魔界村

滅多には行かないが駅前にも駄菓子屋があった。

そこでは駄菓子の他にも独楽が売っていた。

のり子屋でも独楽は売っていたが、大山ゴマしか売っていなかったのだ。

独楽を喧嘩ゴマ仕様にするためにビニールのカラーテープを独楽に巻くのだが、紫の大山ゴマにカラーテープを巻くのは「ダサい事」だと思われていた。

何がダサいのか何が粋なのか未だにわからないが緑の片瀬ゴマにビニールテープを巻くのが粋だと言われていたのだ。

ちなみに片瀬ゴマを片瀬ゴマと呼ぶのは俺が通っていた小学校では厳禁だった。

理由は「片瀬小学校の連中が良い気になるから」

片瀬ゴマの事は「藤沢ゴマ」と呼ばなくてはいけなかった。

「もう訳わかんねえなあ」と思うだろうが、本人ですら未だに意味がわからない。

俺が通っていた小学校は村岡小学校とは友好関係にあったが、片瀬小学校とは抗争状態にあった。

手先が器用で兄貴に仕込まれていた俺は片瀬ゴマの芯にベアリングを入れて、コマにビニールテープを巻いて喧嘩ゴマ仕様にする内職をしていた。

工賃は一個につき20円。その収入のすべてがゲームコーナーでのゲーム代になっていた。


「ゲームセンターって一回ゲーム100円、安いとこでも50円なんでしょ?無理無理!俺金ないもん!」俺が言った。

「じゃあ、20円ゲームコーナーがあるゲームセンターに行こうよ」

本音を言えば怖かったんだよね、だって駅前に行くだけでも怖かったのにゲームセンターだよ?カツアゲされそうじゃん。いや、取られる金は持ってなかったけどさ、金がなかったら殴られそうじゃん。


そして駅前のダイヤモンドビルの中のジョイパークへ。

略称は「ジョイパ」

「ク」くらい略さず言え…と思うかもしれないが…大丈夫だ、当時の俺もそう思っていた。


当時のゲーセンにはまだメガロ筐体(アップライト式のブラウン管を立てていた筐体)はなく、テーブル筐体(喫茶店のテーブルのような筐体、実際にテーブル筐体をテーブルのかわりにしていた喫茶店もあった)がところ狭しと置いてあった。

初めてゲーセンに行った感想は「暗いな、圧迫感があるな」というものであった。


すべてのゲーセンに圧迫感があった訳ではない。当時藤沢には「グリーンホール二階」(後のゲームインファンファン)という広くて天井の高いゲーセンもあった。だが、ジョイパークは狭くて天井が低かったのである。

そして窓は目張りしてあり、とにかく暗かった。光の反射でゲームが見えなくなるからではないだろうか?


「魔界村」を探してわかった事があった。

「魔界村は50円払わないとやれない、20円ゲームコーナーに『魔界村』はない」という事だ。


俺はフテ腐れて違うゲームをやった。たしか「ハイパーオリンピック」だった。俺と入れ替りで「ハイパーオリンピック」に座った男がポケットの中から鉄定規を取り出した。

俺は「スゲー!ゲーセンに通っているヤツはみんな攻略法知ってるんだ!」と思った。

しかし鉄定規が活躍したのは1面の100m走だけで、その後は並以下だった。


ちなみに金を持ってるヤツらは「魔界村」を50円でやっていたが3人挑戦し、2人はレッドアリーマーにやられ、1人はレッドアリーマーを倒したが、その直後の浮き島に乗れず下に落ちて死んで終わった。


こうして俺らの初ゲーセンは終わった。




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