第1話:金髪美少女の転校生?
九月一日の朝。地元の中学生である浦田が、通い慣れた学校へ向かう足取りは重かった。
今日から二学期が始まってしまう。昨日は一日中、夏休みの宿題に追われていた。一年で最も長い連休期間が終ってしまったのだ。
早くまた長期休みになってほしい。そう願いながら、浦田は教室に入った。
(……なんだ、こりゃあ)
教室の中は、いつにも増してざわざわと騒がしかった。久しぶりの再会を喜び合い、夏休みの思い出話に花を咲かせている……というわけでもなさそうだった。クラスメートの多くが、一人の少女の方をちらちらと見ながら、あれこれと噂話をしているような雰囲気だった。
その騒ぎの中心にいた少女を見て、浦田はギョッと驚いた。
「なんだ、あの金髪美少女……?」
転校生だろうか。しかし、彼女は当然のように生徒用の席に座っていた。
(あれって……坂口の席じゃねえか)
彼女が腰を下ろしているのは、本来なら浦田の悪友である坂口渉がいるはずの席であった。
ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴った。噂話をしていた生徒たちは、のろのろとそれぞれの席に着いた。
「おー、みんな揃ってるな。夏休みボケしてるやつはいないか?」
担任教諭の橋本がいつもの調子で話し始めた。
夏休みボケも何も、もっと大きな問題があるだろ、とは席に座っていたクラスの生徒一同の思いだった。
浦田はみんなを代表して、さっと手を挙げた。
「先生、坂口君の席に外国人の女子が座ってるんですけど」
その場にいた九割の生徒がうんうんと頷いた。このクラスがこれほど一致団結するのは、四月に結成されて以来、初めてのことだった。
橋本教諭は頷いて見せたが、彼の口から発せられた言葉は生徒たちの予想を裏切るものだった。
「いや、その子は坂口なんだよ。……な?」
問い掛けられ、どう見ても坂口渉には見えない金髪碧眼の少女は、気まずそうに頷いた。
浦田は、橋本が何を言っているのかわからなかった。他の生徒たちも同様だろう。
「先生、それはサカグチっていう名前の外人って意味ですか?」
浦田の質問に、橋本は首を横に振った。
「坂口渉、本人という意味だ」
浦田含む他の生徒全員の目が点になった。
(…………どういうこと?)
フリーズしてしまった浦田に代わって、一人の女子生徒がおずおずと手を挙げた。
「あの、先生。坂口君って男子だし、日本人だったと思うんですけど……」
再び、周りの生徒たちがうんうんと頷いた。
橋本はそう言われて、うーんと眉根にしわを寄せた。そして、金髪の少女本人に向かってこう言った。
「坂口……。ちょっと起立して、みんなに説明してくれるか?」
「ハイ」
金髪美少女は返事をして、すっと立ち上がった。その声は、坂口渉とは似ても似つかない、鈴が転がるような音だったが、口調だけは元の彼に近いものがあった。
「ミンナが信じられないのもわかるよ。オレだってまだこの見た目に慣れてナイんだ。
でも、オレは正真正銘、サカグチワタルだぜ。
夏休みの終わりにアメリカに行ったオレは、性転換手術を受けたんだ。ホルモン注射で胸を大きくしてもらって、アレもなくしてもらったんだ。
しかも、手術のショックで髪と目の色も変わっちまった。珍しいコトだけど、そういう副作用もあるって担当の医者が言ってた。
……そんなワケだから、これからもよろしくな」
身振り手振りを交えながら、若干ぎこちない語り口で彼女は説明していた。無理をして演技しているようにも見えなくなかったが、話している内容のインパクトの大きさが勝り、クラスメート達はただ呆然としていた。
(こんな話、ゼッタイ無理があるでしょ……!!)
坂口渉を自称した金髪の少女ことエレナ=スターマインは、内心でそう思っていた。しかし昨日、紹子に厳しい演技指導を受けていたので、なんとかその思いが悟られないように堪えた。
「……そういうことだそうだ。みんな、今まで通り頼む」
あまりの内容に生徒たちが衝撃を受けている間に、橋本教諭が強引に話をまとめた。
「あと、坂口はこれから女子生徒として扱うから、そのつもりで。まあ、見た目がこれだから問題ないよな」
橋本のその言葉は、まだショックから立ち直っていなかった生徒たちにはスルーされたが、問題が無いわけはなかった。
*
「おい、坂口」
始業式の後、浦田は坂口渉を名乗る少女、エレナに声を掛けた。
「なんだよ、ウラタ」
紹子に一日がかりで演技指導を受けていたエレナは、渉の口調を真似て返事をした。名門カリフォルニア大学に通う彼女の頭の中には、渉のクラスメート全員の顔と名前が記憶されていた。
「お前、ほんとに坂口なのか」
浦田は疑わしそうに目を細めた。
「当たり前だろ」
そんなわけないだろ、と心の中でツッコみながら、エレナは逆のことを答えた。
「じゃあ、俺の誕生日言ってみろよ」
来たな、とエレナは思った。そういう質問が来ることは紹子の想定にあった。
「オマエの誕生日? えーと、十月だっけ?」
エレナは渉になりきって、とぼけてみせた。
この手の質問に対する紹子の指示は、「あの子は人の誕生日とか血液型とかイチイチ覚えるタイプじゃないから、適当に当てずっぽうでいい」というものだった。
「バカ、七月だよ。この前、教えたじゃねえか。……って、坂口がそんなのちゃんと覚えるわけねえよな」
エレナは内心でほっと胸を撫で下ろした。上手くごまかせたらしい。いや、しかし……こんな風に友達を騙していいものなのだろうか。そんな疑問もないわけではなかったが。
「マジに坂口なんだな。なんで女になろうなんて思ったんだよ」
「あー、長い人生、そういう時期がアッテもいいんじゃないかと思って」
浦田のその質問も、エレナと紹子の想定の中に含まれていた。
「思いきり良すぎだろ」
浦田は呆れた声を出した。
(うん。自分でもアリエナイと思う……)
エレナは心の中でそっと呟いた。
「なあ、坂口」
「なに?」
次に浦田が発したセリフは、エレナと紹子の想定には入っていなかった。
「おっぱい触ってもいい?」
「ダ、駄目!!」
彼の思わぬ要求に、エレナは演技を忘れて素で答えてしまっていた。彼女は、思わず両腕で胸を隠すようにした。
「ちぇっ」
ただ、舌打ちをした浦田は、エレナのその反応を不審には思わなかったようだ。
*
「うぅ、ただいま〜」
正午が過ぎる頃、エレナはぐったりとした様子で坂口家に帰宅した。
その日は午前中だけの短縮スケジュールだったが、エレナはこれまで味わったことのないような疲労を感じていた。
「あら、お帰り。早かったのね」
と、昼食の用意をしていた紹子が出迎えてくれた。
「意外となんとかなったでしょう?」
紹子が軽い口調でそう言うと、鞄を置いたエレナの不満が爆発した。
「もうヤメたいです! なんでミンナ、あんなあからさまなウソを信じるのですか? 日本の中学生とティーチャーはバカばっかりですか?」
エレナは言い終えると、どすんと居間のソファに座り込んだ。
「エレナちゃん、日本には『念ずれば通ず』ということわざがあるのよ」
紹子はフォローのようなことを言ったが、エレナはぶんぶんと首を振った。
「通じないコトを念じてました」
エレナは不満気だったが、紹子は彼女が無事に渉の代役を務められそうで安心した。
「本当に助かったわ。さすがにこれから一ヶ月も学校を休んでたら、渉は進級できるか怪しいぐらいのレベルだったから」
その言葉に、エレナは目を剥いた。
「一ヶ月!? 替えダマ作戦は一週間という話ではなかったですか?」
一昨日聞いた話と違う、とエレナは慌てた。
紹子は落ち着き払った声で答えた。
「ええ。だけどそれは、渉が帰って来たら、ね。今まで一番長いときで一ヶ月だったというだけだから、もっと早く帰って来る可能性も当然あるわ」
エレナは頭を整理するように、ゆっくりとソファに座り直した。
「ショーコ。……というコトは、逆にもっと遅くなる可能性もあるというコトですよね……?」
その問いに対して、紹子は否定も肯定もしなかったが、代わりに優しい笑顔を作ってみせた。
「祈りましょう」
「神サマーーッ!!」
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