三章 円やかなるは、心の鏡花 其ノ一
──目を覚ました
冶古として
そもそも立派な
白烏が
烏は利口な生き物なので、そういうこともあるのだろう。紗良はとうとう
からす、からす、と呼ぶのもなんだか
「お目覚めでございますか、よかった」
「あなたは……?」
不法侵入と誤解される心配はなさそうだ。それなら、聞きたいことが色々ある。
が、女房は
「
「はい?」
紗良はぎょっとした。
「私に仕える……? 私が梨乃様にお仕えするのではなくて?」
「まあ」と梨乃は楽しげにころころと笑った。
「どうぞ梨乃と呼び捨ててくださいませ。私は、
梨乃はちょっと
一方の紗良は、
式、という存在も、どう
人のように見えるが、人ではないのか。
紗良の
「紗良様、難しく考えることなんてないのですよ。お心で感じたことがすべてです」
法師と問答しているような気持ちになってきた。紗良は軽く首を
「私は
「ええ、紗良様」
梨乃はにこにことうなずく。うまく伝わらなかったのかと紗良は
「なぜ私はこんなに立派な場所で
紗良は
「紗良様をこちらへ運ばれたのは、由衣王──宵霧の君です。ええ、こちらは竜の方のお
「もう明け方なんですか!」
そんなに眠っていたのか。
「梨乃様……梨乃さん、私はこちらでどんな仕事をしたらいいんでしょうか。お宮の
紗良は
「宵霧の君から、自然に目が覚めるまで紗良様を眠らせておくようにと言いつかっております。そちらの──白烏の穢れを浴びられて、
「えっ。でも仕事は」
「宵霧の君が
「はい」
朝清めについて指導してくれるのだろう。そう納得し、立ち上がった梨乃のあとに続く。
だが、そうじゃなかった。清掃の必要もないほど片づけられた湯屋で、悲鳴を上げる間もなく
しまいには、
紗良がいま着用しているのは、白地の水干。袖に向かって
花のように美しい式の女たちに囲まれて落ち着かない気持ちでいると、
「紗良様、宵霧の君が呼んでおられるわ」
「あら、もうお起きに? 今日は早いのね」
梨乃が目を丸くした。他の女たちが慌ただしく立ち上がり、「
食事以外にも
梨乃の先導で
梨乃は、戸惑う紗良に目配せし、
夏の花々が
「梨乃、おまえはいい。下がれ」
由衣王が横を向いて冷たく命じる。梨乃は困った顔をした。
「ですが……」
「下がれと言っている」
紗良はもっと顔色を悪くした。梨乃がいないと、どうしていいかわからない。
しばらく梨乃は由衣王の様子をうかがっていたが、
「渡殿に
紗良は
行かないで! と
立ち尽くしていると、由衣王がしとねから腰を上げた。
「湯屋へ行く」
「は、はい」
動けずにいると、
「──この姿のまま俺に歩けと? 早く
紗良は目に見えて
「
泣きたくなってきた。その長櫃はいったいどこに?
紗良が戸惑うのも無理はない。櫃ひとつとっても生活の差がわかる。湯屋でも結局、女たちにされるがままだったのは、これまでの
「
由衣王が厳しい声で
ぴりぴりした空気が流れたところで、
由衣王におそるおそる近づき、肩に衣をかける。
彼は長身なので、うんと
袖を通した由衣王は、振り向くことなく室を出て、北側の渡殿を進んだ。
湯屋は北の対にある。紗良もつき従う。そこで待機していた梨乃と目が合う。
前を歩く由衣王の背に、紗良は
「あの、由衣……宵霧の君。湯屋のことですが」
そこで言葉を切る。冶古の分際で許可も得ず話しかけていいのか。紗良は胸のなかで「作法!」と
由衣王はちらりと振り向いた。渡殿に落ちる日差しが、彼の
「俺もだが、三
どうやら彼は、通常の公家のように日や
「三竜の方々も、こちらのお宮に」
いるのか、と問いかけて、紗良はまた失敗を
由衣王はふたたび振り向いたが、わずかに顔がしかめられている。今度こそ無礼を
「いる。いて、悪いか」
「いえ!」
「東西南北の地に
「はい」
とにかく従順にうなずいたあとで、はて? と紗良は首を
「察しが悪い。冶古らにうじゃうじゃと
「おっしゃる通りです、申し訳ございません」
なんとか返答したが、まじまじと由衣王の背中を見つめずにはいられない。
この
いや、単純に冶古が
だが、冷静になってみると、
これだけ身長差があれば歩調だってかなり違う。着慣れぬ水干のせいできびきびと歩けずにいるのに、こうして会話できるくらいに余裕がある。
つまりこの
紗良は混乱した。どうも言動がちぐはぐだ。
──ひょっとして、ただの親切な方?
「俺の宮も、三竜の宮も、構造はほぼ変わらぬ。こちらの渡殿からではよく見えぬだろうが……宮の内に
「ずいぶん広大なお宮なんですね」
紗良は驚きの声を上げた。こちらの
「造りが大きくて当然だろうに。俺たちは竜だぞ。変身した姿は人の
紗良は昔一度だけ、彼の言う変身した姿……竜神姿を見たことがある。
とても恐ろしく、そして──。
「四の里の中央には、
由衣王はかすかに
「
「はい」とは答えたが、池につかるのが務めとは、どういうことだろう。
そこで禊をしろという意味だろうか。
目的の場所に
由衣王は、世話に慣れていそうな梨乃をここでもまた下がらせたのだ。貴人は他者の手を借りて身を清める、ということはかろうじて知っているが、実際になにをどう手伝えばいいのか、さっぱりわからない。
おそらく式の女たちが用意してくれたのだろう。それに気づき、感謝の思いが胸にわく。
一段高くなっている板の間に上がると、由衣王はちらりとこっちを見た。なけなしの知識を引っぱり出す。確か、貴人は男も女も湯具をまとって湯槽につかるはず。
急いで厨子から
「!?」
単衣の
「なにをしている。湯をかけろ」
こちらを見る彼の目が、早く手伝え、と当然のように
自分は
そうか、この方はどんなに人間めいていようと
つまり
竜化時なんて
「そ、それでは、
自分でもなにを言っているかわからなくなってきたが、紗良は手巾を
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