第3話

 さて、今日はエリーの生活についての話をしよう。

 オレはいまだこの状況に大いに混乱しているし、もしやこれは異世界転生とかいうアレでは、と考えたりしたのだが、こんなどうみても美少女に憑いてる幽霊みたいな、もしかしたらオレってエリーが生み出した第二の人格なのではみたいな、そんな状況で転生って何だ? そうだよな。そうだ。転生の法則が乱れるってやつだ。法則じゃない、意味だ。


 で、何だっけ?

 ……。

 忘れるところだった。エリーの生活の話をする。


 簡単に言ってしまうと、彼女の生活は『優雅な学生』だった。

 朝起きて、食事と勉強と自由な時間で一日を過ごし、夜に眠る。

 着るもの食べるものその他諸々がやたら豪華で行き届いているのが、金持ちの暮らしということだろう。不足は何もない。あるとすれば退屈、みたいな雰囲気だ。

 そんな豊かな生活の一端を、オレが実況していこう。


 起床時間は規則正しく寝起きが良い。起き上がった後は欠伸をしつつもすぐにベッドから出て身支度するが、この際、実質エリーの世話係であるところのカロリーナが部屋の扉をノックする前に、ドレッサーの前で日課の三つ編みチャレンジをする。(ちなみに明らかにオレの方が三つ編みの上達が早い)

 チャレンジに失敗しつつ、部屋を訪れたカロリーナに髪を整えてもらい、ようやく身支度のできあがりだ。

 その後は父母、二人の姉、それから一番上の姉の婿と一緒に朝食をとる。日によっては政務があるのか、父親や姉婿は同席しない日もあるが、大体は家族揃って食事をするようだった。一日の予定確認も談笑しながら行うので、それも理由の一つだろう。


 さて、この日のエリーの予定は、まず午前中は家庭教師を迎えての勉強、特に座学ざがくだ。歴史と経済。歴史はまだしも経済がどうやら苦手なようで、授業中じっと憂鬱そうな顔をしているが、オレの興味が向いていることがわかってから、彼女は少なくともちゃんと教本を見つめているようになった。ありがたい。

 それから、屋敷にいる者たちでまた昼食をとる。この際、父母が出払っていたりすると、エリーたちはこっそり使用人たちを呼んで一緒に食事をすることもあった。――本来、主人と使用人の食事は全く別であるものなのだが、この家の主従はどうにもとても仲が良い。


 午後には実践的な部分の多い勉強をする。

 たとえばダンス。これはオレたちで言う社交ダンスというやつで、エリーはとても気に入っているようだった。とはいえこういった辺境、田舎の方ではパーティも少なく、たくさん練習をしても、披露する機会はあまりないらしいが。彼女にとっては楽しいので構わないようだ。オレも彼女が楽しいとなんだか嬉しい。

 たとえば歌。これは所謂いわゆる、聖歌だ。なんと聖歌には専用の言語があり、歌詞は全てその言葉のみで構成されている。これもまた田舎では用のないことが多い上、エリーはどうやらあまり聖歌が好きでない。歌うことそのものは好きなようで、空いた時間や勉強合間の休憩時間に、俗曲ぞっきょくを口ずさんでいたりする。


 そして本日の予定、魔法の授業である。

 やっぱり、と言うべきなのかもしれないが、この世界には剣だの魔法だのがある。魔法は特に才能も素養も必要で、ちょっと使えるようになるならある程度は容易いが、これを武器にしようと思ったり、つまり魔法を使って剣士と渡り合う、なんてロマンをやるには、相当の才能と、血の滲むような努力が必要である、ということだった。

 軽く程度を説明すると、マッチの火くらいのものは才能があるだけですぐ出せるようになるが、コンロ以上はかなり難しい。強火にするだけで相当に難儀なんぎするという話だから、料理をしようと思ったら、マッチ火を紙や枝に移してしまう方が圧倒的に早いだろう。


 エリーが使えるのは、治癒魔法だ。

 正直に言うと、めちゃくちゃヒロインらしいじゃねーか! と興奮した。もう彼女紛れもなくヒロイン属性だよね! ってすごい勢いで嬉しくなった。オレは彼女の隣を歩くこともできないのだが、なんかこう、贔屓にしてる子が恵まれてると元気が出ないか? 出るんだよね。彼女はどうやらオレが魔法に強い興味を持ったらしいくらいに解釈したようで、たいへんありがたい。

 で。どの程度に使えるのかというと、擦り傷とか打ち身ならきれいに治せるくらい。である。

 現代技術でも普通にすごいと思うが、これはこの世界でも結構すごい方らしい。治癒魔法でのマッチの火ラインは『実際に効いているいたいのとんでけ』なのだ。軽い痛み止めと治癒能力の促進、までがそれで、傷をごく短期間でどうにかしようと思うのは、マッチの火を焚火とかの大きさにするような技術である。

 事を起こすのは簡単だけど、そいつを順調に進めるのは難しい、ってことみたいだな。


「――はい。今日はここまでにしましょう。まるでフィラデニアの魔法使いのようですよ、お嬢様」

「本当ですか? ……ふふ、わたしも、頑張れば大魔法使いになれるでしょうか」


 にこやかに「ええ」と頷いた教師も、はにかみながら微笑んでいるエリーも、どちらも『そんなことはない』とわかっていながら話している。

 どういうことかというと、大魔法使い、なんて呼ばれるようなものになるなら、それこそ教師の言った『フィラデニア』へ行って、何十年も研鑽を積まなければならないからだ。


 フィラデニア、というのはこの世界に存在する大国の一つで、魔法技術に特化している。多くの優秀な魔法使いを輩出し、魔法の力を込めた道具を開発している強大な国だ。

 魔法を学ぶならフィラデニア以外に選択肢はないし、魔法の才能を持ちながらも他国に生まれた者は、移住するか魔法を諦めるかどちらかしかない。


 そしてエリーが生まれたこの国はアウルムブクス。数多の騎士団と教会を擁し宗教と密接な、軍事国家だった。

 それゆえ貴族の子女は勉学と共に必ず聖歌を習い、息子であればそこに剣術が加えられる。

 出世を目指すなら騎士になることは必須だし、今でも王位継承争いは決闘で決着がつけられていると噂――ここは辺境なので、それが事実かどうかは確認ができない――されるほどの実力主義。

 聖職者になるという道もあるが、この辺りはエリーもよくは知らないようだ。教会が大衆に開かれている割に、その内情は閉鎖的で、話があまり漏れてこないらしい。


 というわけで、そんな軍事国家に貴族の娘として生まれてしまった以上、魔法使いになることなど望めるはずもない――というわけなのだった。

 オレがどうしてこんなに軽い調子かと言うと、別にエリーは魔法使いになりたいわけではないからだ。

 彼女が本当はとてもとても魔法使いになりたくてしょうがないのに、アウルムブクスに生まれたばかりに諦めなければならない……なんてことであれば、オレだってもっと残念がったり、彼女がフィラデニアに行く方法を考えたりもしただろう。

 でも、エリーは現状に満足している。

 擦り傷や打ち身を治すくらいしかできなくても、将来、どこかの貴族や騎士のところへ嫁に行って子どもができた時、転んだ子どもの手当てをしてあげられる。彼女にとってはそれで十分なのだ。


 さて、魔法の話になって長くなってしまったが、この後は軽くお茶――ちなみにこれも、基本同席する姉らの都合が悪ければ、大概彼女と仲の良い使用人が同席する――などして、夕食と風呂までは自由時間だった。


 この自由時間、これまではエリーにとって読書をしたり、うまやで馬とたわむれたり、庭の花や巣箱を見たりする、穏やか極まりない――というか、言ってしまえば退屈な時間でもあったのだが。


「ね、ね、妖精さん。今日はどこへ行きますか?」


 ここしばらくオレという闖入者ちんにゅうしゃが彼女の中にやって来てからは、屋敷の中を隅々まで探検したり、今まで彼女が読んだこともなかったような蔵書にも手を伸ばしたり、また触れる気もなかったような甲冑や剣をそーっと触ってみたり、あって当然とすら思っていた家族の肖像画を一枚一枚まじまじと眺めてみたり……オレの勉強時間にててくれている。

 そしてオレにとって幸いなのは、どうやら彼女もこのオレの勉強を楽しんでくれている、ということだった。


「妖精さんは、わたしが思ってもいなかったようなものに興味を持つのですね……わたしも、考えてみればちっとも知らなかった、ということがたくさん出てきて、とても面白いです」


 そんな風にさえ言ってくれる。

 自分の中に得体の知れない何かがいる、というのはさぞ気持ちの悪いことだろうとオレなどは思うのだが、彼女はオレの存在を非常に前向きに捉えてくれているようで、あまりの好待遇さにこっちの方が戸惑ってしまう。

 それとも、この世界ではこんなのよくあることなのだろうか?

 いや、ない。ないはずだ。少なくともエリーの経験と知識の中に、ある日突然自分の中に他人の意識が紛れ込んできた症例、なんてものはない。

 なのに彼女はあまりにものんびりしているから、オレの方が心配になってしまう。

 だって考えてもみてくれ、オレは彼女の身体を大体自由に動かせる。ということは、彼女の身体を使って悪いことだってできるわけだ。盗みとか、色々。


 人を疑わないまま生きてきたのだ。

 エリーは、周囲の人々の誰をも疑わずにすむような環境で人生を送ってきた。


 オレにはそのことが少し、切ない。


 ……でもあんまりしんみりしているとエリーが察して心配してくれてしまうので、なるべく早く気持ちの切り替えをしなければならない。

 何せ一家団欒であるこの夕食を終えた後には、今日もまた彼女のお風呂タイムが待っているのだから。

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