第3話 刑事ふたたび

●真視点




 遅刻をすれば、聖子先生の弾丸チョークの餌食になってしまう。


 そのだけは絶対に避けるため、朝食は取らず玄関を飛び出すと、早速行く手を阻まれた。


 門扉の前に黒い乗用車が停車していたのだ。見知った顔の男女が車に凭れるようにしてこちらを見ている。


 オレに気がつくと男の方が気さくに手のひらを見せた。


「おはよう、まこと君。久しぶり、元気だったかい?」


 中学生に間違われ、警察に補導されたときに、しつこい少年係の刑事からオレを助けてくれた三田村さんとそのバディの安藤さんだった。


 人懐っこい笑みを浮かべる三田村さんに対して、安藤さんは相変わらずの無表情で眉ひとつ微動だにしない。表情筋が完全に凍り付いている。「氷の軍曹」。真之助が面白がってつけたあだ名を思い出した。


 なぜ、二人が家の前にいるのだろうと不思議に思ったとき、昨夜、加奈が言い放った言葉が電流のように駆け抜けた。


『一昨日、警察の人が家に来たんだって。おじいちゃんの事件を再捜査するって』


 警察の人──。


 まだ真之助が怨霊のふりをしていた頃だった。あとを追い駆けまわされ、命からがらやっとの思いで帰宅したとき、「ばあちゃんの客人」のものと思われる靴が玄関に並んでいた。


 一足は羽化に失敗したカブトムシのようなヨレヨレの革靴、そして、もう一足は女性に人気があったスニーカー。


 二人の足元に目を落とせば、あのとき三和土たたきにあった靴をそれぞれ履いているではないか。


 加奈はオレの急所を正確に突くために、じいちゃんの「事故」を、いつもあえて「事件」と表現する。しかし、今回再捜査すると言ったのは、あながち嘘ではないのかもしれない。


 威嚇するハリネズミがトゲを逆立てるように、警戒心が一気に毛穴から噴き出した。「これ以上近づいたらトゲで刺すからな」と警告をするつもりで三田村さんに向き合った。


「久しぶりと言っても、一昨日会ったばかりですよ」


 トゲを帯びた物言いに三田村さんは苦笑する。


「朝は苦手かい? ご機嫌斜めだね」


「オレに何か用ですか? こっちは遅刻寸前なんですけど」

 

「それじゃあ、手短に話そうか。一昨日、キミは職質を受けたときに嘘の住所を教えたね。それで興味を持って真君のことを少し調べさせてもらったんだ。キミ、崎山孝志さきやまたかしさんのお孫さんなんだね。そんなに俺たちと関わり合いになりたくなかったかい?」


 三田村さんの口調にはオレを咎めるような色は滲んでいなかった。むしろ、穏やかで紳士的だ。しかし、これは表向きの態度かもしれないと気を引き締める。


「じいちゃんのことでいろいろと勘繰られるのが嫌だったから嘘の住所を言いました。でも、あれって任意ですよね。オレは何かの罪に問われるんですか?」


「なかなか言うねえ。ただ単に俺の好奇心が刺激されたんだよ」


「好奇心?」


「そ。個人的な興味、さ」


 三田村さんは無精ひげを撫でてから、試すような視線をオレへ向けた。挑発されているのだとわかり、何か言葉を返さなければと脳内の引き出しを開けたとき、


「あの、私の個人的な興味ですが。もしかすると、三田村サンはBLに興味がおありなのでは?」


 唐突に割っていった感情の乗らない声が、三田村さんの出鼻を挫いた。安藤さんが挙手をしている。


「……安藤、キミね。いきなり誤解を生むようなことを言うんじゃないよ」


 否定する三田村さんに安藤さんはぐんぐん迫った。


「火のない所に煙は立たぬ、と言います。どうなんですか、興味があるんですか、ないんですか。期待していいんですか、ダメなんですか。ハッキリしてください」


「期待って……落ち着け、安藤。火のないところに勝手に火を放ったのはキミの方だ。俺が興味あるわけないだろうよ」


「いいえ、三田村サンは暗に匂わせていました。声が裏返っているのが何よりの証拠です」


「そんな」


 二人はまるで猫と猫に追いつめられたネズミのようだった。


 無表情で一歩ずつ確実に距離を詰める安藤さんと、怯えの滲んだ表情で後ずさる三田村さん。勝負の行方は火を見るよりも明らかだ。安藤さんが三田村さんの鼻先にズイッと顔を寄せたとき、決着はついた。


 三田村さんが地面に尻もちをつくと、安藤さんは満足したのか仕事を終えた殺し屋のようにあっさりと引き上げて、オレの目の前に立った。圧倒的な安藤さんの雰囲気に飲み込まれ、思わずたじろぐが、安藤さんは逃がすまいとして、オレの肩にグッと手を乗せた。女性にしてはかなりの力だ。


「崎山クン。アナタ、三田村サンに気をつけた方がいいみたい。狙われているわ。これは忠告」


 んなアホな。


 ほとんど強引に話をまとめる安藤さんは、物語の結末で慌てて帳尻を合わせる三文小説のように無理があったが、そこで異論を唱えるほどの勇気は持ち合わせていなかった。


「……はい、気をつけます」


 安藤さんの圧力に根負けして、無理やり顎を引かされたと言っていい。骨の髄まで凍らす寒風が通り過ぎて行った……。


 帰り際、三田村さんは運転席から憔悴しきった顔を出した。こちらが気の毒になるほど無理やり笑みを張り付けている。


「大事なことが後回しになって悪かったね。本当はキミのおじいさんのことで話があったんだ」


「再捜査の話ですか?」


「そのことも含めて、ゆっくり話そう。夕方、桜並木駅で待っているよ」


 そして、三田村さんは前方に顔を戻すとおもむろに胸ポケットからタバコを取り出した。節くれだった指で一本引き抜き、咥えようとしたところ、助手席から張り手のような勇ましい声が飛ぶ。


「車内禁煙です」


「平成が懐かしいよ」


「今は令和ですよ。後ろを振り返ってばかりではちっとも前に進めませんから、早く車を出してください」


 刑事二人を乗せた覆面パトカーが嵐のように走り去ると、息苦しさを伴う不安が心のど真ん中に居座っていた。


 放課後、三田村さんたちに会うべきか、否か。正直、すぐに答えは出そうにない。


 じいちゃんの話に興味がないと言ったら嘘になるが、三田村さんの話があまりにも漠然としていて要領を得ず、真意がわからなかったからだ。


 わからないからこそ不安は大きく膨れ上がる。


 じいちゃんの事案が再捜査される件は家族を代表して、すでに、ばあちゃんに伝えられていることであるし、わざわざ、刑事が自ら出向いてオレに話をする必要性を感じないのだ。そもそも二人は現在、聖子先生が巻き込まれた通り魔事件の担当ではなかったか。


 三田村さんが冗談で言ったように「個人的な興味」に則って動いているとすれば話は別だが、バディの安藤さんがいる限り、まず許さないだろう。するとこれは警察の意向か。


 再捜査が始まれば、オレがあの日、じいちゃんに吐いた呪いの呪文が再び白日の下にさらされるのは必至だ。


 まさか、二人は呪いの呪文を唱えた容疑でオレを逮捕するために現れたのだとしたら?


 仮にもしそうならば、じいちゃんを死に追いやった罪の意識から少しは解放されるというものだが、残念ながらそんな話は今まで耳にしたことがない。丑の刻、藁人形に五寸釘を何本打ち込もうとも、他人を呪った容疑で警察に逮捕されることはないのだから。


 あれこれ考えを巡らせたが、次第に自分の憶測がバカらしくなってきた。思考の残像を消すために頭を軽く振り、自嘲する。


「よかったじゃないか」


 口元から嘲笑が消えるタイミングで、ずっと黙っていた真之助が言った。ひとり蚊帳の外にいたから、余程時間を持て余していただろうと思いきや、そうでもないらしい。なぜか、楽しそうにニヤニヤと笑っている。


「成瀬さんに振られたばかりだけど、新しい恋の予感がするね」


「ないない。安藤さんは可愛いけど、氷の軍曹だぜ」


「違うよ。三田村さんの方だよ。三田村さんはBLなんでしょ」


「はあ?」


 安藤さんからバトンを受け取って、からかっているのだとわかった。


 真之助はオレが怒り出すのを見越して、すでに駅の方向へ逃げている。


「もっとあり得ねえよ!」


 オレは全速力で追いかけた。

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