第2話:パーフェクト・ガール
「それじゃあ、夏休みの宿題を提出して下さい」
二学期の授業が始まって二日目。数学の授業の開始時に、担当教諭が言った。
生徒たちは課題を解いたノートを、座席の列ごとに最後尾から順に集めていった。坂口渉に扮したエレナも、夏休み終了直前に仕上げたノートを提出した。
「どうしたんだよ、坂口。全科目、ちゃんと宿題やってきてるなんて」
斜め後ろの席から浦田がわざわざ話しかけてきた。それは、これまでの渉であれば考えられない現象だったのだ。
(ワタルは一体どんな生徒だったのデショウ……)
エレナは内心で呆れながら、口元では笑ってみせた。
「ココロを入れ替えたのよ」
中身も入れ替わってるけどね、とは口にしなかった。
エレナは今日から、渉の口調を真似する割合を減らしている。これは、性転換して女子になったという設定だからだ。
ちなみに、彼女の女子用の制服は、伯母の紹子が調達した。近所の卒業生が住む家に頼んで貸してもらったそうだ。
数学の授業は順調に進み、教科書の練習問題を解くところに至った。
「じゃあ、次の練習問題を坂口、解いてくれ」
「ハイ」
一次関数のグラフの式を求める簡単な問題だった。
エレナがすっと立ち上がって黒板に向かうと、クラスメート達の視線が集中した。エレナはすらすらと解答を記していった。
「デキました」
「おぉ。連立方程式を使ったのか。やるじゃないか」
中学二年生の授業は、大学に通っているエレナにとっては簡単すぎた。
しかし、クラスメートたちが一様に驚いた目で自分を見ているので、エレナは不思議に思った。
(ひょっとして、やり過ぎダッタかな……? それとも、ワタルらしくなかったデショウか……?)
もちろん後者なのだが、数日も経つと生徒たちの間では「坂口は性転換して頭も良くなった」という噂が流れるようになった。
一方、体育の授業では、エレナにとって少し困った事態が起こった。
「坂口さん、心は男子でしょ。男子と着替えなよ」
二学期最初の体育の授業で、クラスの女子たちはエレナと一緒に着替えることを嫌がった。それも無理からぬ話で、坂口渉というクラスメートは前学期まで男子だったのだ。それが性転換して女子になりました、といっても容易に受け入れられるものではなかった。
とはいっても、さすがにエレナとしては男子の目にさらされて着替えたくはない。エレナは仕方なく、女子トイレの個室で着替えてから授業に向かった。
その日の授業はサッカーだった。
「インサイドキックの練習をします。二人ずつペアを作って」
エレナはペアの相手を探したが、なかなか組んでくれる者を見つけられなかった。最後に残っていたのは、エレナと、クラスで孤立しがちな女子の二人だった。エレナは真木という名のその女子とペアを組んだ。
真木はサッカーが苦手なようで、キックが弱すぎたり、方向を誤ったりすることが多かった。エレナは見かねてアドバイスをした。
「ボールの中心をねらって蹴るとイイよ」
何度かパスを交わすと、真木のキックの精度が向上した。
「坂口さんってサッカー上手いんだね」
真木は、正確なインサイドキックを繰り返すエレナに感心して言った。
「アッチでもよくやってたから」
つい、そう答えてしまった後、エレナは「しまった」と思った。「アッチ」とはエレナの地元であるカリフォルニアのことだが、それを説明するわけには行かない。
だが、幸いにも真木は特にそれについて疑問には思わなかったようだ。
「浦田君たちとよくサッカーしてるもんね」
「そ、そうそう!」
エレナは語気を強めて同調した。
その後、十名ずつに分かれて短時間のゲームが行われた。
そのゲームの中で、エレナは二ゴールと一アシストを決め、最も多く得点に絡んだ。
その次の体育の授業からは、エレナは女子たちと同じ場所で着替えることができた。
*
「ただいま、ショーコ」
「お帰り、エレナちゃん。それ、どうしたの?」
同じ日、坂口家に帰宅したエレナは、鞄の中から大量の手紙を取り出してリビングのテーブルに広げていた。
「下駄箱に入っていたんです。生徒の人タチからみたいですが、どうしたらイイですか?」
「モテモテじゃない。すごいわね」
紹子は素直に驚いた。
それらは学校の生徒たちが、金髪美少女となった「坂口渉」に宛てたラブレターだった。
少し思案するような仕草を見せて、紹子はこう言った。
「エレナちゃんが持っていてもしょうがないし、渉の机の上に積んでおきましょうか」
「ソウですね」
手紙の差出人は大半が男子なので、エレナ目当てであることは明らかだったが、紹子は気にしないことにした。これを異世界から帰ってきた渉本人が見たらどんな顔をするだろうか……。紹子は無意識に邪な笑顔を浮かべていた。
「ショーコ。これは女子からみたいですケド、この国では女子が女子にラブレターを送ることもあるのデショウか……?」
エレナはいくつかの手紙の差出人名を紹子に見せた。それらは確かに女子の名前のようだった。
「あら……。でも、エレナちゃんの国ではそういうことはなかったの?」
エレナは「うーん」と唸って考え込んだ後、答えた。
「言われてみれば、アッタかもしれませんね」
*
それから一週間が経った。エレナが渉として学校生活を送るようになってから十日目のことである。
その日の放課後、エレナはいつものようにホームルームが終わるとすぐに教室を出て、まっすぐ帰宅しようとした。
「おい、坂口。ちょっと話がある」
彼女を呼び止めたのは、クラスメートの浦田だった。「なに?」とエレナが訊ねると、「いいから来いよ」と先に立って歩きだした。
たどり着いたのは、校舎の屋上だった。その場は浦田とエレナ以外には誰もいなかった。
「手紙、読んだか?」
「手紙……?」
浦田の問い掛けに、エレナは首を傾げた。
すると、浦田は顔を真っ赤にして声を荒げた。
「一週間前に渡したじゃねえか! 読んでねえのかよ」
その言葉を聞いてエレナは得心した。下駄箱に入っていた大量の手紙の中には、浦田からの物も入っていたのだ。
しかし、それらの手紙は渉の部屋の机に未開封のまま積み重ねられていた。
「ゴメンなさい。まだ読んでないの」
「はあ? マジかよ。……まあ、いいや」
エレナが素直に謝ると、浦田はなぜか投げやりな態度を見せた。
その次に浦田が発した言葉は、エレナが予想もしないものだった。
「坂口。お前、俺の彼女になれよ」
「ハ……?」
エレナはあんぐりと口を開けた。浦田の発言があまりに突飛すぎて、理解できなかった。
(ウラタはワタルの友達でしょ……? なのに、ワタルがウラタの彼女になる……?)
エレナは混乱していた。気がつくと、浦田の顔が彼女の目と鼻の先にあった。次の瞬間、彼女にとって更に信じられないことが起こった。
浦田は、唐突にエレナの唇に自身のそれを重ねた。
「――イヤッ!!」
エレナは反射的に、浦田を勢いよく突き飛ばした。
「うわっ」
浦田はバランスを取ることができず、コンクリートの地面に尻もちをついた。
エレナの頭の中は、一時ぐちゃぐちゃに混乱した。しかし時間が経つにつれて、何の断りもなくキスされたことに対する怒りが沸々と噴き上がってきた。
エレナは浦田をにらみつけ、怒鳴った。
「イキナリ何するのよっ!!」
浦田はその剣幕に気圧された。自分がやってはいけないことをやったのだ、と悟った。
「あ、ごめ……」
浦田の謝罪の言葉を最後まで聴くことさえなく、エレナは屋上から脱兎のごとく走り去った。
(ウラタのバカ! もう、顔も見たくない)
エレナの胸中では、そんな感情が渦巻いていた。目尻に溜まった涙が、風にさらわれて流れて行った。
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