逆説その3 正直な嘘つき
「今日もありがとう」
一緒に歩きながら
俺も楽しいと伝えると、彼女から白い歯がこぼれた。
俺たちは花園学園のショッピングモールをぶらついている。それは敷地の最東端にあり、校舎の東にある喫茶店、そしてグラウンドをまたいだ場所に位置していた。5階建ての建物であり、校舎よりも背が高い。中央には吹き抜け部分やベンチがあり、多くの小売店舗が納まる。さすがに一般の商業施設には
「そういえば
揺れるポニーテールが話しかけてくる。おでこの
「ぼーっとしたり、
「もったいないことしてると思うな」
「たしかに有効的な使いかたじゃないですね……」
「違う違う」
米家さんは両目を細める。
「女子に声をかければってことだよ。だって社君はもてるんだから」
「だったらいいんですが」
「もう、またそうやってごまかす」
米家さんはリスのように頬を膨らませる。ずっと一緒にいるが、こんなに楽しそうな米家さんは久しぶりだった。
朝は、米家さんを自宅まで出迎え、学校まで移動する。
昼は、時間とタイミングがあえば、昼食を一緒にとる。
夕は、ラクロス部の活動に
今日は買い物に付き合って欲しいと言われ、ショッピングモールにでかけている。1人での買い物は怖いかもしれない。
「あ、社君」
彼女は俺の腕をとると、ある店先まで引っ張った。部活を終えたばかりの二の腕が熱い。
「これかわいい!」
笑顔につられて店先の商品を見る。
手のひらサイズの黒い物体。四方八方にとげが伸びている。表面には切れ込みが入っており、そこから黄色いぶつぶつがあふれている。
「うわー、気持ち悪い」
米家さんが握りしめると、うにっ、と黄色いつぶつぶが飛びでた。ゴムでできているらしい。タグには『うに』の二文字。……まんまだな。
「これ、よくない?」
目を輝かせながら迫る米家さん。ところでこの『うに』、何に使うものなんだろうか。うにっ、として遊ぶのか?
「社君は好きじゃないかあ」
米家さんはうにを商品棚に戻した。黄色いつぶつぶが引っ込む。俺はその姿にいちご大福と同様の哀愁を感じていた。
「えっと、次のステップは……」
彼女から独り言がこぼれる。一生懸命暗記してきた何かを思いだそうとしているように見える。
「米家さん、シャーペンの芯を買いたいんで付き合ってくれませんか?」
俺は彼女の手をとって思考を断ち切るための一歩を踏みだした。
「……うん」
さっきまでのおしゃべりが
「今日はありがとう。買い物に付き合ってくれて」
「全然。俺でよければいつでも」
そうして1時間ほどのウィンドウショッピングが終了し、俺たちはモールの入口付近に戻ってきていた。俺はシャーペンの芯を購入し、米家さんはリストバンドを入手している。だからこれで買い物は終わり。
なのに米家さんはその場を去ろうとしない。彼女が動くまで俺は待つことにした。
「実は、社君に話があって」
「あ、はい」
「私って、入学したときから無記名なんだよ、今まで」
「えっ」
生徒会の指導を受けてから半年以上そのままではいられない。1、2週間くらいずれがあったとしても、2年生になることなんか不可能なはず。
「女子ラクロスってマイナーだから全国大会に出場しやすいの。1年生のとき、すごい強い先輩がいて成績を残せたから。それで部活への専念が認められたんだよ」
「そう、だったんですか」
部長に講演があるように、米家さんにはラクロスがある。
恋色エクリチュールの、別の役割を理解した気がした。恋に落ちなければならない。いくら校則で定められ、カリキュラムが組まれていても、恋に落ちない人は一定数いる。そんな生徒には恋愛以外で貢献させればいい。それが花園学園を支えることになる。
「けどね」
米家さんの声が耳を冷たくなでた。
「今年は難しいの。その先輩が卒業しちゃって、全国大会への出場すら絶望的だから」
彼女は淡々と語る。
それだけに動かしがたい現実を突きつけられる。絶望的という言葉に一切の感情が込められていなかったのだから。
「ごめんね、暗い話をするつもりはなくて」
すぐに米家さんの声に明るさが戻った。社君がどうするつもりかを聞きたかったのと続ける。
「だって社君も無記名だよね。入学したばっかりだし、誰かを記名している様子もないから」
「ええ、まあ……」
「相手に困っているんだったら、うちの部員がいいと思うよ。みんな喜ぶんじゃないかな」
「そう、だったらありがたいですね。ちょっと考えておきます……」
「嘘」
米家さんの一言は、
一瞬、何を言われたのか理解できない。温和な米家さんらしからぬ声色。
「誓約書に興味がない。ううん、恋色エクリチュールにも女の子にも、向き合うつもりがない」
「そ、そんなことはないですって……!」
「ずっと一緒だったから分かるの。社君から恋愛の話をすることなんてなかった。だよね?」
「…………」
「このままだと社君がいなくなっちゃう。そんな気がする」
米家さんは、じっと俺を見つめていた。
「最初に会ったときにね、優しそうって思ったの。私が困っていたら記名してくれるんじゃないかって。でも違った。本当はもっともっと優しかった。私のわがままだって許してくれる。不安なときは一緒にいてくれる、から」
心臓の鼓動が加速していく。どくどくと脈打つ音が、全身を包む。
「ここにいて。私の名前を使って……。私だって……、社君のこ………名したいから……」
頭が真っ白になった。
彼女のしゃべりかたのせいか、俺の心臓のせいか。とぎれとぎれにしか聞こえてこない。
耳だけじゃない。目の前にいるはずの米家さんが、ぼやけて見えている。
「私、社君に記名して欲しい」
ようやく理解できたのは、その一言だった。
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