第5話

 本日のオレとエリーはin書庫……となっている部屋。彼女の曾祖父辺りの書斎だったらしいが、今はあまり使われていない。ここで蔵書を漁り、お悩み解決のいい方法がないかどうか、調べることとした。


 そう、お悩み解決。


 オレはエリーの寛容すぎるところや、オレがそもそも彼女の肉体においてどうすればよいのかを悩んでいた。

 しかもこの先あまり長く彼女と一緒にいると、ものすごーく大きな問題にぶつかることになる。

 おわかりだろうか。彼女の将来について考えていただきたい。

 おわかりいただけるだろうか。前回のオレの話の一部を思い出していただきたい。


『将来、どこかの貴族や騎士のところへ嫁に行って子どもができた時』


 おわかり!! いただけるだろうか!!

 エリーはオレの意識が憑いてしまった時点で15歳、貴族の令嬢としては婚約者などできていてもおかしくない年齢である。婚約者どころか、すぐに婚礼の申し込みが来て結婚することになってもおかしくない。


 エリーは女の子だからわかるけどそれに憑いてるオレも男と結婚するようなものなんだよ!!

 それは嫌です!!

 彼女がマトモな男と結婚して幸せになってくれるならまあそれも構わな……構わ……か……めちゃくちゃ悔しいけど別にいいですよ! オレは身体どころか霊体みたいなものもないしな!

 でも彼女がその男となんやかんやする時、オレもそこにいることになる!

 それは嫌です!!


 デートする。大丈夫。気持ちを無にして景色を楽しもう。いける。

 手を繋ぐ。まだいい。まだいいぞ。幼稚園児とかなら同性とも手を繋ぐもんな。

 キス。はいもう駄目もう無理もうやめてオレの心は限界。許してください。

 セッ……冗談じゃねえぞ!! キスで無理っつったろ!!


 そう、オレは気付いたのだ。

 早いとこ彼女の身体から出て行ってやらないと、オレのファーストキスも貞操もやばいし彼女の結婚生活も(オレの全力拒否とかで)台無しになりかねないということに!


 まあ別に今すぐ結婚話が降ってくるわけでもなしいいじゃん? てオレもちょっとは思ったんだよな。思ったんだよ。でもさ、毎晩のように食事の席で結婚とか婿とか嫁とかそういう話を聞かされてみてくれ。想像してくれ。これをな、当たり前のように話すんだよ。領地の家畜や家禽の出来とかと同じような調子で話すんだよ。

 これ、明日にでもお見合い写真が目の前に出されるんじゃないの?

 くらいの気持ちになってくる。年頃の、それも貴族の娘ってそういうものらしい。娘盛りになったら、親が良縁を見つけてきて、結婚する。よく知らない人相手に結婚するのが当たり前で、恋愛結婚なんてお芝居以外じゃ滅多に見ない。

 それにエリーの上の姉は長女なので婿を取ったわけだが、末娘ではそうもいかない。

 どこかの貴族か騎士のところへ嫁ぐ――そう、この愛する屋敷を、領地である美しいアルシュヴェラを離れなければならないのだ。


 オレとしては正直、ここでの暮らしも悪くないと思っている。

 女の子の身体に入ってしまったとか、風呂とトイレでどうしているのが正解なのかいまだにわからないとか、その上この世界って剣と魔法のファンタジーだなどう考えてもとか、あと本日最初に言った結婚の話は本当にやばいと思うので問題自体は山積みだ。

 山積みなのだが、そのくせこの屋敷での、エリーの身体での暮らしは、とても穏やかだった。

 陽光と鳥のさえずりで目を覚まし、夜の深まるままに眠る。

 家人は皆穏やかで、急ぎ慌てることがあるとすれば、洗濯物を干したままなのに突然雨が降ってきただとか、近所の猫がカーテンを引っ掻いただとか。

 たまに家を出てみれば、馬車の窓なり馬上からなり見える領民は精力的に仕事をしていて、ほとんど一面に牧歌的な風景が広がっている。街も決して都会的ではないが、柔らかな活気に溢れていた。

 平和で豊かな生活がここにはあって、オレが現代日本で送っていた暮らしとはあまりにも縁遠く、羨ましく、心地が良い。


 エリーの記憶を紐解いてみても、その日々はただただ輝かしく眩しいばかりだった。

 末娘として生まれ、惜しみなく父母と姉二人に愛情を注がれ、使用人のカロリーナとは幼馴染のように共に育ち、そして本来幼馴染であった男児も二人いた。(彼らは成長と共に、領地外へ行ってしまったようだが)

 何人かの家庭教師に学び、治癒魔法の才能を少しずつ磨き、時折愛する馬を駆り、領地と領民を愛し様子を見守りながら、いつかこの地を旅立つその日を待つ。

 敷かれたレールに乗りながら、けれど彼女自身も、この日々を愛している。


 涙の出るほど真っ当で、平和で、美しい人生だ。

 オレは今、エリーの中にいながらにして、生き直しているような気がする。


 今日は靴箱にちゃんと上履きが入っているかどうか心配しなくてもよくて、机の上の油性マジックの落書きが増えているのを見つけなくてもよくて、母親から受け取った弁当がきちんと食べられるか便所で食べるべきか考え込まなくてもよくて、教科書やノートを破かれたり中に意味不明の罵倒が書き込まれているのを見なくてもよくて、体操着が袋ごとどのトイレの中にぶち込まれているか探さなくてもよくて、体育の時間に一方的にボールをぶつけられまくったりしなくてよくて、着替えるべき制服がどこに隠されたのか探さなくてもよくて、意味もなく蹴飛ばされたりしなくてよくて、この間買ったばかりの消しゴム真っ二つに割られたり、全然邪魔してねえのに邪魔だって髪を引っ張られたり、女子にカワイソウ呼ばわりされたり、机も椅子もどっか外に移動されてたり、そんなことも全然ない、生活。


 ――本当はオレだって、こんな穏やかな日々を送っても良かったのだと。何かに許されたような気がしていた。


 他人の人生で自分を慰めるなんて、あまり真っ当とは言えない。

 でもオレはオレの意識が入り込んでしまったのがエリーだったことに感謝しているし、彼女の人生を培ってきた人々や土地が、彼女に優しくあることに感謝している。

 人から愛される人生って、本当にあるんだ。


 だからオレは、この身体の、彼女の人生を台無しにしたくない。


 そのためには、まあ、結婚する野郎がもしも外面だけのクソ野郎だったらオレが一発殴ってやってもいい、と思わなくもないけれども。

 やっぱり一番いいのは、オレが彼女の中から出ていくことだ、と思う。

 今は彼女も、オレがいることを楽しんでいるように見える。

 何せ穏やかな日が毎日続いているのだ、特に不満がなくたって、全く退屈していないかと言えばそんなことはない。退屈だったから、彼女はオレを歓迎することができたのだ。

 だから彼女がオレを歓迎しているうちに、なんというか。分離の方法を考えなければならない。見つけなければならない。

 ……本当は彼女がオレのことを多少なりとも嫌がって、両親や姉たちに相談してくれて、その上でお祓いだの何だのと色々受けてくれた方が、分離方法発見への近道だったとは思うのだが……あまり彼女には迷惑をかけたくないし、彼女の人生の汚点みたいなものにもなりたくない。

 彼女に分離したい旨を伝えられたらもっと良かったんだろうが、講じられる手段としては手紙を書くくらいだろう。オレが彼女の身体で文字を書けるのかどうかは後日調べるとして。

 ひとまず、この世界の手法でいくとするなら、可能性が最も高いものは魔法だろう。魔法を調べるなら、行くべき場所はフィラデニアだ。


(フィラデニアか……入国するだけなら容易だけど、調べ物するとなると、時間かかるよなあ……)


 オレは周辺国の地図と歴史の載っている本を手に取った。

 この本に載っているページを諸兄姉に見せられれば早いのだが――まあしょうがない、とりあえずここで地理の勉強にもならない勉強をひとつ。

 この地、アルシュヴェラはアウルムブクスという、曰く北の大国に所属している。そしてアルシュヴェラは辺境の地であり、ぶっちゃけこの国の首都へ行くより、隣の国へ行く方が時間がかからない。

 隣の国とは、先ほどから言っているフィラデニア――西の大国――とそしてこれは初出だと思う、南の商業大国メナルタのことだ。

 どうもこの世界はこの三国で回っているようなので、この三つの国を覚えておけば大体なんとかなる。多分。


 それでまあ、国境付近に存在するこのサルトリュー領アルシュヴェラ。隣国フィラデニアへ行くにもメナルタへ行くにも便利かつ容易だが、どう足掻いても国外旅行となってしまうので、特に一応貴族であるエリーが行くとなると、滞在理由や費用やその他諸々、入国よりも滞在手続きがたいへんに面倒なこととなるわけだ。


(魔法について調べに来ました、って言えるっちゃ言えるけどさ)


 エリーは魔法が使えるが、別に魔法で身を立てたいわけではない。オレのためだけに国外旅行をしてもらうわけにはいかないし、こうなるとフィラデニアで魔法の線から調べるのはあまり現実的でないだろう。


(別の線を考えた方がいいな……)


 何がそんなに書かれているのかは知らないが、やたらに分厚い本を書棚に戻す。

 これがオレの身体だったら溜息をついていたところだが、今はエリーの身体なので頭の中でのみそうする。……そもそも今の頭ってどこだとか、オレの身体があれば溜息をつく必要もないとかそういうことは置いといて。


 オレはオレとして生きていた頃と同じてつを踏まないためにも、彼女の肉体が彼女だけのものである当たり前のことを取り戻す手段を、必ず見つけなければならないのだ。


「お嬢様ー! どこにいらっしゃるんですかー!」


 おっと、これはカロリーナの声。どうやらそろそろ夕食の時間らしい。

 最近はずっとオレがエリーの身体を借りて屋敷中をうろうろしているので、彼女たち使用人は小さな子どもでも探すようにして、夕食前には慌ててエリーのことを探していた。

 大体どころか全部オレのせいなので申し訳ない気持ちにもなるのだが、オレはエリーがこれを面白がっていることを知っている。なのでなんだか釣られて愉快な気持ちになってしまい、たまにかくれんぼじみたことまでしてカロリーナに叱られているのだった。


(まあ、今日は素直に出ておこうかな)


 カロリーナは怒るとかわいい。かわいいがあんまりやるとただの使用人いじめになってしまうので、たまにわかりやすいところに隠れて「もう!」と言われるくらいが丁度いいのだ。


「……ん?」


 視界の隅、書棚の中にあった本の背表紙を、オレの意識が捉えた。


「お嬢様ー! お夕食ですよー!」

「――はい。はあい。今行くわ、カロリーナ!」

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