第4話 ライバル

●真之助視点




 昼休み。


 まことは今朝の大胆不敵な遅刻のため、聖子先生に呼び出しを食らうことになった。


 職員室へ向かう項垂うなだれた頭は、いつにも増してしょんぼりと小さく見える。


 私はどうせ他人事だからと真の肩を気楽に叩いた。


「ほら、よく言うじゃないか。物事はすべて中立であって、そこにポジティブかネガティブかの意味づけは本人が決めることだって。遅刻をしたということは考えようによっては、いつもより睡眠時間をたくさん取れたんだから、よかったじゃないか」


「誰のせいで寝坊したと思っているんだよ!」


 私がホラー映画のマネをしたことを、真は未だ根に持っているらしく、キャンキャンとよく吠える小型犬の如く食って掛かってきた。私はワンコをなだめるのに効果的な甘い言葉おやつを与える。


「寝る子は育つとも言うよ。そういえば、昨日よりも一センチくらい身長が伸びた気がするような、しないような」


 すると、プリプリしていた真が一瞬で満更でもない顔になるから、単細胞はとても扱いやすい。猫背がちになっていた背筋が別人のようにピンと伸び、私は犬に芸でも仕込んだ気分になる。


 職員室は人がまばらであったため、すぐに聖子先生が真の入室に気がついてくれた。


 聖子先生のキリリと上がったまなじりが向けられた途端、先ほどまで自信満々に伸びていた真の背筋がリストラにあったサラリーマンのように丸くなって縮んだ。


「最近はきちんと登校してくるようになったから見直していたのに、今朝は随分な遅刻ですね」


「すみません」


「明日は遅刻しないように頑張るのよ」


 俯いた真に聖子先生は溜め息を洩らすと、「ところで」とここからが本題だとでも言わんばかりに声に緊張感を混ぜ込んだ。


「平沢君が休んだ理由を知らないかしら? 今朝、お母さんから電話があって、『学校に行きたくない』と言って部屋から出てこないらしいの。崎山君は平沢君とも仲がいいから何か事情を聞いているかと思って」


「い、いいえ。何も知らないです」


 シレッと嘘をつけないところが真の長所だと思う。嘘をつくときは必ず言い淀み、言葉をつかえる。


 聖子先生も真の癖に気がついているのか、疑いの眼差しを向けた。


「昨日の持ち物検査で嫌な思いをしたとか聞いていない?」


「な、何も」


 まさか平沢君が財布を盗んで、友人A君のカバンの中に入れたとは言えない。真は忙しく瞬きを繰り返し、天井に答えが書いてあるわけもないのに視線を泳がせた。


「それじゃあ、もうひとつ訊くけど」


 真が天井から答えを見つけ出すよりも先に聖子先生が話題を変えた。


「芦屋君はどんな具合なのかしら?」


 今度は淀みなく真が応えた。


「あいつなら元気ですよ」


「なら、よかったわ。何度か電話をかけてみたんだけど、出てくれなくて」


 友人A君は学校を休んだ。そのことは昨夜LIMEのやりとりで事前に話を聞いていたから、いざ欠席をしても特別驚かなかったけれど、真の隣が空席だとやっぱり三年一組に物足りなさを感じた。


 友人A君は持ち物検査が相当堪えたらしい。当たり前だ。多感な時期の少年少女にとって除け者にされることが死活問題なのは想像に難くない。


「持ち物検査は私の不手際だわ。みんなの異変に気がつかなかったなんて、私も教師としてまだまだね。芦屋君には本当に可哀想なことをしたわ」


「先生が気に病むことはないと思います」


「放課後、芦屋君の家に行ってみようと思うんだけど」


「それは友人Aのストーカー行為を助長させるだけだから、絶対にやめた方がいいですよ。あいつのことは心配いりませんって。今頃家で寝ているか病院にいるかですから」


「病院?」


「昨日の聖子先生のクッキーで腹を壊したから──ああっ!」


 うっかり口を滑らせたと、真が助けを求めるように視線をよこしてきたが、生者間の問題は私にはどうすることもできないから、お手上げだと両手を挙げてみせた。そして、面白い展開になってきたなと隣の空席に腰を下ろす。真の恨めし顔を受けながら、リビングでくつろぎテレビを見るかのように二人のやり取りを眺めることにする。


「まさか、芦屋君は私のクッキーでお腹を壊したの? 崎山君は大丈夫だったの?」


 真は前のめりになった聖子先生の追及に隠し通せないと観念したようで口を割った。


「生憎、オレはクッキーを友人Aに横取りされたので食べてないんですよ……」


「そう。私、またやっちゃったのね」


 聖子先生には思い当たる節があるようだった。紅潮した顔を両手で覆い隠し、小さな悲鳴を上げた。それから、居心地悪そうに真を仰ぎ見る。


「昔からそうなの、私がお菓子や料理を作るとみんなこぞってお腹を壊すのよ。高校のときね、お菓子作りが得意な親友から教わったジンジャークッキーのレシピ通りだったんだけど……。上達したはずだったんだけどなぁ。もう自分の腕が信じられない」


「ひ、人には得意不得意がありますって」


 サディスティックな聖子先生の意外な一面に、動揺を隠せない真がフォローにならないフォローをした。


 私が今座っているのは二階堂先生の席だった。奇妙なほどに整頓され、ひっそりとしているところを見ると、二階堂先生も欠席しているのかもしれない。きっと聖子先生の手作りクッキーが原因なのだろうなと思い、私はひとりクスクス笑う。


「オレも聞きたいことがあったんですけど」


 教室に戻っていいと許可が出されたあとに真が訊ねた。


「三田村さんってどういう人でしたか?」


「どうって。ちょっと冴えない恰好はしているけれど、立派な刑事さんよね」


「……ですよね」


 真は三田村さんに会うことを躊躇ためらっているようだった。彼が信用できる人物か否か、判断しかねているのか、もしくは孝志たかし君の死の真相を知ることが恐ろしいのか、はたまたその両方なのか。


 苦悩と煩悶で真の童顔が強張り、にわかに大人びた顔つきを見せた。


 頭を下げ、職員室をあとにする。聖子先生は首を傾げ、不思議そうな顔で私たちを見送った。



 * * *



 廊下に出ると、委員長の宮下君が真を待ち受けていた。


「ちょっといいか」


 そう言って連れてこられたのは自販機とベンチが設置された小さな休息所だった。


 階段下のデッドスペースを利用して作られたこの空間は上階の生徒たちのはしゃぎ声が反響し、静寂が際立っている。


 二人はベンチには腰を掛けず、距離を保ったまま、毛を逆立てた猫のように一触即発のヒリヒリとした空気を放出して睨み合う。


「聖子先生と何の話をしていたんだ?」


「お前に関係ねえだろ」


「関係はある。僕は三年一組の委員長だからな」


 宮下君は威圧的な態度で腕を組んだ。委員長としての権力を存分に振りかざした格好だけれど、真にはうまく作用しないようだった。


 真は絶対的な権力に盾をつく民衆のように益々苛立ちを募らせ宮下君に噛みついた。


「いちいち宮下に報告する義務はねえよ。いいか、お前が正義の味方を気取っているお陰で傷ついたやつがいるんだぞ」


「芦屋君のことを言っているのか」


 丸い眼鏡がキラリと光り、宮下君の目が三日月のように細められた。


「大方、聖子先生との会話も想像はついている。どうせ芦屋君が欠席した原因は僕にあるとでも言っていたんだろう」


「わかってんじゃねえか。友人Aが休んだのは宮下のせいだ。お前が持ち物検査をしたせいで無実の友人Aが犯人に仕立てられたんだからな。宮下は冤罪を作り出したんだ」


「何とでも言えばいい。結果的にそうなったのは否めないからな。僕は自分の失態を受け入れるだけだ」


 売り言葉に買い言葉で、しばらく口論が続くものと思ったが、そうではないようだ。


 宮下君が先に剣尖を下げのだが、相変わらず高圧的な物言いだから、真は喧嘩を売られていると勘違いしたようで、一度は威嚇するために顔を近づけたものの、言葉の意味を理解してたじろいだ。


「自分の間違いを認めんのかよ」


「失敗は成功するためだけにあるんだ。僕は転んでもただでは起きない。もう二度と過ちを起こさない」


「どんだけの自信だよ。なあ、どうしてそんなに友人Aを目の敵にする必要があるんだ?」


「それは」


 言うか言わないか逡巡したのか、宮下君は金魚のようにパクパクと唇を動かした。その隙間から発せられた声は隙間風のように弱々しく震えている。


「……だからだよ」


「何だって?」


「ライバルだからだよ」


「は?」


「聖子先生のことを好きな男が芦屋君だけだと思うなよ」


 宮下君の吐き捨てるような告白を受けて、真は笑った。その声が上階にこだまして、複数人が笑い声を上げているように聞こえる。プライドの高い宮下君にとっては耐え難い状態だ。


「だから崎山には言いたくなかったんだ!」


 そうムキになって怒る丸眼鏡の奥には恥じらうような色がはっきりと見て取れた。


 ひとしきり笑った真が涙をぬぐいながら、顔を歪める。


「ライバルだったら正々堂々と戦えよな」


「明日──」


 宮下君は一度言葉を切った。話の続きをしたときにはすでに背を向けている。


「明日は芦屋君を学校に連れてきてくれよ」


「言われなくてもわかってるって」


 きっと明日も遅刻するであろう真は気やすく大言壮語を口にした。


「宮下と友人Aは絶対気が合うから、一度話してみろよ」


 宮下君は「大きなお世話だ」とでも言うように、手のひらをパタパタと動かし、そそくさと立ち去った。


 私たちは教室に戻る途中、成瀬さんと鉢合わせをした。成瀬さんは透明人間に接するかのように真に一瞥もくれず階段を下りていく。


 真は振り返り、その後ろ姿に笑顔を向けた。「寿々子すずこさん」と小さな声で名前を呼び、そっと手を振る。


 生憎、寿々子さんはもういない。


 昨日、成瀬さんがサラリーマン風の男性を追いかけたあとのことは想像するより他ないが、守護霊が交代したことで、皮肉にも成瀬さんは生きている。


 あまりにも悲しい寿々子さんの顛末を、私は伝えられずにいる。

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