第16話 ひとりぼっちのセロ弾き
け値なしに友達がいなかった。引っ越し先の住宅地は造成されたばかりで、僕と釣り合いのとれそうな子供は、まだ一人もいなかった。
本来なら幼稚園に通う年だったのだが、肺炎と小児喘息を一度に患った僕は、新築の家の中で、一日中、布団の中でただぼんやりと苦しんでいた。喉が腫れ上がっていて、食べられるものは薬とお粥とヨーグルトだけ。
楽しみはテレビのアニメや特撮、そして大学病院で月に一度買って貰える子供向け雑誌(アニメや特撮番組の特集ばかり載ってるあれだ)だった。僕が愛読していたのは、「てれびくん」というカラフルな雑誌。この手の雑誌で古今変わらないものに豪華付録というものがある。特撮ロボットのペーパークラフト、キラキラ光るシール。何より僕が執着したのは「すごろく」だった。
単純なただのすごろくではない。人生ゲームやモノポリーのように紙のお金をチップとして使うもので、僕には神の発明のように画期的な存在に思えた。誌面の完成図はまばゆく魅力的で、この上ないほど興奮したものだ。
有り余る時間を使って、アニメのキャラクタが印刷された紙のお金を一枚一枚ていねいに切り取り、厚紙のコマもすべて折って組み立てて、さて、準備万端整え、僕は母とすごろくを始めた。
だけど、あんなに胸ときめかせて始めたすごろくなのに、何か物足りない。だってそうだ、百万円横取りチャンスのコマに止まったところで、誰から百万円をとろうかな、なんて考える必要はない。母だ。僕が僕自身から百万円を奪って得る、というむなしい遊びをするのでなければ、母から奪うしかない。ゲームの帰結だってそうだ。僕が一位で母が二位。 そうでなけりゃ、母が一位で僕が二位。これ以外、あり得ない。この、色とりどりのコマは何のためにあるのだろう。
もう一度雑誌を読みなおして、大切なことに気がついた。雑誌の中では、四人か、五人くらいの子供が集まってすごろくをやっているのだ。
そうだ、世の中にはたくさんの人間がいるんだ。アンドロメロスだってメロスのほかにウルフとマルスとフロルがいる。戦隊物だって、必ず三人とか五人で戦っている。だけど、僕と一緒に何かをしてくれる人間はどこにいるんだろう。父は単身赴任に出てしまったばかりで、僕の世界において他者といえば、母、ただ一人しかいなかった。
母が家事をはじめてしまったので、僕は、一人で茶の間に残り、すごろくを続けた。今度は四つのコマを一度にふりだしに置く。赤の人。三が出た。三つ進む。道路に落ちていた財布を届けて五万円もらう。青の人。六が出た。一気に大きな数字。でも、進んだ先は残念、一回休み。黄色の人、二が出た。何もないコマ。緑の人も三が出た。赤の人と一緒に並んだね……。
ようやく、おぼろげに、すごろくがどういうものかわかってきた。だけど、やっぱり赤の人が誰から百万円をとろうか悩んだところで、僕は赤であり青であり黄であり緑であり、誰が一位になったところで、やっぱり、それはすべて僕なのだ。
僕じゃない誰か。僕じゃない誰か。
赤のコマをそっと進める。この赤は、僕じゃないとしたら、どうだろう。。この赤のコマの人は……赤い色の好きな、僕とは違う子供だ。そう、胸の中で言い聞かせてみる。僕は青が好きだ。だけど、この子は赤が好きなんだ。僕と違う子供。僕の、友達。そうだ、この子は僕の友達だ! 僕によく似た、でも違うところもある友達。そうだ、友達なんだから名前があるはずだ。うん、君はあかだ。一緒に遊ぼう。
それからコマを手に取り、僕は様々な人間を、四歳児の思いつく限りの人間を思い描いた。男の子。女の子。おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさん……。一人一人に名前をつける。たくさん友達ができた。さあ、一緒にすごろくをやろう。
すごろくの盤面に向かう。僕はお気に入りの青のコマをとる。残りのコマは三個だ。僕と一緒に遊ぶのは誰? あかは僕のお気に入りだから、いつも一緒に遊ぶ。あかのコマはもちろん赤。誰が黄色のコマを選ぶ? 緑は誰? よし、今日は僕、あか、よん、おじいさん、で遊ぼう。
最初にじゃんけんで順番を決めよう。決まったらサイコロを振る。僕が振って、おじいさんが振って、あかが振って、よんが振って……。あ、よんが、あかから横取り百万円だ。よし、僕は三十万円を誰かに渡すコマに止まった。よし、あかを助けてあげよう。楽しいね。友達みんなですごろく、楽しいね。
僕は一日中、あかと過ごした。お気に入りの絵本を読む。お店や町の様子が描かれていて、それぞれ全部に名前が説明されている本だ。ほら、あか、これが、すべりだい。ぶらんこ。シーソー。僕はひらがなもカタカナも読めるよ、漢字も少し読める。絵の中の子供たちはみんな楽しそうに、駆け回っている。いつか、実物に乗れる日が来るのかなあ。ねえ、あか。
ある日、母が遊んでくれるという。僕は迷わずすごろくを選んだ。今日は僕と、おかあさんと、あかと、三人で遊ぼう。三つコマを取り出す。赤はあかの、青は僕の、おかあさんは、緑か黄色ね。好きなの選んで。赤はだめだよ、あかが使うんだから。赤はあかのお気に入りなんだよ。だから、あかっていうんだ。
サイコロを振るよ。まずは僕。一、二、三。次はおかあさん。四がでたね。はい、じゃあ次はあか。サイコロを振るよ……二だ。じゃあ、次は……違うよ、おかあさんの番じゃないよ、次は僕だよ。え、さっき振ったでしょうって? 違うよ、さっき 振ったのはあかだよ、僕じゃないよ、今度が僕の番なんだよ!!
「ぜんぶ、あなたでしょう」
「そんな子、どこにいるの」
僕はおかあさんに一生懸命説明した。僕は青が好き、あかは赤が好き、あかはよんにいじめられるけど、僕はいつだってあかを助けるし、あかにいろんなことを教えてあげる。あかは僕のそばにいてくれる、あかだけじゃない、よんも、おじいさんも、みんな、いるよ! 僕の友達なんだ!!
「あなた、一人しかいないのよ」
そう言った時の、揺らいだ母の表情。
本当は知っていた。
僕がさいころを振って、はい、次は赤のあかの番だよ、と手渡したって、僕の右手から左手にサイコロが移っただけだってこと。あかがよんにいじめられるのは、僕がそう決めたから。順番決めのじゃんけんだって、左手があかで、右手が僕ね、って決めてるんだ。
そんなの、そんなの、わかってる。
でも僕は一人なんだ。友達なんか一人もいないんだ。だから、だから。否定しないで! 僕の友達を、否定しないで!!
溢れるばかりの感情を言葉にする術は、なかった。だから僕は、わあわあと泣いた。友達も欲しかったけど、僕の世界でただ一人、本物の人間である母に去られるわけにはいかなかった。
僕は、二度と友達のことを口に出さないように生きるほうを選んだ。やがて、僕の周りから、あかも、よんも、おじいさんも、みんな、みんないなくなった。
その代わり、母が買い与えてくれた玩具で遊ぶようになった。戦隊ヒーローや、ウルトラマン、仮面ライダーの似姿。
いくぞスカイライダーキック! 80のへそビーム!! がきーん! がきん、がきーん! 80とデンジレッドは仲良しだ。スカイライダーは、強いけどいじわる。
目に見える形を持つ彼らなら、母も「いない」とは言わなかった。
僕には友達を持つことは許されない。僕は、マンガやアニメを見るように、誰かと誰かが、笑ったり、戦ったり、やっているのを見ていることしかできないんだ。
ずっと、そう思っていた。
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