サルトリュー家の人々と妖精さんなオレ

第1話

 鏡に映っているオレの姿は、今日も今日とて全くもって美少女だった。

 オレは頬に掛かる髪を指先で軽く除けて、長く重たいドレスの裾を足で払うようにして揺らす。

 どこからどう見ても美少女だ。

 長い髪はブロンドで、光の角度によってやや赤みが差す。こういう髪は確か、ストロベリーブロンド、とかいうんじゃなかっただろうか。

 睫毛に縁取られた大きな瞳は、表現するならブルーサファイアといったところだろう。健やかに生きている人間の目だと思う。


「……うーん、かわいい」


 その言葉を口にすると、鏡の中の美少女はニコッと笑った。笑顔も最高。

 鏡の中にいる彼女の名前を、エミリエンヌ-ララ・サルトリュー。この辺り一帯を領地として治めるサルトリュー家の三番目かつ末の娘で、それはもう可愛がられて育った箱入りのお嬢様である。

 親しい人からはエリーとかエミリとか呼ばれている。かわいい子は名前もかわいいものだ。


 ここで疑問が出ると思う。

 今くっちゃべっている『オレ』なる人物は誰だ? と。

 まさかそんな可愛らしく大事にされながら健やかに育った美少女が一人称「オレ」であるはずがない、と。

 うんうん、もっともな疑問だしオレ自身もそう思う。オレってばなんでこんなところにいるんだろうな? この二年間ずっと疑問に思ってきたよ。


 ――二年間。


 オレが彼女……、既に二年が経っていた。




 ***




 オレは死んだ人間だった。

 いや、笑わずに聞いてほしい。オレは確かに死んだのだ。

 両親とともに住んでいたマンションの屋上から、それも頭から落ちたわけで、死んでいなくちゃおかしいのだ。

 ……落ちたというのは正確ではなく、言ってみれば飛び降り自殺というやつなのだが。とにかく、死んだ。オレは自殺に成功したはずだった。


 それがある日、ふっと目が覚めたかと思うと、オレが宙にかざした手は白く細くて、漏らした「え?」という声も細くきれいで、思わず勢いよく上半身を起こすと、豊かな胸が揺れたのである。

 胸が。揺れた。

 これは重要なことだ。何せ死んだはずのオレは男子高校生だったのだから。その胸が揺れるほどでかいってちょっとやばい。

 とにかく混乱しながらも身辺を確認してみると、どうやらオレの身体は女性で、しかも相当お金持ちだということはすぐに判明した。

 着ているドレスはたっぷりと布が使われていて重たく、寝転がっていたベッドのシーツはシルクっぽい手触りで、なにより上には天蓋なんてものがついている。

 家具の良し悪しなんかはただの男子高校生であったオレには特に判別がつきづらかったが、悩んでいると、頭の引き出しの奥からすっと差し出されたように、どうやらそれが高級な木材が使われた良い品であるということが理解できた。

 服や家具、室内の様子を見るに、どうも中世ヨーロッパの雰囲気を漂わせている。


「お嬢様? お起きになりましたか?」


 扉の外から軽いノックとともにそう問い掛けられて、オレは納得すると同時に混乱した。

 やっぱりオレ――かはよくわからないがとにかくこの身体は――お嬢様なのだ。というのと、オレちょっとこの間まで一般の高校生をやっていたのでお嬢様の喋り方とかできないんですけど! という具合に。


「ええ、起きてるわ」


 応じた声は、どうやらオレの口から出たようだった。


「でもごめんなさい、もうちょっと待って。髪を整えたいから」

「まあ。お嬢様、でしたら私がやります。入っても?」

「だめ。だめよ、わたしが自分でやりたいの! できたら……あ、えっと、できなくても、呼ぶから……」


 扉の外からは、二度目の「まあ」という声が聞こえる。笑っている辺り、特に不審には思われていないらしい。

 いや、そうじゃない。ちょっと待ってくれ、これはオレの身体じゃないのか。今言葉を発したのは間違いなくオレだったが、喋ったのはオレじゃない。

 まるで何者かが、オレの身体を勝手に操って声を出させたような、そんな感覚。


 ――いいや? もしかしたら逆なのかもしれない。

 今の今まで、オレが『彼女』の身体を好き勝手に操ってドレスやベッドや家具の検分をしていたのであって、オレこそがこの身体にとっての客分なのでは?

 あまりにファンタジーで突拍子もない発想だが、オレが考え込んでいる間にもこの身体は動き、鏡のついた……ええと何て言うんだっけ、ドレッサー? ドレッサーだ。その前に備え付けられた小さな椅子に腰掛ける。


 鏡に映った姿は、あまりにも美少女だった。


「――――」


 オレは声も出ないまま、鏡の中をじっと見つめる。

 見つめていると、まるで目でも合ったかのように、彼女は恥ずかしげに目を伏せた。美少女の姿は視界の隅に追いやられてしまう。

 それから細く整えられた指先は台の上にあったブラシを取り、そっと長い髪を梳かしていく……。


 オレは気持ちの上でだけ深呼吸を何度かして、思考をいくらか落ち着けることにした。

 とにもかくにも、どうやらこの身体を無理に動かそうとか、無理にお嬢様として振る舞おうとかする必要はなく、彼女は彼女としての生活がきちんとできるらしい。

 先ほどまでは彼女が眠っていたか、それか彼女がオレのすることを、今のオレのように見守っていた、ということなのだろう。

 それはオレにとってありがたいことで、そしてそれだけで彼女が、どちらかといえば控えめで優しい方の性格なのだということがわかる。勿論、ただオレと同様に混乱していたのかもしれないが……まあそこは置いておこう。今は前向きにいこう。


「……毎日練習しているのに、どうして上手にできないのかしら」


 可愛らしい呟きは、オレの……いや、彼女が思わず漏らしたものだった。意識を視界内に向けると、どうやら横髪を三つ編みにしようとして失敗しているらしい。

 髪を伸ばしたこともなかったオレに良し悪しはよくわからないのだが、なるほど、確かにちょっと編み込んでる髪が跳ねてる……のかな……そういうことかな……女の子って細かいところ気にするんだなあ。

 よし、ここはちょっと上手に三つ編みをして彼女を驚かせてみよう。というか、彼女の意思がある状態でもまっとうに身体が動かせるのかを試してみよう。


 ……。

 …………。

 ………………。


「……。ごめん」


 それは彼女の声だったが、オレの呟きだった。

 三つ編みってめちゃくちゃ難しいんだな!? やったこともないのにできないものなんだな!? 小さい子の三つ編みをささっとできる全国のお母さんって生き物はすごいな!!

 ええと。

 結果的に言うと。

 三つ編みは失敗して、身体を動かすのは上手くいった。

 手が勝手に動き始めた、という感覚だったのだろう、初めは彼女の強い戸惑いが伝わってきたが、オレがどうやら三つ編みを手伝おうとしていることを理解してくれたのか、途中からは大人しく自分の髪を(おそらく)不思議そうに眺めていた。

 そうして、まあ、その。彼女の数倍は下手くそな三つ編みができあがったわけなんだけど。


「――っふふ」


 堪え切れない、というような笑い声。

 鈴を転がすような、というのはきっとこんな声のことを言うのだ。きれいで、軽やかで、耳に心地好い。


「やっぱり、カロリーナにやってもらいましょう。やりかた、教えてもらいましょうね」


 その言葉は独り言と思うこともできたが、多分、オレに向けて発せられたのだと思った。

 彼女は鏡を見ながらそう言ったから。

 オレはといえば、すっかりその笑顔に見とれていて、うんともんすんとも返事ができなかった。

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