ファンタジーゾーン
学校にクレームが入った。
「市役所のゴミ捨て場にランドセルを隠して駅前に遊びに行ってる子供がいる」
これを聞いて良いトコの奥様達は
「そんな事をするのは団地の家の子供に決まっている」と騒ぎたてた。
俺は「団地のほうがまだマシだ」という、風呂で湯船を溢れさせると水と一緒にゴキブリがたくさん流れていくような親父の会社の社員家族寮に住んでいた。
俺でさえ「アイツらだ。自重しろって言っただろ?調子に乗りやがって…。」と思っていたのに、俺を贔屓していた女教師が、
「何で団地の子って決めつけるんですか?もし違ってたら子供達に謝ってください!」と食ってかかった。良い先生だったんだろうな、いつも空回りしてただけで。
先生が張り込んでた時見つけた犯人は、たまたま団地の子じゃなかったけど、実は団地の子とつるんでた子なんだよ、今だから言うけど。
俺は家にランドセルを投げ込むと、そのまま遊びに出掛けた。母親はパートか、パートが休みならパチンコか…とにかく家にはいなかった。
今日はたまたま学校が早く終わった。
駄菓子屋ではなく駅前のゲームセンターに行く時間があるな。
当時、買い食いし、ゲームセンターに通うような悪い子でも、「5時のチャイムが鳴ったら家に帰る」という不文律があった。
ゲーセンに行くか、行かないかは「5時まで時間があるか」で決まっていた。
駅前まで5時のチャイムは聞こえていたが、もう一つ「あ、5時だ。帰らなきゃ!」と思うモノがあった。
江ノ電百貨店(現小田急百貨店)の二階の広場で、楽器用品店の女性店員がエレクトーンで「オリーブの首飾り」を演奏する時間が5時だった。
この曲は「ポリスアカデミー」という当時の映画のせいで一般には「ホモのテーマ」として定着していたが、藤沢に古くから住む人は「オリーブの首飾り」を聞くと「急がなきゃ」と落ち着かない気持ちになるのだ。
今であれば「大きな音は騒音として訴えられる」かも知れないが当時、駅前では大きな音が反響していたのだ。
名店ビルの中にあった中華料理店「銀座アスター」の『明日と言わず今日アスター』というダジャレフレーズが駅前にこだましていたのが、時代を感じさせる。
ジョイパークに一人で行った当時の俺は、ある一つのゲームに釘付けになる。
淡いパステルカラーとでも言うのだろうか。
上手く言う事が出来ない。
いや、俺ならひと言で表現出来る。
「セガの色使い」である。
スペースハリアーも
アウトランも
ハングオンも
青春スキャンダルも
ファンタジーゾーンも
すべてのゲームが「セガの色使い」であった。
コナミのゲームも「イーアルカンフー」や「ツインビー」などパステルカラーでカラフルだったが、セガのゲームの特徴である「セガの色使い」とは違う、「セガの色使い」は独特のものだった。
その時流行っていた『魔界村』は画面が暗かった。魔界が舞台だからというのもあり、わざと暗くしていたのだろう。
その対比であろうか、『ファンタジーゾーン』の画面が明るく見え、目を引いたのである。
ファンタジーゾーンの「攻略法さえ知っていれば、誰でも簡単に一周は出来る。難しいのは二周目の弾の色が赤になってから」というシステムも当時小学生であった俺には取っ付きやすかったのかも知れない。
音楽も好きであったが、最初は周りがやかましすぎて音楽は聞こえなかった。
ちなみに最終ステージの音楽『YA‐DA‐YO』には歌詞が存在する。当時発売された楽譜付きの『BEEP』に載っていた。
永久保存だと思っていた楽譜付きの『BEEP』は俺が病院に入院するまで大切に保存されていたが、入院した時荷物を整理され捨てられた。
ちなみに俺はセガの人にサインをもらう時はその雑誌にサインをしてもらっていたので『バーチャファイター』の鈴木裕氏のサインと『バーチャロン』の亙重郎氏のサインと『ソニックザヘッジホッグ』の中裕司氏のサインなどはその中にあった。
セガマニアにとってはお宝であったが、それ以外の人にとってはゴミだったのであろう。
こうして俺はセガマニアとしての茨の道を歩み始めたのである。
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