第14話 妹

●真視点

  



 本当にうっかりしていた。


 成瀬さんに頬を強かに張られた衝撃で現実が一気に戻ってくると、バイトの面接が入っていたことを思い出した。


 すぐさま、ぼんやり呆けている真之助を回収し、駅まで疾走。電車を降り、証明写真を撮って、目的のファミレスへ直行した。


 一番奥のテーブルに通されるとすぐに店長と思われるいかつい男性がやって来るなり放たれたのは、不機嫌なオーラだけではなかった。


「坂本君の紹介だから一応は面接するけれど、うちは時間を守れないスタッフはいらないんだよ」と開口一番に不採用宣言を言い渡されたのだ。


 それもそのはず。予定時間を大幅に遅刻している。


 せっかく声をかけてくれた坂本のメンツのためにもオレは誠意を見せるため、ひたすら頭を下げ、「そこを何とか」としつこい訪問販売員のように粘り強さを見せたが、店長の意志は変わらないどころか、ますます強固なものとなった。


 ものの数秒履歴書に目を滑らせただけで、ごみ箱に紙くずを投げ捨てるようにして、投げ返してきたのだ。


「崎山君は本当に坂本君の友達なの?」


「はあ、小学校の頃から」


「坂本君は優秀だよ。時間はしっかり守る、これまで欠勤は一度もない。女性客からの人気もある、気配りだって社会人顔負けだ。それに比べて」


 店長は大きな溜め息を吐くと、羽化に失敗した昆虫に寄せるような同情を浮かべた。


「時間を守れない子は大概にしてルーズでいい加減なんだよ。どうせ、君は学校も遅刻して、授業中は居眠りしているタイプだろ? そんなぬるま湯の浸かったままの気持ちで働いてもらっては周囲のスタッフの士気に関わる。坂本君の代わりは到底務まらない」


「代わりって、坂本は辞めるんですか?」


 寝耳に水だ。坂本からそんな説明は受けていない。食い気味に訊ねると、店長の皮肉に拍車がかかった。


「本当は坂本君にアルバイトを続けてもらいたいんだけど、もっと時給のいいところで働きたいと言われたらお手上げだよ。うちだってよそと比べて安い方じゃないんだ。逆に訊くけど、今どきの高校生って、一体いくらの時給を貰えば納得してくれるの?」


「オレはまかないが美味しければ、安くても働きますよ」


「それはうちの料理が不味いと言っている?」


「決してそういう意味じゃ……」


 坂本がここを辞めたい理由が何だかわかった気がした。高時給のバイトを探すと言ったのは建前で、本当の理由は店長に問題があるに違いない。遅刻した負い目も、店長のふてぶてしい対応のお陰でだいぶ身軽になり始めている。


「使えない子はとっとと帰った──」


 しかし、不遜な態度もここまでだった。虫でも追い払うようにヒラヒラとさせた手がピタッと止まり、顔が強張っている。


 視線を辿り驚いた。


 ちゃっかりオレの隣に腰を据えた真之助がスイーツ専用のメニューを見ていたのだ。


 ページを捲り、また戻し、どのスイーツを食べようか迷いあぐねている。


 さらに、頬を上気させ、少年と見間違う潤んだ瞳をキラキラと輝かせて。


「ねえ、面接が終わったらこの季節限定のフルーツパフェを食べて帰ろうよ。限定商品は消費者の購買意欲を煽る企業の戦略だってことくらいわかってはいるよ。でも、スイーツの前では勝ち負け関係なく、常に平和的であるべきなんだ」


 訳のわからない持論を展開させ、真之助はそのまま呼び出しボタンに指を伸ばした。


 店長の動揺に追い打ちをかけるよう、呼び出し音が鳴り、レジカウンター上方にテーブル番号が表示される。


「メニューが宙に浮いたり、呼び出しボタンが勝手に反応したり、これは一体……」


「マジック……そう、オレの特技のマジックです」


 フロアに尻をついてしまった店長に頭を下げて、オレは逃げるように店を出た。


「フルーツパフェを食べ損ねたじゃないか」


「死んでいるくせに何してんだよ!」


 真之助もスイーツ男子とは血は争えないものだ。



 ※ ※ ※



 帰宅後、すぐに夕食を取り、水恐怖症にとって一番過酷なシャワーの時間がやってきた。


 オレは浴室でシャンプーハットをかぶり、髪を泡立てながら、脱衣所にいる真之助を振り返る。


「で、そっちは寿々子すずこさんとはどうなったんだ?」


「どうなったって、どうにもなってないけど」


 いつもより間の抜けた返事が戻ってきたのは真之助がスマホのパズルゲームに夢中だからだ。


「どうにもなってないだって?」


 水への恐怖をまぎらわすため、会話が途切れないようにオレは喋り続ける。


「不成仏霊の件が解決したんなら、あとは真之助と寿々子さんが付き合うだけじゃねえか。白状しちまえ、リア充の仲間入りを果たしたんだろ? オレなんか平手打ちだぜ。ありえねえだろ」


 結局のところ、成瀬さんがサラリーマンとどうなったのかわからなかった。


 放っておけば、ネガティブな想像がアクセルを踏み込むように加速して膨らんでいくところだが、真之助が自信満々に「守護霊が付いているから大丈夫だよ」と断言するものだから、オレは頷いた。


 成瀬さんには寿々子さんが付いている。きっと守ってくれるに違いない。そう確信できた。


 なぜなら、寿々子さんは不成仏霊の魔の手から、たったひとりで成瀬さんを守ったのだから。


「真之助もせっかく寿々子さんから協力を求められたのに、一肌脱げなかったなんて恰好つかねえよな。寿々子さんが元カレの不成仏霊を『悪霊退散!』の一言で消しちまったんだろ? あ~あ~、オレもそんなアニメみたいなシーンを見たかったな」


「素敵だったよ。寿々子さんの勇姿はすごく素敵だった」


 その声音がある種の感情を沈めるために発した気がして、オレはひとつの答えに行き当たった。意地悪く弛もうとする口元を制御できず、いやらしい顔で笑う。


「ははん、さては恰好いいところを見せられなかったお陰でお前も振られたな?」


「バレちゃったか」


「バレバレだっつうの。お互い、振られた者同士、励まし合おうじゃねえか」


「ハハッ」と真之助が短く笑った。


「言い忘れていたけれど、寿々子さんが言ってたよ。成瀬さんを守ろうとしてくれてありがとうって」


「何だか照れ臭いぜ。最後に寿々子さんと挨拶くらいしたかったな」

 

 守護霊が他人のお付き人とかかわることは業界のルールで禁じられている。


 そこを無茶して寿々子さんがオレの前に現れたのだから、不成仏霊の件が解決した今となってはわざわざ赤の他人であるオレに姿を見せる必要はなかった。


 たった数日の短い付き合いであるのに、もう姿を見ることができないと思うと、寂しさがじんわりと胸の奥から沁み出してくる。


 成瀬さんへの想いはすでに失いつつあったが、寿々子さんが喜んでくれたのならそれでいい──。

 

 しかし、いくつか疑問も残っていた。


 他人の財布を盗み、自分を犠牲にしてまで成瀬さんがお金を必要とした理由だ。普通にアルバイトをして得る給料では足りなかったのだろうか。オレが恵まれているのかもしれないが、高校生が犯罪を冒してまでお金を欲する理由が思い浮かばなかった。


 そして、もうひとつ。


 昨晩、成瀬さんが桜並木市にいた理由だ。


 守護霊がお付き人から離れることを禁ずる掟に則れば、寿々子さんがオレたちの前に現れたときにはあの寂しい公園の近くに成瀬さんがいたということになる。桜並木市は成瀬さんの地元である梅見原うめみはら市から二駅離れた場所にあり、近頃は通り魔事件が多発しているから治安も悪く、女子の独り歩きは危険と隣り合わせなのだ。それなのに、なぜ桜並木市にいたのだろうか──。


「友人A君からLIMEが来たよ」


 真之助の弾んだ声でオレの思考は停止した。


「内容は?」


 ゲームを中断させ、LIMEを起動させる時間を経てから、


「『今日は悪かった』」


 友人Aの声マネをするから、つい噴き出してしまう。


「下手くそなモノマネ。で、続きの文面は?」


「これでおしまい。スタンプもない」


「普段からあいつもこんな風に無口だといいのにな」


 軽口を叩いてみるが、そのたった一文がかえって友人Aの誠実な人柄を感じさせた。


 聖子先生が友人Aをかばったことを伝えたら、どんな顔をして喜ぶだろうか。だらしなく鼻の下を伸ばし、下がった目じりをますます下げて笑うのだろう。その顔が瞼に浮かんだ。


 明日はクラスのみんなに友人Aの無実を訴えなければならない。


 彼のひととなりを知ってもらい、聖子先生に対する粘着質な恋愛感情を抜きにすれば、無害な人間だと説明しよう。もちろん、成瀬さんと平沢のことはオレと真之助の胸にしまっておくつもりだ。



 ※ ※ ※



「ご機嫌ね」

 

 シャワーを終え、冷凍室を覗いていると、母さんがひとり分の食事をテーブルに並べながら、嬉しげに笑った。

 

「そうかな」

 

「そうよ。お風呂上がりなのに、鼻歌歌っているじゃない。いつもは悪魔に魂を差し出したみたいにげんなりしているのに、最近のまことは楽しそう」


 そう言われるまで気づかなかった。無意識で鼻歌を口ずさんでいたとは。


 オレは真之助に一瞥をくれてから、「べ、別にいつもと一緒だけど」と空とぼけをして首を捻って見せた。


 湯上がりのアイスを食べ終えるまで、ばあちゃんと父さんの話し相手をし、それから部屋へと続く階段を上った。

 

 二階の上がり口に差しかかったところで、空気が鋭さを帯びた。

 

 オレの視線は妹の加奈を捉えていた。


 加奈は地区で開かれる科学部の発表会が控えているから、連日、部長の家に部員総出で集まっているため帰宅が遅い。今もちょうど父さんの送迎で帰ってきたところで、中学校のジャージ姿のままだ。これからひとり晩ご飯なのだろう。


「……」


 加奈は汚いものを見るような視線を無遠慮にオレへと投げつけた。

 

 家族の前では仲のいい普通の兄妹を演じているが、オレたちは他の人の目が届かない場所では触れれば怪我をしてしまいそうな剣呑けんのんな空気を垂れ流している。

  

「さっき、お母さんがおばあちゃんと話してるのを聞いたんだけど」

 

 すれ違う瞬間、加奈がトゲのある言葉を放ち、足が止まった。

 

「一昨日、警察の人が家に来たんだって。おじいちゃんの事件を再捜査するって」

 

「じいちゃんの?」

 

 思わず振り返ると、まるで鏡に映したかのような強張った表情の加奈と視線が噛み合った。

 

「人殺し、罪を償いなさいよ! お兄ちゃんは幸せになる権利がないんだからね」

 

 加奈は言い放ち、勢いよく階下に向き直った。ツインテールが弧を描くように空気を切り裂き、小走りで去っていく。リビングの方から、「お腹空いちゃった」と鼻にかけたような加奈の甘えた声が聞こえた。

 

 自室へ戻ると、真之助が入っている前にドアを閉めた。


 自分の意思とは関係なく、涙が溢れる。


 息が乱れ、嗚咽が洩れそうになる。


 こんなみっともない姿は誰にも見られたくなかった。


 弱い自分を知っているのはオレだけでいい。


 再び、闇の世界との距離が近づいたとき、真之助がドアをすり抜けてやってきた。こんなときに反則技だ。


「ねえ、真」


「勝手に入ってくんじゃねえよ!」 


 オレは頭から布団をかぶった。


「頼むから放っておいてくれ」


「わかった。もう放っておく」

 

「だから、話かけてんじゃねえよ」

 

 必死で噛み殺していた嗚咽がついに限界に達し、声を上げて泣いた。

 

「お前のせいだからな!」

 

「ごめん、ごめん。私が悪かったよ」

 

 何も悪くない真之助を無理やり謝らせ、乱暴な言葉を喚き散らす。


 おもちゃを買ってもらえない小さな子供が起こす癇癪よりも、反抗期の中学生がつく悪態よりも、理性がすべてを理解しているだけたちが悪い。


 しかし、堪えていた感情が決壊したからにはもう押し止めることはできなかった。


 三年前、オレはじいちゃんを殺した。




 十八歳の誕生日まであと四日──。

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