一章 華やかなるは、月の秘儀 其ノ二





 まさか自分が天上人のぐるまに乗るなんて。

 紗良は物見に顔をくっつけて外をのぞいた。屋根から垂れ下がる月白の糸毛の向こうに、夜空が広がっている。身を乗り出して、地上の様子を確かめる。

 故郷たるり村はどのあたりだろうか──あのかがりがちらちらと輝く海辺だろうか?

 もしもあの火が永遠の別れを告げる自分のためにかれたものならば。そう考えたしゆんかん、神車から飛び降りたいしようどうられ、紗良はぎりっときしむほど奥歯に力をこめた。

 神車に乗ったばかりだというのに、もう紗和子たちのもとに帰りたくなっている。だらしのないことだと自分をしかる。けれどがれる心をとめる方法を知らないのだ。

つつしみがない。おとなしくしないか」

 ち、と舌打ちがひびく。さびしさの泉にかり切っていた紗良はその音におどろき、かたを揺らした。たん、ふわっと上品なこうにおいが自分の身からただよってきた。正しく言うなら、借りた長衣からだが。

 いましがた舌打ちした男──目の前に座っている花直衣の貴人が、屋形のゆかに腰を下ろすと同時に「磯臭くてたまらぬ」と長衣をこちらへほうってきたのだ。よほど耐えかねるのか、先ほどから扇で顔の下半分をかくし、そっぽを向いている。

 そんなに臭いならなぜ一緒の神車に乗ったのだろうかと不思議に思うが、他はかんが使用して満員だったのかもしれない。

 屋形のすみにはとうがいがあり、その上にはすがたの小さなあぶが燃えているため、貴人の表情もよく見える。油瑚はくじらあぶらめて作られるろうだ。ばくえた向こうにある西さいらん国からの輸入物であり、たとえてんの者であろうと、下級官吏じゃまず手に入らない。

 目の前の貴人は要するに立派ないえがらきんだちなのだろう。

 顔の下半分を隠していてもわかるぼうを、紗良はまじまじと見つめる。

 ──確か、天都では四つの家門がみかどを中心にして争っているんだっけ?

 なにぶん政争とはえんの地上生まれであるため、天上人の勢力図がてんでわからない。

 天の島と地の島、両方を統治するこのまれなる国を『くに』という。

 かつては浮城乃国という文字をあてていたが、れいほう五五〇年、つまり七百年前に改名されている。理由はごく単純で、長い年月放置していた地上人のとうぎよもそのあたりから視野に入れ始めたためだ。ゆえに天空のみを示す文字をはいした。

 天空にかぶ島は十二角形をえがく。これは十二支を表しており、おんみようどうの十二天将、日の刻、月の数をも示している。そのため十二の方角にはそれぞれ天門が設けられ、きよぼくのように大きないかめしい天将像が配置されている。

 この天の国土をろうげつと呼び、中央に築かれた正方形の都を図京としようする。そこに天地の統治者であるろうていを立て、天上人らはまつりごとを行っている。

 一方、里人の紗良たちが暮らす地上はさんげつと称されている。

 国土の形は一枚の桜の花びらに似ている。同じ国のたみとはいえ天と地にわけられた者のあいだには、身分という、ふねでも越えられぬ果てのない河が流れている。土地の広さやせき数ならあつとう的に山月府が上なのだが、生活面での豊かさはかくにもならない。

 なにしろ山月府には、榔月府に常に存在するしんりゆうの守りがない。

 榔月府の東西南北には四つの宮がある。そこには半神半人たる竜が住む。

 紗良は、その竜にほうするという役目をあたえられたのだ。

 竜は知らずのいくさの将、山河に生じるあつを退け、海から目覚める鹿がみみ殺す。

 ぼうでありざんぎやくでもあるという。そしてひどく大きくみにくいのだという。どうへび、全身にうろこが生えており、むちのようなひげを持つ。かいちようのような足と角も持つ。

 一歩違えば悪神へ変ずるおそれのあるきようぼうな竜を、かつてはしずめるかんなぎがいたというが、いまの世では聞いたことがない。

 だから天上人は、竜をすうはいする一方での念をいだき、無位の里人に世話を押しつけようとする。なにしろ里人はいて捨てるほど存在する。

 里人にとっては天の都で暮らすだけでも相当の負担となる。天と地では大気の層が異なるため、変調をきたしやすい。だがいまは、この長衣からかおる上品な香のおかげか、さほど息苦しさを感じずにすんでいる。

「おまえを選んだ俺が恨めしいか?」

 貴人は扇を下ろし、とうのような白い頰をゆがめてたずねる。あざけっているようにも、のうしているようにも見えた。

「里人はぜいじやくにすぎる。おまえはそのなかでもとくにか弱いのだろうな?」

 先ほどきこみ、身をふるわせていたせいで完全に誤解されている。

 だが病弱と判断されたおかげでに選ばれたのだ。それなら誤解を解かないままでいたほうがいいのではないか? 答えあぐねているうちに、貴人がけんしわを寄せる。

「か弱くて、どうせまたたく間に死ぬのなら、いいだろう。身寄りもないと言っていたな」

「はい。でも、私はじようですので、とうとい方のもとで長くお仕えできればと願っております」

 すぐに散る命だから新しい冶古を探そう、などと思われても困る。

「丈夫? おまえのどこが?」

 貴人はいらついたように低い声で言うと、とつぜん紗良の手首をつかみ、身を引き寄せた。

「恐ろしいほどせ細っているくせに。なんだこの枝のようなたよりない手首は? まこと骨の代わりに枝でも入っているのか?」

「!?」

 貴人も驚いている様子だったが、紗良のほうがどうようが激しい。

 ──美しさがこうごうしい領域に入っている……!

 目がくらんだ。真珠のようなはだとはこのことか。かみはつやつや、まつもみっしりと長く、うるひとみなやましげなかげを作っている。わりと厚めのくちびるは桜の花びらを撫でつけたようにあわい色をしている。少し前に村の市で見かけた絵巻物のてんによを思い出す。その絵巻から飛び出してきたと言われたら、なおに信じてしまいそうだ。なよなよとしているわけではないし、態度も口調も常にあつ的なのだが、全体的にきらきらしい。まさにもくたんせいという言葉が当てはまる。

めのわらわよりも小さいぞ」

 これではろくに働けないと改めて感じたのか、貴人はそのしゆうれいな顔にねんの色をにじませた。

の労働のこくさを教えてやる。ただ四宮に住む竜の世話をするだけではない。かんようなのはみそぎの仕事だ」

「禊……」

「竜は怪を食す。だがらうたび身にけがれがまとわりつく。その穢れをぎ落とさねば神たる力が遠のいてしまう。とうなどでは取り除けぬ」

「……岩のこけを落とす感じでしょうか?」

「苔!?」

 貴人はしようげきを受けている。国の守護をつかさどりゆうじんに対し、さすがに苔というたとえはまずかったか。紗良はあわてて言いえる。

うさぎの毛皮をがす感じのほうが近いでしょうか」

「毛皮!」

 貴人は宝玉みたいな目を限界まで見開き、かすれた声を発した。もっと衝撃を受けたようだ。

「なんたるばん。おまえは穢れどころか竜のまでも剝がすつもりなのか?」

「……あっ、じゃあ魚の取りというほうが……?」


 だいに貴人の表情がかたくなってくる。あまりにもたとえに品がないと思われたのかもしれない。だが、その日その日を生きることでせいいつぱいな地上人に、花かおるような美しい表現を期待されても困る。

そんにすぎる。俺に向かってよくもそのような口をく」

 おこらせたかと紗良はきんちようする。高貴な人間との会話なんてはじめてだ。なにを言えば気に入ってもらえるのか、本当にわからない。

「わずかに力をこめるだけでおまえのうでなどくだけ散るぞ」

 貴人は不快さをかくさぬ口調で吐き捨てると、紗良の手首を摑んだままの指に力をこめた。

 痛い、と声を上げようとして、のどに呼気が引っかかり、盛大に咳きこんでしまう。

 紗良は青ざめながら自分の口を片手でおおう。この貴人は紗良を病弱だと思いこんでいる。病の気をきかけようとしたなどと誤解されてはたまらない。

れつな上にそうぞうしい。俺は神なる身。里人ごときが近づける者ではない、頭を下げぬか」

 貴人にいきなり頭を摑まれた。ちようちやくでもされるのかとぎゅっと身を縮める。

 ──が、ちがった。

 紗良は目を瞬かせる。確かに頭は下げた……力ずくで下げられた。

 ──でもこれってひざまくらになってない?

 もしかして貴人は気づいていないのだろうか。

 あなたの膝の上に私の頭が乗っているんですけれども……。

 まどいが強まる。だまっているのも後ろめたく、「あの」と起き上がろうとすれば、片手でぐっと頭を押さえつけられる。

ざわりだ。しずんでいろ」

 貴人にとってはうつとうしい里人をゆかへいふくさせた感覚なのかもしれないが、現実はどう見ても膝枕。むしろ紗良は楽な体勢ではべっている状態に等しい。

「ああ、この髪はなんだ? ごわごわする。女のものではない」

 上から貴人の絶望した声が降ってくる。

 ごわごわしていて当然だ、ずっと海にもぐっていたのだから。

「このかんしよくは……やぶき分けているかのような……、あしからまっているかのような……」

 貴人の口調が次第になにかをきわめんとするような集中したものに変わってきている。それがちょっとおかしい。

 そんなに私の髪って硬いの、と少しばかり情けない気持ちにもなるが。

 ほうられる言葉も態度も心がしもげそうになるほど冷たいのに、紗良の髪の感触を確かめる手はずいぶんやさしい。かわいがられているかのようなさつかくを起こしてしまう。

 紗良は人にれられるのが好きだ。秋の足音が聞こえるころには紗和子や親しい女たちとけものの子のように身を寄せ合って暖を取る。彼女らの張りのある肌やあたたかないき、かすかに立ちのぼる甘いあせにおいに、身も心もぬくぬくとなるのだ。

 天上人も、同じなのだろうか。

 これからてんで冶古となる。まだ信じられない。もしかしたら本当は漁のちゆうで人魚にでもまどわされ、たまかしたような黒い海の底でとっくに死んでいるのかもしれない。そして泡沫うたかたの夢を見ているのか。ぎこちなく頭をでる貴人の手も、薫るこうも、車輪をきしませながらきらきらした黄金の月光路をのぼるぐるまも、すべてまぼろし。この世はつゆの世あかず降るはなみだあめ、もみちもつゆにれにけりと、村に流れてきた目の見えぬ流浪人が朗々、歌っていたのを思い出す。

 ──結局、十二天門のひとつにとうちやくするまで紗良は膝枕をされ続けた。






 むらさきあい青水白緑黄ももだいだい赤茶黒と、榔月府の天門はそれぞれの色で区分されている。

 このうちとうてんもんの大路のみがみかどのおられる中央の図京に通じている。ほかみちめいのように入り組んでおり、最終的には小山や池、田畑などに行き当たる。

 不意のてきしゆうを想定してこういった蜘蛛くもの巣を連想させる複雑な路をめぐらせているが、てい並びに官庁においては地の裏側に存在する異国の法制が様々な面での基底となっている。

 うわさでは、そこは千年続く、平らかなるあんねいの世の国なのだとか。里人の紗良にとっては異国もこの榔月府も全部、派手やかな絵巻物語のうちに存在するげんえいの世界にすぎない。

 ──そのはずだったのに。

 現在、むかえの神車とかんが並ぶ桃天門を前にして、紗良はぼうぜんしつの状態だった。

 ここで車をえるため、いつたん降りたのだが、それどころではない。

 ──これは山じゃないの? 本当に門なの?

 こしかしそうになるほどきよだいな桃色の門がそびえている。かがりかぶその門は、地の社にあった鳥居と同様の造りだ。二本の主柱に支えられた反りのあるかさにはたつかざりがっている。へんがくには『とう』の文字。そでばしらの手前には天将の像が置かれ、一帯をへいげいしている。これも巨大で、夜ということも相まってか、いまにも動き出しそうなはくりよくがある。

 それに、夜空に浮かぶ三日月が、とても近い。

「なにをしている」

 いらたしげな言葉とともに、ばさっと被衣かずきを放られて、紗良はわれに返った。

 かりぎぬ姿の官吏と対話していた貴人がこちらをり向き、軽くにらんでいる。借り物の長衣はさすがに着用したままじゃいけないだろうと思い、それを車箱のなかに置いてきたのだが、どうやら余計な気をまわしすぎたようだ。貴人はわざわざ官吏に被衣を用意させたらしい。

すぼらしい姿をさらすな」

 言葉のきつさに少し胸が痛くなったが、それ以上にほっとした。

 被衣に身を隠すと、不思議とわずかに息苦しさがやわらぐ。ようほこる桃天門のほうに意識をうばわれていたが、地上とは異なる大気のうすさに知らず身がこわっていたようだ。

「来い」

 貴人がげんな顔つきで紗良に命じ、桃天門まで利用した神車よりややりのひさしぐるまへ歩いていく。ぬれいろの屋形に優美な青紫のちようがかけられた車だ。

 貴人のあとを追おうとして、あおいの狩衣姿の少年にするどい視線を向けられる。

 年は十四、五か。紗良よりじやつかん下に見えるが、ずいぶんろうかいふんがある。するくるまぞい舎人とねりというには年若すぎるし、なにより身なりがし使いのそれとは違う。

 された紗良が立ち止まると、少年はそのさまを冷ややかにいちべつし、貴人にうやうやしく声をかける。

かしこたつのかみおうに、たつちようぼくなる草、しろながのかみが拝みたてまつりてここに奏す」

「その口上は聞ききた。いいから本題に入れ」

「私に黙って勝手な行動をされては困ります」

 白長督と名乗った少年はいんぎんな態度をくずさず、ずばずばと批判を口にした。

 これにどうようを見せたのは背後にひかえていた官吏たちだが、当人はどこ吹く風といったふてぶてしさ。振り向くこともなく、さらなる苦言を舌に乗せる。

「私は竜神の宮を取り仕切る長官です。こうも気まぐれに地上をふらふらされますと、いざというときしかねる」

「その程度のつまらぬ才なら迷わず退け」

「王、がんいことをおっしゃるな。あなたのは時として変事を招くとわかっていらっしゃるでしょう」

 む、と貴人が──由衣王が顔をしかめ、袖で口元を隠す。

 紗良は彼らのやりとりをおどろきの目で見つめていた。

 由衣王? まさか皇族だったのか。

 道理でこの気位の高さ。言われてみればうなずける。

 が、いくつか気になる言葉があった。たつのかみ。たつみちょう。ひょっとすると、皇族であり四りゆうかかわる神官でもあるという意味なのか。

「ともかくも。そちらの里人がにてしたですか。──ではここで私が預かり、確かにしつけましょう」

「よい」

「よいとは?」

「ひ弱な女だ。躾けるあいだにすぐに死ぬ。手間をかけるまでもない」

 由衣王の言葉に、白長督がみするような視線をこちらへさっと向けてくる。

「日々身を清めさせれば、少しは延命できますよ」

「それでいくつきすごせると?」

 由衣王が、夜の色のひとみをじわりと細めて薄く笑う。顔かたちもたんせい、立ちいもてんであることはちがいないが、どこか人外じみたたけだけしい気配を感じてしまい、紗良はどきりとする。はじめはたたられまいとすばやく目をらすも、ふたたびそろりと見てしまいたくなるような、あらがいがたいこわりよくがある。

「たやすく散るなら、俺が好きにしても問題はあるまい」

「獣のごとくなぶるおつもりですか」

「いつものこと」

「王の方々がそばつきとなるをそうもしいたげられるから、彼らはなおみ、短命となるのですよ。ご自重くだされよ」

くさるほど生まれ落ちる里人に敬意をはらえとでも言うのか? 正気か。つぶれたのなら、また新たなありつかまえてくればいいだけの話だろう」

「まことつむじ曲がりでいらっしゃる。そも、捕まえる気すらお持ちでない。本来なら数名、いや少なくとも十数名は召しかかえねば宮の手入れもままならぬというのに、王の方々はみな、今日まで秘儀などせぬとっぱねられた」

 白長督が片手で額を押さえ、たんそくする。

 由衣王のほうはと言えば、意地悪な顔をしておうぎもてあそんでいる。

「どうしてそれほど秘儀をうとまれるのか」

うらみがましい目をするな」

「恨みたくもなります。おかげでもう一年も、辰弥庁の官が冶古の真似まねごとをする始末」

「なるほど。宮人らが、おまえになんとかしてくれと泣きついたか。我らをおそろしい、わずらわしいと感じるならほうっておけばよいものを」

「とんでもない。一人でころもをあらためることもできぬでしょう」

「うるさい」

 話を聞いているうちに紗良はいかりやら悲しみやらさびしさやらにおそわれ、自然と頭が垂れた。一日でも長く生きて紗和子たちにわざわいがおとずれないようはげむつもりだったが、こうまで人あつかいされないと、自分っていったいなんだろうと思えてくる。

 いや、ここでくじけてどうする。いくとせもしぶとく生きて、やあ、すぐに死ぬと思いましたか残念でした! とこの美しくこくはくな貴人たちに胸中で高らかに言い放ってやろう。

 身分の高さ低さは自分ではどうにもならない。だけど心の高さ低さは自分だけが変えられる。「はすどろく、おまえもそういう者になりなさい」と紗良を育ててくれた村の長老が言っていた。そうなりたいと思う。

 負けてなるものか、と自らをして顔を上げたとき、由衣王と視線がぶつかった。

「このにぶい冶古はまだわかっておらぬ」

 由衣王は小首をかしげてみを深めた。

「俺が竜だぞ」

 彼は大きな一歩できよめると、被衣を扇の先でついとずらし、紗良の顔をのぞきこんだ。

「西のみちの果て、よいぎりのみやの竜神、由衣王。俺を見て、いにしえの時めくろうていはこうかんたんした。これはゆえなき美しさであると。それからほんしようを見てこうした。これはゆえなきみにくさであると。反するよしをまとうゆえに、こう呼ばれる」

 紗良は息をむ。

「おまえは神の皮をかぶったおぞましいかいじゆうはべるというわけだ」

 人へのぞうを瞳にかくすこの貴人が、竜なのか。





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