ゴミじゃろうから……ん? うちゅう? 地上に落着して、世界が、滅茶苦茶?)


 なにやら壮大で物騒極まりない話になってきて、それに伴い胡散臭さも跳ね上がってくる。


 この世界は常に”滅び”という危険性と直面してはいるが、それを回避する術は確立していて、行使できる間は一応平穏は保たれている……いや、保たれていた、が正しい。それこそ、この賊が現われるまでは。


 だからこそ、こちらの様子に気付かずに荒唐無稽な会話を続ける二人の一言一句を、エルファーランは聞き逃すことができなかった。






                  ※






「いずれにしても、まだ交渉の余地はあると思うぞ」

「……うん。今確認してみたら、イヴの言うとおりだったよ。この断滅等級なら、単に分子間結合を破断しただけになるから、あの水晶柱が直せるっ、てことにもなるよね」

「なんじゃと!?」

「おわああああああああっ!?」


 突然のことに吃驚して飛び退いたユディトの情けない悲鳴が空しく響く。

 聞き捨てならない言葉を聞いて、エルファーランは息を潜めるのを止め、跳ね起きたからだ。


「え、エルファーランさま。き、気付いてたの?」

「そんなことはどうでも良い! それより、今の話は真かっ!?」

「ええまあ……いや、でも現物をもう一度確認してから――」

「ええいっ! 貴様では埒があかん。貴様がイヴとか呼んでおった女は何処におる!?」


『天極粋星』を直せる、という話が出ては、エルファーランも黙ってはいられない。

 何が何でもそんな言葉を吐き出した根拠を問い詰めなければならない、という気勢に押されていた。

 その顕われか、瞬時にユディトの胸ぐらを掴んで大きく揺さぶったが、返ってくるのはいまいち煮え切らない反応のみ。


 それに業を煮やし、もう一人を探してエルファーランは周囲を見回す。

 黙って聞いていた限り、どこかとぼけた感じのするユディトよりも、論理詰めて話せそうなのはイヴとかいう女の方なのだ。


 だけれども、どういう訳かこの場にはユディト以外に人影はなかった。


「い、ない?」

「狸寝入りとは、なかなか良い趣味をしているな。魔王よ」

「どこじゃ!? 卑怯者めっ、姿を現せっ!」


 どこにも人影がないにも関わらず、声だけはしっかりと聞こえてくる。

 それがエルファーランの心を余計に逸らせた。


「……はぁ。お前の目は節穴か? 目の前にいるだろうが」


 そうして声や溜息の方に目線を動かすと、困ったように苦笑を浮かべるユディトの顔と、その頭上にどっしりと構えた瑠璃色の猛禽が、値踏みするような眼差しでエルファーランを睥睨しているではないか。


 エルファーランは大きく目を見開き、紅蓮の双眸を震わせる。


「お前の目には、私はどのように映っている?」

「と、鳥が喋っておる!? ひっ……ば、化け物っ!?」


 今までの威勢など一気に吹き飛び、瞬時にユディトから離れたエルファーランの表情には、明らかな恐怖が張り付いていた。


 ユディトの頭上で異様な威圧感を放つ隼に、脅えた表情を隠しもせず身を竦ませる少女魔王。

 若干青ざめた顔色と、涙目になっているのは、本気で恐れ戦いているからなのだろうが、こうして怯懦に塗れた視線を向けられると、ユディトはなんだか自分が彼女を脅えさせているような気分になってしまい、すこぶる居心地が悪い。


「イヴ。あんまり威嚇しない方が……」

「失敬な。私はただ見下ろしているだけだぞ」

「眼とか声に迫力があり過ぎるんだよなあ、君は」

「ふん」


 やんわりと苦言を呈するユディトであったが、イヴリーンはつまらなさそうに鼻を鳴らし、未だに驚愕から脱せないでいるエルファーランを見やった。


「この程度のことで狼狽えるな小娘。貴様は魔王なのだろう? ただ人語を弄する鳥を前にしただけでその体たらくでは、下の者に示しがつかないだろう」

「……っ」

「うーん、基本的に鳥って喋らない常識があるから、そう簡単に受け容れられないと思うよ。僕も最初は戸惑ったし……あ、でもこの世界の鳥の生態なんて知らないから、一概にそうは言い切れないのか。いや、そもそも君が本来の姿に戻れば――」

「水を差すな」

「……はい」


 未だ言葉を発せずにいるエルファーランを気の毒に思い、軽く助け船を出したユディトであったが、当のイヴリーンにギンっ、と擬音が付きそうな剣呑さで睨まれて、反射的に身を縮ませている。


「どうした小娘。怖気付いて声も出せないのか?」

「こっ……小娘小娘煩いわ駄鳥がっ! 妾にはエルファーランという名前がある! 妾は異胚種を統べる魔王なるぞ!! 図が高いわっ!」

「そんなことは知らん」

「なぬ!?」


 器用に翼で両腕を組むように屹立するイヴリーンに気圧されるも、エルファーランは毅然と睨み上げる。


 が、数瞬もしないうちに、その威圧に屈してしまったのか、更に数歩後ずさったエルファーランは警戒に身構えた。いつでも魔印術を放てるように、全身に星灼を掻き集めて。


 闇色の霊光を纏い、それを充分に加速励起させたエルファーランは、油断なくユディトとイヴリーンを見据え、吼えた。


「こんな距離を跳ぶ馬鹿げた身体能力といい、言葉を弄する鳥といい、一体貴様らは何者なのじゃ!?」

「はい。先程から何度も申し上げているとおり、僕はこことは別の世界、〈アンテ=クトゥン〉の人間で、『イルヴァーティの勇者』ユディト=ヴァーヴズです」

「私はこいつの監視者の、イヴリーン=ヘルブリンディだ」

「え? なにその仰々しい肩書きは」

「お前は常に見張っておかないと、何をしでかすかわからんからな。今回の件でそれは証明されている」

「ひ、酷い」


 エルファーランの悲鳴染みた問い掛けに、律儀に応えるユディトとイヴリーン。

 不満げなユディトの異議など、当然のようにイヴリーンに黙殺されている。


 だが両者の上下関係よりも、初耳である単語に、エルファーランは目を瞬かせた。


「い、異世界? なんのことじゃ!?」

「ありゃ? 言っていなかったっけ?」

「聞いておらぬぞ!!」

「……おい。ややこしいことになっただろうが」


 イヴリーンにペシリと片翼で顔を叩かれたユディトであったが、エルファーランの想定外の反応に、ポカンとした表情を浮かべている。

 そして、眼前に立つ呆然とした少女の姿と、これまでの己が言動を思い返し、納得した。


「い、言うにことかいて異世界、じゃと!? 貴様ら、人を馬鹿にするのも大概にせよっ!!」

「あー、しまった。こうなるのが面倒だからって、異世界とかのくだりは黙っていたんだっけ。失敗しちゃったなあ」

「そんな呑気なことを言える状況ではないと思うがな……」


 思わぬ失敗に掌で顔を覆うユディトと、諦念から深々と嘆息するイヴリーン。


 だが衝撃を受けたのはエルファーランも同様で、むしろこちらの方が精神的被害が大きかったのか、その場に崩れ落ちてしまった。


「く、くそぅ。こんな、異世界から来たなどと戯言を吐く訳のわからん奴に、妾は儀を邪魔されてしまったのか……は、初めてじゃったのにっ!」


 嗚咽混じりのその発言に、ギョッとしてユディトが狼狽する。


「あ、うん、ちょっと待ってエルファーランさま。その、取り返しの付かない誤解を招きそうな表現は止めてもらえないかな?」

「初めて、ね……小娘の口から、こんなにも想像力を掻き立てるような発言が出るとは、興味深いな。ユディト、この娘に何をした?」

「痛い痛い! つ、爪がっ、頭皮に食い込んでいるって!!」


 両の羽先でこめかみをギリギリと押さえつけられたユディトは心底慌てた。

 頭上からの圧力が半端なく高まり、万力のように締め上げてくるばかりか、両脚の鋭い爪が突き刺さっているのだ。

 熾烈な破壊を齎す魔王と勇者の一撃さえ軽々防ぎきる神器であっても、イヴリーンとの接触は素通りさせているので、正直本気で痛い。


「な、何もしていないからっ! せいぜい、ここまで攫って来たってだけでっ!」

「あそこから飛び降りたのなら、それだけで充分すぎるトラウマを植え付けていると思うぞ。……まあ、どうにもそういった意味ではないらしいが」

「え?」


 ふぅ、と嘆息と共に力を抜いたイヴリーンの指摘に従い、ユディトは崩れ落ちたエルファーランを見やる。


「くぅぅ、母上よりお役目を継ぎ、入念な準備と計画の下に儀を行ったというのに……まさか、まさかもう二度と儀を執り行えないとなれば、妾は世界に対して一体どう償えばいいのじゃっ!?」


 項垂れたエルファーランは力なくその場にへたり込み、荒れる内心を表わすかの如く石床を叩いていた。

 それだけならば、打ち拉がれた少女の図そのものなのだが、振り上げた拳が叩き付けられる度に、床にビシリビシリと皹が走り、衝撃で島が揺れている。

 少女が『魔王』という特異な存在であることを思い知らされるばかりだ。


「ユディト。儀とは何だ?」

「知る訳ないだろう? 僕だって、この世界に降り立ってから間もないんだし」

「大方、お前が降り立った時の戦いそのものが儀式とやらの一部であったと推察できるが……あー、魔王よ。確認したいんだが?」

「……なんじゃ?」

「その儀式とやらには、ユディトが破壊した水晶柱が絶対に必要、なんだな?」

「そうじゃ! あの至宝を、貴様のような奴が――」

「もしかすると何とかなるかも知れんぞ」


 怒りが収まらないエルファーランを遮ってイヴリーンは綴る。

 いつまでも延々と怨嗟を垂れ流されたところで、問題が解決する訳ではないからだ。


「化け鳥め、いい加減なことをぬかすでない! 『天極粋星』は絶対に破壊できぬ物なのじゃぞ!」

「だがそれもユディトによって分断された。現実を直視しろ」

「うぐっ……」


 冷静な指摘にエルファーランは言葉を詰まらせる。


 エルファーランとて、わかってはいるのだ。事実を事実として受け容れるのは、選択する立場に在る者の務めなのだから。

 だが今回ばかりはその対象が対象で、『天極粋星』である。この世に一つしかない、”世界厄災”を回避する為の手段に必要不可欠な秘宝だ。

 大き過ぎる責任も介在しているからこそ、簡単に割り切ることなどできない。


 理性による理解と、感情による納得は、別である。


「お前が信じようが、信じまいが。この世界の理に沿っていようがいまいが、そんなことはどうでもいい。我らはこの世界の存在ではないからな。故に、この地の理で語ったところで建設的ではないだろう」

「まだそんなふざけたことをぬかすのかっ!」

「言った筈だぞ。お前の理解も納得も関係ない、と。今の今まで狸寝入りでこちらの会話を聞いていて、『天極粋星』とやらの修理についての話題で飛び起きたのだから……つまりはそういうことだろう?」


 敢えて怒りを受け止め、一蹴し、更に相手を煽るようにして、言葉を強く響かせるイヴリーン。

 その裏側に見え隠れする意図を察したエルファーランは、ユディトの頭上の麗鳥を睨んだ。


「……本当、なのじゃろうな?」

「理論上は、な。少なくとも可能性はゼロじゃない。そしてここでお前が戯言だと断じてしまえば、ゼロだ」

「…………」

「今すぐこちらのことを信じろとは言わない。お前達にはお前達の事情があるように、我らには我らの事情があるからな。だが頭ごなしに提示された全てを否定してかかるのも、些か浅慮だとは思わないか?」

「……いいじゃろう」


 厳粛な響きで染み渡る問い掛けに、エルファーランは瞑目して思考する。そして数瞬の逡巡の後、開眼した。


(……強い子だなあ)


 紅蓮の双眸は鋭く引き締められ、纏っている雰囲気には微塵の揺らぎも油断もない。

 決然と立ちイヴリーンを見上げるエルファーランの姿は、つい先程まで脅えきっていた者とは思えない、凜とした佇まいだ。

 そんな少女を、ユディトは眩しく見つめていた。


 エルファーランはきっと、納得していないのだろう。理解についても同様に違いない。そもそもとして、異世界という荒唐無稽な概念を無理矢理受け容れた感があるように思え、その内心が時化の大海のように忙しなく荒れ狂っているのだとしても、決して不思議ではない。


 理解と不理解のせめぎ合いは、未知との遭遇を体験した者ならば、誰もが必ず通る路であり、乗り越え方は千差万別人それぞれ。時間だって要して当然なのだから、すぐに受け止められる方が異質だとも言える。


 異世界転移が常識の枠内にある自分とは事情が異なるとしても、それを呑み込める胆力は、背負った何かの大きさによるからだろうか。


(これが『魔王』、なのか)


 その至高の座に即く者の本来の顔なのだろう。

 嘗ての〈アンテ=クトゥン〉で、無数の兵達を指揮する年若い指導者の毅然とした面差しを幻視していたユディトは、イヴリーンとエルファーランの話が落ち着いたのを見計らって姿勢を正した。


「エルファーランさま」

「……何じゃ?」

「僕たちがこの世界に迷い込んだ直接的な理由は、こっちもわからないんで説明できないんですけど、これまでの経緯と、僕達の身上についてはきちんと説明させていただきます。ですので、その為の時間を下さい」

「……よかろう。だがハッキリ言っておくぞ。妾は貴様らのことなど全く信用しておらぬ」

「構いません。『天極粋星』を修理することが、信用を得る為の第一歩だと心得ましたから」

「……ふん」


 間髪入れず、何の邪気もなく首肯したユディトに、一瞬毒気を抜かれたエルファーランは、そんな自分に気付いて不機嫌な表情で即座にそっぽ向く。


(なんか、この子って性格がイヴに似ているよね)

(あの女に瓜二つで性格は私だと? ……冗談じゃない。お前の目は節穴だな)


 言葉にしてエルファーランの不興を被るのも良くないので、念話でイヴリーンに尋ねてみるも、今度は彼女の不興を買ってしまったようで、頭にかかる圧力が上がった。


 やっぱり似ているじゃないか、という思いは自分の中だけに押し込めるユディト。

 何にしても、とりあえず。

 イヴリーンのおかげで、追われるだけで何の進退もない今の状況を打破する方針は打ち立った。

 後は、この名も知らぬ世界に踏み出す為の第一歩を、実行するだけである。


 揚々とする意気のまま、ユディトが改めて上空の〈天環橋〉を仰いだ時。

 世界を引き裂く悲鳴が恐々と鳴り響いた。

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