Act.23 紙になった貴女と
「ちょっと実優さん! どうしたんですか! しっかりして下さい!」
「なんでも~ないですよお~」
恭平から降りた実優さんはフラフラと歩いて、頭から盛大にコケた。
「ちょっと実優さん!」
転ぶところなんか初めて見たぞ。
動揺を抑えて、椅子に座らせながら、肩を揺すった。
切れ長の目がトロンとして、ニマーッと微笑んでいる。
「ふふ~、だいじょおぶですよ~。ただあ~眠い~だけですう~」
何だこれ。いつもの実優さんと同じ人なのか、着ぐるみじゃないのか。
「園田先輩、ずっと夜に弱いって言ってましたもんね」
「みゆ姉、こんなに弱かったのか……」
いや、弱すぎだろ。
そりゃあ夜に弱い人はいるけどさ。1時過ぎてるし、俺達だってそれなりに眠いけどさ。
この変貌っぷりは何なんだよ。
「みゆ姉、えっと、アタシのこと分かる?」
「もちろん~分かるのれすよ~。ハオちゃんで~すよ~」
「みゆ姉さっき、帰ってきたら会議やるって言ってたんですけど……」
「ん~、ちょっと~待っててくだひゃいね~」
ヨロヨロと歩き出して黒板に向かう実優さん。
赤いチョークを持って、グジャグジャと書いた。いや、描いた。
「ほら~金魚さんです~。恭クン、かわいいですか~?」
「あ、はい…………え、これは、あの、ミスコンに関係が……?」
「いえいえ~描きたくなったんですよ~」
さっきまでと別人すぎて取扱い方がまるで分からない!
「みゆ姉……かわいいです!」
かわいいを連呼しながら、実優さんに抱きつく羽織。
「ふふ~ハオちゃんも~かわいいですよ~」
抱きつかれた実優さんは、相変わらずニコニコしていた。
「まとすけ。実優さん、かわいいのはいいけど……」
「的野先輩、どうするんですか……」
「んん、そうなんだよな……」
3人で、言葉に詰まる。
マズい。実優さんはずっとこのままなのか。
これから先の作業は、なんとなくしか把握していない。
自分の作業だって何が残っているか曖昧だ。
恭平の作業はどうする。出場者に対してやることは何が残ってるんだ。
実優さんがやってくれると思って、完全に頼っていた。
どうする。このまま実優さんがしゃんとして、ちゃんと動けるようになるまで、どうすればいいんだ。
一旦俺達も休む? いや、そんな時間はない。
パンフレットの修正も印刷も残ってる。4人で悠長に寝るなんて出来ないだろう。
不安が大きすぎて、ちゃんと体が休まる気もしない。
「的野先輩、とりあえずノートとかドレスとか取ってきますね! さっき園田先輩運ぶために炭酸部に置いてきちゃったんで」
「あ、あさみん、アタシも手伝うよ! まとすけ、すぐ戻る!」
2人で走って部室を出て行った。
隣には、寝惚けたミスドの会長。
「もう~少しでえ~ミスコンなのです~♪」
オリジナルのメロディーで歌い始める。
参ったな……1時間くらい寝れば治るかな……。
「実優さん、前にもこういう風になったときってありますか?」
ゆっくりはっきり質問する。
「わからないのですう~記憶にないですう~」
ダメか……本当にどうしようかな……。
本番に間に合うのか。企画はうまくいくのか。
不安が募って、そこではっきりと思い知らされる。
なんとかやってこれたのも、精神的に実優さんに頼っていたから。
もちろん作業の指示だって本当に助かったけど、それ以上に「実優さんがいればきっと大丈夫」という自信が自分を包んでいたから。
それがこんな状態になって、どうすればいいか、途方に暮れてしまう。
「蒼クン~? 恭クンとお~ハオちゃんは~どこに行ったんですかあ~?」
「あ、荷物取りに行ったみたいです。ドレスとかノートとか」
「ノート~? ……おお、そうそう~思い出しましたあ~」
ヨロヨロと立ち上がって、歩こうとする。
危なっかしくて、急いで肩を支えてあげた。
「実優さん、どこに行くんですか?」
「鞄に~ノート入れたんですう~」
そう言いながら、隅の床に置いてある鞄まで歩く。
「鞄の~中に~私のノートがあ~」
目隠しで探すように、ガサガサと手探りで鞄を漁った。
「蒼クン~、私ね~嬉ひかったんですよお~ふふ~」
「へ? 何がですか?」
しゃがんで話す実優さんに、肩を支えたまま聞き返す。
「蒼クンがあ~ミスドに入会してくれたとき~、去年のお~ミスコンを見て~面白かったからあ~入会しまひた~って、ふふ、言ってくれたじゃないですか~へへ~」
「あ、はい」
実優さんがコンテンツを創った、あのミスコンを見て、俺は入会を決めた。
「私達の作ったあ~ミスコンを見て~入ってくれたんだ~って。良かった~って、嬉ひかったんですよお~」
覚えててくれたんですか、という言葉を飲み込んで、話を聞く。
うん、確かに言った。もう1年半も前なのに、ちゃんと覚えててくれている。
「お~見つかりましたあ~」
黄色のノートを取り出した。
実優さんがいつも使ってる、あのノート。
席に戻って、さっきと同じ椅子に座る。
「蒼クン~、私がミスドに~入った理由~知ってますか?」
「わっ、わわっ!」
目を瞑って、俺の肩にもたれかかる。
「あ、あの、いえ、知らないです」
鼓動が高鳴る俺に構わず、実優さんは続けた。
「私も~中学のときに~ミスコン見たんですよお~。でね、企画ももちろん良かったけど~、ふふ、ミスコン作ってるみんなが~、とっても~楽しそうだったんです~」
「そう、だったんですね」
そっか。実優さんも、先輩達のステージを見て入会したんだ。
企画に魅せられて。全力で企画を創ってる先輩に魅せられて。
いつもニコニコしてるけど、こんなに安らかな実優さんの顔は初めて見た。
「良いミスコンは~良いミスドからあ~生まれるんですよ~へっへ~」
言いながら、ノートのページをぐしゃぐしゃと捲る。
「蒼クン~。ふふ~、少しの間~このノートがあ~私の代わりですよお~」
「…………え?」
開いて渡してくれたノートを見る。
そこには、綺麗な字で、何ページにも渡って、これからやる作業と、作業の注意点が書いてあった。
「この4人で~ミスコンやるのお~楽しいですよお~」
重心を前にずらして、むにゃむにゃと机に突っ伏す実優さん。
多分、今日出場者達のキャンセルを聞いてから、すぐに書き始めたに違いない。
自分が最後までもたないと考えて、ダメになってもいいようにちゃんと準備してくれていた。
俺達だけでもやれるように、整理してくれていた。
それだけで、何だか泣きそうになった。
――実優さんを好きなのか何なのか知らないけどさ
羽織のあの言葉が耳と胸に帰ってきて、ノックする。
どうだろう。どうなんだろう。
始めはきっと、好きだったのかもしれない。
憧れていて、目で追って、褒めてほしくて、見てほしくて。
今は分からない。距離が近すぎて、長くそばにいすぎて、分からない。
一緒に駆け抜けた仲間だから、すっかり戦友だから、分からない。
でも、今はどうだっていいんだ、そんなことは。どうだっていい。
自分に問いかける気もないし、その必要もない。
ホントは好きだって、そうじゃなくたって、大した違いはない。
俺が実優さんを大事に想っていることに、何の変わりもないんだから。
2年前、俺にミスコンの楽しさを教えてくれた人。
去年、俺にミスドの楽しさを教えてくれた人。
今年は俺の番。俺が、俺と羽織と恭平が、実優さんを楽しませる番。
この4人で、最初で最後のこの4人で、ミスコンを創って楽しむ番。
余っていた模造紙を床に敷いて、リボンバレッタを外した実優さんを寝かせた。
上から、俺のブレザーをかける。
その寝顔はとても幸せそうで、見てるだけで「何とかなる」と思える。
バタバタと廊下を走る音が聞こえた。
さて、実優さんの一番好きな子守唄が始まりますよ。
「ただいま、まとすけ! おわっ、みゆ姉が寝てる!」
「的野先輩、寝かせたんですか? でもこれからのオレ達の作業って――」
「実優さんがノートくれたよ。自分の代わりにしろって」
ノートを見せながら答える。
「起きるまでは、俺達でやろう」
やってやろうぜ。紙になった実優さんと一緒に、準備しようぜ。
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