逆説その5 冷たい情熱

品近しなちかさん、素子もとこさん」


 俺と素子が部室を訪れると、祭門部さいもんべ部長が駆けよってきた。


「生徒会からの通知です。恋色こいいろエクリチュールの発議ほつぎが、明日行われます」


 部長は握りしめていたプリントを、目の前に広げて見せてくる。それは校則の新旧対照表だった。


 

(旧)

 1・1・1 誓約書への記名は1名であること。

 1・2・2 誓約書の書き換えは、別途、規定するものとする。


(新)

 1・1・1 【条文変更】誓約書への記名は1名であること。また

 1・2・2 【廃止処分】

 1・2・3 【新規制定】当事者間の私的関係については、これを問わない。



「お分かりですか、品近さん、素子さん」

「はい」


 1・1・1は条文が変わっていて、1・2・2は廃止される。1・2・3はこれまではなかった条文だ。全部をまとめると、誓約書への記名は一度きり。2人がどんな関係にあろうと、生徒会は関与しないと言っている。


「……品近、そもさん……」

 素子が小声で聞いてきた。せっぱと応じる。「……どういうこと……?」


「離婚できない婚姻届ってことだ」

「え、えぇぇぇええぇ!?」


 素子は大声で叫んだ。いつも叫んでるけどな、こいつは。


「偽造事件を受けてとのことです。恋愛の自由と責任を明確にして、誓約書の重要性を再認識させるためだと。当事者の決意がしっかりしていれば、生徒会は口を挟まない」


 俺たちが理解できたのを確認してから、部長は事情を解説する。


 けど生徒会の本音は違うだろう。恋色エクリチュールは花園学園の生命線。それをあの事件だけで改定するのは軽率だし、何より手際がよすぎる。おそらくもう原案はあって、それを使う機会を狙っていたんじゃないか。


「……そもさん、そもさん……」

 素子は問答を続ける。「発議って何?」


「前も話したじゃねえか」

 俺は生徒手帳を広げた。



7・1 エクリチュールの改定にあたっては、生徒会での協議のうえ発議し、全校生徒に提案して3分の2以上の承認を得なければならない。



「ここの生徒に聞くんだよ。こんな風に変えたいんですけど、いいですかって。全校生徒の3分の2以上がOKなら、変えますよって」

「あー、なるほどねー。分かってたけど、そーいうことねー」


 いきなりしたり顔になる素子。


蕗奈ふきなの説明では、発議は明日になるそうです」


 部長は補足した。


 さっきから部長は冷静そのもの。こんな一大イベントを前にしても動揺や気負いがない。恋色エクリチュールが変わるかもっていうのに茶飲み話のような態度でいる。


「ようやく芽がでてきましたね」


 俺の疑問に答えるように、部長は言う。


「元々、蕗奈はエクリチュールの縛りを強くしようとしていました。米家さんの偽造事件を好機だとにらんだのでしょう。ですが大変な勇み足です。不満の種をばらいたようなものですよ」


 部長の言うことはもっともだ。

 記名相手を変えにくいにしても、変えられ得る、ということが重要なんだから。このまま改定されてしまえば、記名に慎重になる生徒は増え、記名率は低下するはずなのに。


「生徒たちは気づくはずです。恋色エクリチュールが必要だったのだろうかと。そこで私たちが問いかけるのです。こんなものがなくとも恋愛はできる、と」


 部長はプリントをしまうと、きびすを返し、中央のソファまで歩いていった。俺たちもそれに続く。


「パソ子さん、あれを」

「はいですー」

 テーブルのパソ子さんを起動させ、作業中の文章ファイルを見せてきた。



 私たちの恋に落ちる権利は、いつから奪われてしまったのか!?

 私たちの声を届けて、今こそ恋色エクリチュールの廃止を!!



 威勢のいい文句が並んでいる。そのしたには氏名とクラスを書く欄があった。


「署名用紙です。不満の声を生かすかたちで、廃止のための署名3分の2以上を募ります」

「部長、いつの間にこんなものを……」

「機が熟すのを待っていたのは、蕗奈だけではないということですよ」


 部長は片目でウインクをした。

 正攻法で恋色エクリチュールを廃止するのなら、この方法がいいかもしれない。今回の発議、賛成しようが反対しようが、3分の2以上あろうがなかろうが、エクリチュールそれ自体はなくならない。それだと部長の念願はかなわない。だったら生徒たちが抱くだろう不満を拾いあげて、廃止の署名へとつなげたほうがいい。


 けど集められるんだろうか。全校生徒の3分の2って、何百って数になるぞ。


「発議から1ヶ月後に投票が行われます。その期間内にできるだけ1人ひとりと対話して、署名をお願いしていきましょう。素子さん、一緒に頑張りましょうね」

「モ、モモモ、モチのロンです!」


 素子語もとこごで返事をした。

 部長は普通にうなずいているけど、伝わったみたいだな。


「品近さんには交渉をしてもらいます」

「交渉っていうのは……」

「署名活動だけでは不十分です。部活の組織票を頼らなければ勝ち目はありません。あそこは出会いを求めるほとんどの生徒が所属しているのですから」


 分かりました、と俺は返事をする。


「で、誰に頼めば組織票をとりまとめてもらえるんですか?」

「それは……」


 わずかに言いよどむ部長。

 ぎゅぅ、とソファのよじれる音がする。


「部活動全体に声をかけられる協議会のメンバーであり、人望も厚く、そして何より、文芸部からの依頼に応じてくれる人間です」

「……いや、待ってください部長」

「品近さんからの依頼なら、断られない公算大です」


 何度も諦めようと思い、それでも諦めきれなかった。ずっと思いださないようにしていた。記憶の扉にまとわりつく鉄さびがじゃりじゃりと音を立てる。


「俺だと怒らせるだけですし……」

「私や素子さんでは相手にもされません」


 学校への行き帰り道。何度も交わしてきた雑談。

 なんでもない言葉に屈託のない笑顔を向けてくれた。練習試合でも手を抜かない真剣なまな差し。


 すべてが鮮やかな色を取り戻していく。


「品近さん、米家よねや初夏はつかさんへの依頼を頼まれてください」


 米家初夏。

 女子ラクロス部の部長でありながら、部活動協議会の書記も務める、才色兼備の女子。誓約書の偽造事件の被害者として訪れていたが、自作自演であったことが露見し、今では接点がなくなっている。


「きっと米家さんであれば、恋色エクリチュール廃止に賛同してくれるはずです」

「ですが……」

「どうか。私を助けると思って協力してはいただけないでしょうか」


 部長はやおら立ちあがり、俺に頭をさげてきた。

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