第2話
それからオレは彼女と一緒に(一緒にも何も一体になっているっぽいが)この屋敷のメイドであるところのカロリーナに三つ編みを習い、夕食にも大人しく同伴し、現状の把握とともにどうやらこの土地――あるいは世界――のことを学んだ方が良さそうだ、という結論に達した。
しばらくは、肉体である彼女になんとか時間を割いてもらいながら、屋敷の内外をたくさん見て回ろうと試みたわけだ。
そうして学んだことは色々ある。
まず、間違いなくこの身体はオレの意思でも動かすことができる。しかし、おそらく身体の持ち主であろう彼女自身――名前もわかったのでエリーと呼ぶことにした――が強固な意志で拒絶した場合などは、その限りではない。
具体的でわかりやすいところを言うと、男子トイレとかには入れないし、オレが突然トチ狂って庭にある水のきれいな池に飛び込むこともできない、というわけだ。あまりに突然だと、彼女自身も何が起こったかわからずに行動が達成されてしまうかもしれないが、まあそれはその時考えよう。
そして逆に言えば、それ以外はこの身体をオレの意思で動かすことについて、小難しい制限なんかは存在しないようだった。
なんと、彼女の意識が眠った後などは完全にオレの自由にできてしまう。ただ、肉体もしくはエリーの意識状態に強い影響を受けるらしく、彼女の蔵書などから情報を得ようと本を開いてみたものの、眠くて眠くて、文章が全く頭に入ってこなかった。あれは完全に身体が寝ていたということなのだろう。
次は意識や思考についてだ。
まずオレにはエリーの考えていることはわからないし、エリーにもオレの考えていることはわからない。ここまでは当たり前だろう。
ただ、しばらく彼女の中で暮らしてみて、なんとなくその感情が伝わってくるような感覚があった。
楽しんでいること、あまり歓迎していないこと、うきうきすること、苦手なこと、穏やかで満ち足りた気持ち。そういうものがどこかから流れ込んできて、オレに伝わる。
これは逆も同じらしく、オレが彼女が苦手としているらしい授業を興味津々に聞いていると、ちゃんと教本を見ようとしてくれたり、飾られている騎士鎧なんかについ興奮してしまった時には、彼女の方からその近くまで行ってよく見せてくれるだけでなく、わざわざ触らせてくれたりなどしてくれた。(オレの人生のうちでこんなに優しくしてくれた女性は彼女以外だと母親だけだ)
どういう仕組みかちょっと真面目に考えてみたのだが、オレとエリーは同じ器に入っていて、しかし別人なので思考自体は仕切られており互いにはわからない。けれど感情は雰囲気とか空気みたいな存在で、ふんわりと仕切りを越えて入ってくる、という感じなのではないだろうか。
ちなみにこの間、オレはエリーらしからぬ振る舞いをしてしまわないよう、オレの意思で彼女の身体を動かすことを(実験目的以外では)可能な限り控えていた。というか、今も控えている。
いや、なんか女の子の身体を好き勝手する感じ、かなり背徳感と罪悪感がすごくない? オレはすごい。
で、だ。
互いの意思で口も利けるなら普通に意思疎通できるんじゃないの? と思った諸兄姉はたいへん鋭い。
オレもそう思って、彼女にオレのしたいことを伝えるために言葉を発しようとしたことがある。というか何度も試みた。
けれど何故か、彼女に伝えたいことだけは言葉にならないどころか、声も出せなかったのである。
特に小難しい制限はないと言ったが、あれは嘘だ。みたいなことになってしまったが、そう、そうそう、何故かオレから積極的に意思を伝えることができないんだよな。
エリーの方はどうかというと、全くそんなことはないようで、オレのことを『妖精さん』と定義したらしく、たまに一人きりの時に話しかけてくれる。
これについても考えてみたが、こじつけるとすれば、まあ、これはエリーの身体なのだから、彼女が彼女自身に話しかける必要などない。ということだろうか。
でも、自分に言い聞かせる、みたいなことはあるだろうし、この制限はなんだか納得がいかない。オレは客分なのだから主である彼女に話しかけるなど頭が高い控えおろうってことか? ひどくない?
そう、しばらく過ごしてみて確信したのだが、やっぱりオレの方が、この身体においては客分なのだ。
何せ、この身体にはエミリエンヌ-ララ・サルトリューという人物の積み重ねてきた年月がしっかりと刻み込まれている。
どういうことかと言うと、まずこの地の言葉は日本語ではない。本のページをめくったオレは面食らったが、脳裏の底から知識が湧いてでもくるように、数秒のタイムラグの後、見知らぬ言語は母国語のように親しいものとなった。
それから、この地域や世界の地図も見せてもらったが、オレが社会とか地理とか歴史とかそういう授業で習った地図にはやはり程遠く、ここは全くの異国というか、異世界と呼ぶに相応しい土地であることが判明した――なのにその傍から、どの国がどんな風で、オレ自身が今どの場所にいるのか、わかってしまった。
知らないものに出会った瞬間、それがどのようなものであったか思い出しでもするように、オレの思考に知識が差し込まれる。
その驚きの体験を何度かくり返してオレは、それがエリーが父母や姉や他の家人、家庭教師、出会った人々から得た知識なのだと判じた。
これはエリーの肉体が、脳が得たものなのだ。
オレは彼女の肉体に入り込んでその脳を使っているので、それらを使うことができる。
なんだかテストでカンニングでもしているような気分になったが、知識そのものはありがたい。
なにより『エリーの知識』というものは、オレが万が一彼女として振る舞わなければならなくなった際、それ以上に役立つものはないだろうから。
……。
……さて。
なんだか説明疲れしてしまったので、目下の問題の話をしよう。
それは――、
風呂だ。
おわかりいただけるだろうか。
オレは健全な男子高校生であり、現在オレの意識が何故かくっついちゃってるエリーはたいへんな美少女である。
感覚としては自分のものであるとはいえ、美少女の全裸である。スタイルの良い、いかにもかわいらしい、しかも優しい、そういう女の子の全裸がそこに存在するのである。
オレは健全な男子高校生であり、また常識を持った人間でもあった。
そりゃ勿論、オレに身体があれば、もしくは霊体みたいなものがあって、彼女の身体から一時的に出ていくことが許されていたならば、風呂の時とかトイレの時だって彼女から離れたい。離れて差し上げたい。
でも全然できないんですよね!!
オレだけ眠ろうと必死こいてみたり、オレだけ目を
多分オレのみが意識を失うこともできるにはできるんだろうが、これから美少女が風呂に入るっていうのに眠ってなんかいられないよな……わかるよ……しょうがないよこんなの……無理に目を瞑ろうとしたらエリーの身体ごと目を瞑ってしまい、彼女がすっ転んでしまったからな……。
唯一いいことと言えば、彼女が風呂やトイレに入っている間中「ごめんなさいごめんなさい」と呟きまくっているオレの言葉が、彼女への意思伝達と捉えられていて全く発音されていないことくらいだろうか。ごめんなさい。
「妖精さん? もういいですよ」
ああ、どうやら今日もちゃんとエリーのお風呂タイムが終了したらしい。服もちゃんと着たか? 着たよな? この間みたいにうっかり裸のままいいですよコールをかけちゃうと、またエリーの身体なのに鼻血が出ちゃうんだぞ? いいな?
オレは以前彼女に言われた通り、片手を上げてオッケーのサインを作って見せる。
……つまりオレはこうして、彼女が風呂に入ったりトイレで用を足している間中、これまでの振り返りや整理を必死で行うことにより、目の前の現実から逃避して煩悩を払っていたのだった。BGMシャワー音でお願いします。
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