二〇〇九年九月二十一日 釧路
第6話 中野さんと雪虫
狩勝峠を越えてたどり着いた道東、釧路駅はうみねこがニャアニャアと鳴いていた。今朝、出てきた富良野駅が「北の国から」を流していたことを考えると、ずいぶんな違いだ。ホテルに荷物をたたき込み、僕らは釧路の街へと歩きだした。観光案内所で運命のように、あるチラシを見つけてしまったのだ。
それは墨絵のように美しい、ある一本の木の写真だった。その特徴的な画は、僕の好きな写真家の展示会が釧路で行われていることを示していた。
中野さんには宿で休んでいていいと言った。けれど、僕が考えていたより負けん気の強い彼女は「私だって、興味があります!」と果敢に言い放ち、かくして釧路の街を僕と歩いている。
知らないことを知りたい、なんでもいいから知らない何かをたくさん身のうちに蓄えて、己という大きな果実を甘く豊かに実らせたい。そんな衝動に彼女は付き動かされているようだった。彼女の会話から漏れる意識のレベルは、高校一年生としては恐ろしく高い。ギターだって相当上手なようだし、成績も悪くないようだ。だいたい、今、すごくなくたって、これから何かを始めても十分にすごくなれる年齢だっていうのに。彼女は何を急いでいるのだろう。
「うわっっ!! なんですかこれ!!」
暖かい日差しの町中を、雪虫が飛び交っていた。寒くなる前触れだという、白い、綿毛のようにはかない羽虫。
「雪虫だよ、知らないの?」
「し、しりません!」
僕の服に、彼女の髪に、一面に、雪虫がまとわりつく。中野さんは一生懸命腕を振り回して虫を追い払うが、後から後から、雪虫がまとわりついてくる。ぽん、と服をたたくと、死んだようにじっとしていた彼らが、一斉にわっと飛び立つ。彼女の頭をぽんぽん、と叩いてあげると、彼女の頭からも大慌てで飛び立っていく。
「みんなどこに行くんでしょう」
「きっと、寒くなる前に暖かく過ごせる場所を探しているんだよ」
雪虫を追い払った時に触れた彼女の髪は、ふんわりと温かかった。
「暖かい場所、ですか。……軽音部、みたいですね」
釧路の町は思っていたよりも海に近くて、僕らはいつの間にか港まで出ていた。目的の釧路芸術館は、少し通り過ぎて、後ろだ。
「私、はやく、すごい人間に、なりたいんです」
「そんな感じ、するよ」
わかりますか、と彼女は恥ずかしそうにうつむいた。ほら、入ろうよ、と僕は芸術館を指した。
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