3・2 弁証ほうにん

 紅莉栖先輩はすぐに2階へと戻っていった。いきなりのことだから返事はいいと。

 けど俺は中庭に突っ立ったままだった。


 ――誓約書なんかどうでもいい。


 いつどこで誰が誰を記名しようと知ったこっちゃない。だって俺には恋人どころか友だちだっていないんだし、姉ちゃんが花園学園にいるから、しぶしぶ周りに合わせているだけなんだから。文芸部での恋愛相談に応じなら、俺はずっとそう思ってきた。


(私、社君に記名して欲しい)

(品近くん、初夏を記名してあげてください)


 けど、それが初めて自分に向けられた。記名して欲しいと。


 考えたこともなかった。記名することで誰かを幸せにできるなんて。米家さんと一緒にいると楽しい。退学を避けるための全国大会出場というプレッシャーなんか感じずに、彼女がラクロスを伸び伸びとできたら、どれほど素晴らしいか。


 そう。


 米家さんを記名してしまえばいい。そうすれば、俺だって例外措置を受けようと頑張らなくてもすむ。



 不意にポケットの携帯が振動した。



「品近さん、お時間よろしいですか」


 祭門部さいもんべ部長からの電話だった。「どうかされましたか? お声に元気がないようですが」


「いえ、なんでもありません」


 部長から電話なんて初めてだった。

 急ぎの連絡があったのだと部長は言い添える。事件が解決しそうです、と。


「本当ですか!?」

「はい。そもそもこの事件の発端は――」


 部長は事件の流れについて説明を始めた。そのきっかけから現在にいたるまで。講演会のときのように、流れるような分かりやすい言葉遣いだった。その内容は単純であり、ミステリー小説のような謎などどこにもなく、誰も気づけなかった大胆な事実だった。


「本日、犯人を呼びだし、事実確認を行います」

「部長、ちょっと待ってもらっていいですか?」


 俺は気づけばそう言っていた。

 なぜですかと部長が聞きいてくる。


「状況証拠だけですし……、たとえば放課後、みんなで話し合ってからとか……」

「部室で話し合い、偽造誓約書を調べれば一目瞭然いちもくりょうぜんです」

「だったら、その……、呼びださずに、どうにか……」

「話し合いのすえ、本人が十分に反省していることを確認しなければいけません。でなければ処罰不要であると生徒会に報告できなくなります」


 もう俺は言葉を用意できなくなっていた。


「品近さんのお気持ちは分かります」


 代わりに部長が口を開く。


「ですが、それが事件を放置していいということにはならないはずです。このまま品近さんが記名したところで彼女の罪は消えません。記名後も、お互いに知らぬ存ぜぬを貫くおつもりですか? それとも罪を分かち合い、2人だけの秘密として墓場まで抱えていくのですか?」

「それは……」

「それに、これは文芸部の仕事でもあります。生徒会からの依頼である以上、品近さんの意向だけをむことはできません」


 そこまで言うと、部長は黙った。


 俺からの返答を待っている。どうするのか。決断しろと。意向だけを汲むことはできないと言いながら、部長は俺を信じている。俺ならきっと事件解決のために協力してくれるに違いないと。


 けど、部室に呼びつけるなんて真似まねしたくねえ。そうしないと解決しないってのも分かる。くそっ、決められねえ……。俺はどうすりゃいいんだよ……。


「仕方ありません」


 ついに部長はしびれを切らした。


「品近さんを巻き込むのはこくでした。私と素子もとこさんだけで動きます」

「ま、待って」

「品近さんも頑張られましたから、例外措置の申請は簡単に受理されるでしょう。もちろん彼女を記名したいのであれば、そうしていただいても構いません」

「だから待ってください、部長!」


 俺はやっと言葉を発した。


「……俺が、俺が、話をつけてきます!」


 本当は分かっていたんだ。

 俺が記名すれば、彼女を傷つけなくてすむんじゃないかって。そう思ったんだ。


 でも、そんなことをしたって仕方がない。彼女の気持ちを裏切ることになる。嘘に嘘を重ねたって意味がないんだ。


 俺は、姉ちゃんとのことにけりをつけて、あいつに気持ちを伝えるために花園学園に入学した。俺だって、俺の気持ちを裏切ることはできない。そう決意したんだから。


「そうですか」


 部長はかすかに笑っていた。


「でしたら品近さんにお任せします」

「ありがとうございます」

「ただし、あとで報告をしてください。生徒会への報告がありますから」

「分かりました」

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