第2話 中野さんと乱気流

 今日の飛行機は揺れるおそれがあるのだという。アナウンスが淡々と告げている。日本に近づいているという、台風14号の影響だろうか。離陸前の轟音の中で、中野さんがおそるおそる僕の顔を見上げる。

「揺れるって、どんなふうなんでしょうか」

 ここぞとばかりに、僕の飛行機初体験、観測史上第二位の強風が吹き荒れた仙台フライトの話をすると、面白いくらい中野さんの顔色が変わっていく。着陸タイミングがとれず、機体は大きく傾いたまま仙台湾の上を何度も何度も回り続ける。ひどい二日酔いなのにトイレにもいけずエチケット袋を握りしめた僕、その揺れたるや。上下の浮遊感が実に胃の腑をえぐる厳しい波状攻撃。

「飛行機乗ったことないの?」

「家族で九州に行ったことはあります。あ、松山も。けど、そんなに酷く揺れたことなんて、一度も」

「どんな揺れだってお酒飲んでなきゃ大丈夫! 本当にだめなら飛行機は飛ばないよ」

 と、彼女の気持ちをおもんばかり励ましてあげたら「またそうやって適当なことばかりいって」とふくれられてしまった。 

 人生でも好きな瞬間ベスト10に入る離陸が終わり、椅子を倒してもいいアナウンスが流れた頃、中野さんが窓のほうを見ながら、ぽつぽつと話始めた。

 話は主に彼女の父のことだった。一時はジャズミュージシャンを志したお父さん。それを職業にすることは叶わなかったが、今でもお父さんの生活は音楽を中心に回っているのだという。彼女は小学四年生の頃から本格的にギターを習っているそうで、推測するに英才教育を受けた相当の手練れのようだ。だけど、彼女は自身の演奏を「まだまだ」と謙遜していて、僕は一度も聴かせてもらったことがない。

 彼女は言う。自分の演奏を聴いて「上手」とはみんな言ってくれる。だけど、「いい!」とは、まだ、言ってもらえない気がする。自分も父のように愛される演奏がしたい、と。

 どうやらこの北海道行は例の海で作詞する先輩やら、初歩的なコードすらど忘れしてしまうのに本番では、眩いばかりに魅力的な演奏をする先輩、素敵な素敵な先輩たち、に近づくための第一歩だけでなく、お父さんに近づくための第一歩でもあるようだった。

 そうこう話していると、ぽーん! という甲高いシートベルト着用のサインとともに、機体が小刻みにふるえだした。次第にふるえは大きく育ち、横に揺れ、縦にすっと浮遊感をともなって落ちる。前の座席の方から、きゃーという、妙にはしゃいだ子供の声が聞こえた。しかし揺れというほどの揺れではなく、これが揺れだというならボロいディーゼルバスの方がよっぽど揺れる。もっと揺れないかな、と思っていたらどうやら顔に出ていたらしく、中野さんにとても渋い顔をされた。

「こわいの?」

「こどもじゃありません」

 毛布を握り締めている小さな手を開かせて、僕はキャビンアテンダントのお姉さんに貰った飴をのせてあげた。

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