二〇〇九年九月二十日 富良野

第4話 中野さんと空知川

「私、こういうとこ、あんまり歩いたことないです」

 ライブ会場との直線距離で適当に選んだ宿はスキー場まで徒歩五分、富良野駅まで徒歩一時間という見事な立地だった。坂を登り、やっと思いで辿りついた宿に荷物を置いて、再び、山をだらりだらりと下って歩く。ふもとまで降りる直前で、空知川沿いの道へと折れる。途端に、歩道もある広い道から舗装されているかも定かでない、砂利だらけの道に化けた。右手には迫る山肌、左手には空知川。中野さんの表情も曇っている。

 こういうところって? と尋ねると、アスファルトに覆われていない、標識もない、道だという。怖い? と聞いてからかいたくなる。だけど、その度にふくれっ面になって口をきかなくなってしまうのは面倒くさい。ただ、道あってるよーと地図をふって見せた。

 川向こうの国道からは、時折、車の行き交う音がする。あの気配の方向がはっきりしているうちは大丈夫。迷っていない。たとえば札幌のようにどこもかしこも碁盤の目、人の気配だらけのような土地のほうが僕の土地感覚は狂ってしまう。現に札幌はこっぴどく迷った。

 彼女を不安がらせないように、無言できびきび歩く。少し彼女より先んじては写真を撮り、先に行った中野さんを追いかけてはまた撮り。

「どうして、そんなに写真、撮るんですか?」

 どうしてだろうねえ。僕は記憶力が悪くて、好きなことでさえ覚えきれないから、誰か他人に気持ちを覚えていてほしいのかもしれないね。そんな、気恥ずかしい自分語りのするりと漏れる夕暮れ。こんな年下の女の子に、僕は、なにを言っているんだろう。

「記録じゃなくて、記憶ですか」

「そういう写真になるといいけど」

 道が大きく曲がって、土手が見えてきた。山肌と別れて、一気に視界が広がる。陳腐な言い回しだけれど、空が広い。中野さんがわあ、綺麗な雲! と声を上げた。さっきまで付きまとっていた不安も空に消えていったみたいだ。彼女に、コンビニで買った肉まんを渡す。さっき買ったばかりなのに、もう表面がぱりぱりと冷めている。後ろを振り返ると、山の稜線に日が見え隠れしていた。

「雲ってあんなに大きいんでしたっけねー」

「北海道はなんでもでかいからなー」

「雲もですか!」

「もちろん」

「ほかには?」

「道路」

「あとは」「畑」「はい」「カニ」「……はい」「トウモロコシ」「えー」「……ごめんなさい」

 ひときわ背の高い山を雲が取り巻いている。構図があまりにも決まりすぎていた。よく山にかかる雲で季節がわかるなんていうけど、あの、一服の絵みたいな光景には、どんな意味があるのだろうか。

「肉まんの皮って冷めると甘くなるですね」

 開けた土手を渡る川風が冷たい。遠くに目指す橋のアーチが見える。晴れか雨かは、わからない。だけど、今夜は冷え込みそうだ。

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