第2話 喫茶店にて
運ばれてきたケーキセットを見るや否や、目の前の天音とか名乗る女は目を輝かせた。甘いものに目がないのか、こいつはと思ってから我に返る。僕はもうこの変人に付き合う気はないのだから彼女について知っても意味がないだろう。
「ほんと申し訳ないんですけど、僕あなたと事件? を追うつもりとかないんです。ただの学生なんで」
「知っているとも。君はあの大学で単位もそこそこ真面目にとっているごく普通の学生だ。だが、今回の事件を解決できるホームズは君なのだよ」
「なんで会話が通じないかなこの人」
それなりに分かりやすく拒絶の意を示したはずなのに、天音には全く話がかみ合っていない。こいつバカなのか? という思いを表情に乗せて目の前のコーヒーを啜った。何を勘違いしたのか、その僕の顔を見て天音がこちらを心配するように声をかけてきた。
「やはりコーヒーは苦手なのか? 無理しなくてもいいとさっきも言ったが、苦手なものを我慢して飲むのはいささか厳しいだろう。私は怒ったりしないから残してもいいぞ」
「僕は好きで飲んでるんです。構わないでください」
「ふむ……まぁ、そこまで言うなら何も言わなんだ」
不服そうな顔をして、天音はケーキにフォークを刺し入れた。ちなみに、本日のケーキは五分立ての生クリームが添えられたココアシフォンケーキだ。一度食べたことがあるが、僕もお気に入りの品だ。天音は小さく切ったケーキを口に入れて、音を立てずにフォークを皿に置いた。静かにしていれば、本当におしとやかなお嬢様だ。
「確かに、ここのシフォンケーキは絶品だ。実に美味い。北川くんの店選びのセンスは見事だな」
「そりゃどうも。できれば僕は一人でここを楽しみたかったです」
「まぁそう言うな。一人よりも二人の方が楽しみが増えるだろう。むろん、頭脳労働もそっちの方が捗る」
天音はケーキの皿を脇に寄せて、テーブルの上にいくつかの書類を広げ始めた。ホチキスで留めてある表紙には極秘やら部外秘やら物騒な文字が躍っているが、何だこれは。
「君に解決してほしい事件の概要だ。警察から現場の証拠写真と要点をまとめた資料を頂いてきた」
「は? あんた何やってんだよ」
思わず敬語が崩れた。つまり、この紙の束と百均で売ってると思わしきプラスチックのアルバムに収められた写真は警察で保管されるような代物と言う事だろう。
ここで僕はやっと気が付いた。
目の前で資料を広げながらダージリンティーを啜っているこの女は、本気で僕に連続殺人事件を解決させようとしているのだ。
「言っただろう。君はこの事件を解決する探偵になるんだ」
力強く僕を見るその目は痛いほどに真っすぐ刺さる。僕はため息を吐いた。
「……事件とかそんなの、今まで生きてて一度も関わったことないんですけど」
「もちろん知っているよ。構わない、私と一緒なら大丈夫だ」
不遜に笑う天音は、慎ましい助手とはかけ離れた表情をしていた。
「とりあえず話だけ聞かせてください」
「そう来なくてはな。それじゃあまずこの資料だ。最初の殺人現場の報告書と写真が掲載されている」
手渡された紙束はそれなりに分厚くて、まるで大学のレポート課題のために印刷した資料みたいだと思った。そんな考えも、中身を見れば一気に改まったが。
第一の被害者が青葉ゆら、三十三歳。死因は絞殺で現場には無線LANのケーブルが残っていた。検証の結果、ケーブルの幅と首に残った痕の幅が一致したことから、このケーブルで首を絞められて死んだというのが証明されている。殺害現場は彼女の職場である経理の事務所の一室だ。また、この場にもともとなかったケーブルが殺害に使われたこと、現場に指紋などの証拠が残されていないことからこれが計画的犯行だったとの見解がなされている。
僕は読んでいた資料から顔を上げてコーヒーを口にした。次のページから写真が掲載される、と文章があったからだ。死体の写真など普段から好き好んでみるわけでもないので、それなりに心の準備が必要だと思った。すると、天音が興味なさげに僕の資料を指さして言う。
「北川くん、きついなら無理に写真まで見る必要はない。文章と私の説明だけで事足りるだろう」
「お気遣いありがとうございます。あとで必要になったら見ます」
「む、なかなか図太いんだな」
「割とゲームでは死体って溢れてますからね。僕もたまにシューティングゲームとかやりますから」
「意外な一面だな。君はパソコンで画面上の嫁と情事に耽る根暗だと思っていたよ」
「あんたほんっとに言葉を選ばないんだな」
「まあそう怒るな」
眉間に皺を寄せて天音を睨むと、そんなに見つめると金を取るぞなんて冗談めかして笑われた。
この女、本当に腹が立つし面倒くさい。今まで関わったどの人間にもいないタイプだ。僕は苛立ちを抑えるようにコーヒーを一気に煽った。近くを歩いている店員を呼び止めてお代わりを頼む。
「それじゃ続きをお願いします」
「やっとやる気になってくれたか。私は嬉しいぞ、北川君」
「馬鹿にされて悔しいだけですよ。僕に解決できるかどうかはさておき、やっぱり周りで何人も死んでる事件って怖いですから」
「存外臆病なのか、素直なのか……まあいい。それでは続けよう」
天音のすらりとした細い指先が次の資料を指さす。僕はその挑発に乗るようにその紙束に手を伸ばした。今日一日で、この喫茶店のコーヒーを何杯飲むことになるんだろうか、と頭の片隅で思いながらでかでかと極秘の二文字が書かれた表紙をめくる。
こうして、僕は奇怪極まる連続殺人事件とやらに関わることになってしまったのだ。
決して、決してこの天音とかいう女にそそのかされたからではない。そして僕はパソコンでエロゲなんてしない。
ひと夏の探偵ごっこ 逆立ちパスタ @sakadachi-pasta
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