CALL8 進メ
私は救いを求めて走った。私と私の大切なもの、その救いが何か、それを探すために。守るべき手を握り、そして小さな時計の重みを感じながら。
「おい、聞いているか私よ。時計に閉じ込められた居心地はどうだ。出てきて教えてくれよ」
沈黙の時計に、空しく話しかけるが、応答はなかった。
信号が見えた、色は赤である。
「お姉ちゃん、危ないよ」
――赤が光ったら止まり、青が光ったら進む、光の色や質によって進退を決める。その操られ人形のような役割に、君は一体いつまで甘んじている
――君は、あの信号機の光がイマスグシネという意味を発したらそれに従って死ぬのか
「私は止まらない」
決定論というものがある。この世のあらゆる選択は、あらゆる関係の中で、その進路を法則に従って動くしかない、その結果であると。だから究極的には、この世の流れ、人間の感動さえも、すべてが決まった方向に従って動いているのではないか。
さて、私という物語はどうか。私の指針は、どこを示すのか、なぜそこを示すのか。物語における選択は無意識的なものにしろ意識的なものにしろ、なぜそれを私は貴重だと考えるのか。それは一度書いたシナリオに、新たな物語を挟み込むことはできないからだ。私が結末へ届ける付箋は、今という最前線の選択をめくるほかないからだ。
私と妹ちゃんは川沿いに走り続け、引き寄せられるように、神社の鳥居をくぐった。妹ちゃんがくたくたと人差し指で私の足元を指差している。一匹のヤモリが右足の靴の後ろに器用にくっついているのが見えた。ヤモリは視線を察して逃げるように、地面を這っていった。
その先には一人の男が立っていた。男はヤモリを手にのせ、視線をジロリと私たちに移した。
「おいお前、また新キャラか。お前も何か狙っているのか」
「原因は記憶の混線か、ずいぶんと波形が似ていたのだな」
いかにも話が通じないであろう威圧感で、男は一歩二歩と近づいてきた。
「来るな」私は全力で威圧した。
「事情は把握している。姉妹の夢といえど、これは興味深い結果だ」
「お前らの実験にはこれ以上、付き合わない」
「この世のあらゆる事象は何らかの意志決定によってプログラミングされた実験と解釈すればよい」
「もう追いかけてくるな」
「君が誤解している事は多々ある。我々を恐怖しているのも、追われていると考えるのもそうだ。我々はいつでも対話を元に行動に移している。逃げれば何か変わると思っているようでは認識が甘い。その恐怖から逃げたところで、恐怖の論理が君を一生締め付けるだろう。どこに逃げようと君は状況を編集することはできない。しかし、弱者の君とは違い、我々にはそれが可能だ。恐怖さえ編集する術をもっている」
「その万能の魔法使いのくせに鬼ごっこが好きなのかお前らは」
「君が何も変わらない事を理解しないまま、勝手に走り去っただけだ。我々は寛容な相互理解での契約を道義としているのだ。強行は良しとしない」
「それで説得しているつもりなのか」
「何を真とするか、我々の行動原理は救済だ。方法は我々が決める。君と同じようにな。最終的には、どちらが折れるかだ」
「私にできることはお前を全力で恨むことだ」
「成る程、消滅したもう一人の君の空虚な目とは見違えるではないか。ここに来るまでに、信号を2、3拒絶したことは多少ほめてやろう」
「停止線を決めるのは私だ」
「少しは利巧になったか。しかし君の大切なものが同時に危険に晒されたであろう」
「それが今、避けるべき危険かどうかは私が目で見て決める」
「その急進的選択が、結果身を滅ぼしたとしたらどうだ」
「止まったまま死ぬよりはましだ」
「……それが君自身の
男は含みをもたせたような微笑で、妹ちゃんを見下ろした。
「また会ったな幼き少女よ。君の、夢に介入する能力、その起源は我々に近いものだ。人間に発生することは、有り得ない話ではないが、ほとんどが微弱な可能性にすぎないものである。その特異な力を、学ぶつもりはないか。私が今、何を言っているか、わかるかね」
「……わかりません」
「無自覚の覚醒者よ。他者の深層へ潜り、空間を超越し、情報を支配する、夢の支配が、君ならば可能という事だ。誰であろう、どの記憶をも操作することが容易く出来るであろう。条件は忠誠、そして魔力を与えよう。恐怖にとらわれた、そこにいる哀れな君の姉を救えるのは、今や君だけではないか、と考える。否、そうに違いない。どうだ、姉を救うつもりはないか」
私は心からこの男を悪魔だと確信した。怯える妹ちゃんをどう守れるのか、自分の不安にも殺される気分だった。
「まあいい、こちらの不手際だ。今は君に預けておこうではないか。そもそも記憶の所有権の在りかに関しては、厳密にする必要がないものだ。それまで結晶は形見にしたまえ。君の妹が成年になった頃に、また会おう。今必要なのは、君の妹が成長する時間だ、そのころには君の傷も癒えよう」
「おい、詐欺野郎。言わせておけば――。今度は妹ちゃんに目をつけて利用するのか」
「世界の奴隷だった君に似合う台詞ではないな」
「お前の不手際で、奇跡は結局おきなかった、いや、おこせなかったんだ。何が相互理解だ、契約だ。ぜんぶ手前勝手の悪魔野郎じゃないか。二人に分割して、結局駄目なら逃げ出すんだお前は。悪魔の風上にもおけない無能悪魔め」
「原因は、私の甘さにあったとしてもだ。そもそも、君のオリジナルの夢の感度が低すぎる。夢世界の契約を甘くみてもらっては困るのだよ。君は不相応で貧相な能力で、我々の力を借りようとしたのだ。さらに言えば、改めて考えてほしいものだが、君は何も失っていないのと同義ではないか。まさか君のようなものが、オリジナルの精神と分裂した精神の違いをはっきり認知できるはずがない。まったく同じに作ったのだからな。消えたオリジナルに価値を見出すのは勝手だ、同情をするのも勝手だ。しかし、そのオリジナルへの執着こそ、君の貧弱な精神の導因ではないのか。潔く諦め、その身体で、限りある時を、分裂した君にしかできない選択で歩みたまえ」
「これから、自分は悪魔の製作品だと自覚しながら生きていけというのか」
「そうだ。君のオリジナルが、はっきりと夢を自覚する能力を有していれば避けられた事だ。もしも我々にコールするなら、その基本的な夢の見方を心得てすることだな。君には隙があった。夢の隙間は心の隙間だ。その隙間から妹に侵入を許したのだろう」
「お前がそのミスを意図的に見逃したに違いない。お前の主張だけを鵜呑みにしてたまるか」
「なんと愚かなことを言うのか。眠っている間に、夢の領域を妹に支配され、人格権を委ねたまま、我々の組織のコールを受け取るなどと……古今未曽有だ……。君の、睡眠時の安全装置は一体どうなっているのだ。眠るときは、誰しもが、ごく自然に自己の精神世界に、いわざ『鍵』をかけるものだ。それを妹にこじ開けられ、侵入を許した」
「奇跡、奇跡というなら、全能なのだろう。でもお前は何の確認さえできていなかった、お前は、どんな真実も見破ることができない。お前こそが偽物だ」
男の目の色がギラリと月の色に見えた。私の体にぞわぞわと、肌を刺す風が通り抜けた。
「いくら騒ごうが、君は契約の当事者ではない。私が契約した人格は、昨日までこの世界で生きていた君の本体であり、君は昨日から活動を開始した私の作品であり、複製品であり、言わずもがな無関係者だ」
「無……関係」
「私の魔力によって再現された変わり身よ。謝意を表するとしたら、君のオリジナルと、その妹に対してだけである。偽物の君の出る幕ではない」
なぜか私は説教されているらしい。初対面のおっさんに。無関係と言われ肩の力が抜けてしまった。納得できない。
「何度も言うが、万能者を謳う奴の手続きに間違いがおきてました、じゃあ洒落にならないだろう。せめて妹ちゃんよりはお前の立場が下なのは認めろ」
「ではあえていくつか提案しよう。すれ違いで叶えてしまった君の妹の願いを、今から、自由に叶えてみせようではないか。特例として、偽物の君の執念を買ってやろう」
「私は、本物だ……」
「そう思うのは君の勝手だ」
妹ちゃんは私の服をしわくちゃに握りしめながら、男の詰め寄る視線にたじろいでいる。
「では、才ある夢見手よ。君が姉の夢に無自覚に行使した力だが……未知数であり値踏みしがたいものである。その価値ある希少な強さは君の将来、君を支え、活かされるだろう。その時、我々は力を借りる事があるかもしれない。私がそれを見逃してしまった事を謝ろう。さて、ここまでで、何か思う事はないか」
「……お姉ちゃんを助けてください」と妹ちゃんは凍えるように言った。
「小さき夢見手の能力者よ、よく考えるべき状況だ。より具体的に願ってもらわねばならないな。助けるとは、何を意味するか、考えてもらわねばならない。消えた姉がどういう処置をされれば、その客体は助かったと感じるのか、その視点が重要だ」
妹ちゃんは泣いてしまった。当然だ。私だって、長くこいつと目を合わせていられない。文字通り悪夢の匂いを漂わせる気が周囲に漂っているからだ。ここが神社だろうと教会だろうと、こいつはその邪気を放出し続けるだろう。
「つまり、助けるべき姉はそこにいるだろう。それで満足できないのか。その姉は、君との記憶をそのまま継承し、共有している。ただ、ずれたのは一日だけだ」
「よく聞けあんぽんたん。全部終わらせてやるよ。変わりに私が願ってやるから、さっさとコールとやらをしろ。そっちの儀礼通りにやってやるよ」
「誰が代理人になることを許可した」
「お前らの目的は、記憶の収集だろ。私のを全部くれてやるよ」
男は一瞬、目を細めた。
「……馬鹿な事を言う。自己犠牲のつもりか。君が消えて、オリジナルの体を現世界に戻すだと。愚か者が発案しそうな、見事な愚策だ。君は、私が先ほど提示した『自由に叶える』という意味と、それに含まれる可能性を、まったく理解できていない。私の奇跡に、強欲になれというつもりはない、私の力を、そのような出鱈目な意地で消費されてしまうことは、まさか許容できるものではない。」
「私には奇跡はいらない。私は、あるべきだった人生をあいつに返したい」
「……君の妹がそれを望むなら」男は一層難しい顔になり、妹ちゃんに選択を委ねた。
私はしゃがみ込んで妹ちゃんと視線を合わせた。
「妹ちゃん、私は、本当のお姉ちゃんじゃないんだ。きっと私のせいで、こんなことになったんだよね。堂々と自分が本物だって、そう思いながら、生きていたいんだけど、自分が世界に二人いて、もう一人の自分が違う世界を違う感覚で、見て生きているって考えるのは、怖くって、だからあいつが消えたのも、私のせいなのかもしれない……。あいつは、勇気のない私は、今の私みたいに勇気がないから、あの公園で私を信じて待つしかなかったんだ。今度は私も、一緒に助けにいってあげたいって。本当の私に、譲ってあげなきゃいけないんだよ……きっと」
「答えを述べよ。幼き少女よ」
「お姉ちゃんを、助けて――」
「…………了解した」
――――――――――――――――――
『CQ...CQ...CQ......』
――……C……Q…?……アア蛇サン。こんばんは、何、電話………………
――……もしもし……アッ妹ちゃん……………………………………
小さな点が揺らぐ、その一点が集まっては消え、円状に広がってはまた点になる。それが光の粒だと、思い出すまで、何百年もかかった気がした。世界が小麦粉で、私はその中心で水をかけられ、そこで薄く延ばされ、すべての粉を集めるのだった。やがて、認識の扉を見つけるが、そこが認識の扉と気づくのにも何年もかかった。その扉の前に、何も思い出せない私がいた。「それを考えるのは私?」私という認識にたどり着くその経路までが最も時間がかかる壁そのものだった。重たい生地が、私をねじりながら、記憶という層をドサドサと乱雑に、魂の器に埋め立てていった。「これが魂か」そう説得された。説得というか、思い込まされた。何かがあったことは思い出せるが、ただそれが何かは絶対の不明である。私はその旅で、ある点を見つけた。その点の集まりは止まれというパンに焼きあがった。その蛇状のパンの、私は一部だった。「妹ちゃん、いい場所を見つけたよ」私は気泡に宿ったまま、また何年も眠ろうとした。また、宇宙全体と存在が揺さぶられた。初めて声が聞こえた。「はやく進め」それが最初の声だった。
「戻っておいで」
視界に、一斉に眩しい白が塗られた。寝転んで空を見上げている。寝転ぶのも青い空を見るのも、それを思い出すのも、なつかしい気がした。
そしてしばらく抜け殻になっている私には、妹ちゃんがしがみついて泣いている。花よりか弱く愛おしい存在を、私は泣かせてしまったらしい。
「久しぶりだな。君は一つに戻った。今、すべてが返ってきたはずだ」
「…………記憶が、二つ、もう一人分あるな。また、ややこしい魔法をかけたのか」
「君の妹は、君を助けろと言った。私は私の思う解釈で努力をした。君の差し出そうとした、その記憶はくれてやろう。記憶は意志をもって、君の専有であることを望んだ」
「この体と記憶が本当のオリジナルである明らかな証拠を出せるのか。もっと言えば、ここが本当の世界である証明は」
「私を疑うのはいいが、真実は、その一つの身体で、二つの記憶を比べながら、これから思う存分に考えるがいい。真理を追い、考える力というものは、私にさえ奪えないのだ。そして重要なのは、それを問う意味が無いことに気づくことだ。答えから脱しろ」
「止まることは進むことと同じ、逆も然りか」
「そういうことだ」
男はにやりと含蓄のある微笑を残し、背中を向けた。
「では、私は御免を被る」
「この薄気味の悪いのはいらないのか」
男は時計を受け取り、そこに一瞬光を残し、瞬く間に消えた。
私は二人分の溜息を深くついた。そして、懐にうずくまる妹ちゃんの頭を撫でた。
「ただいま、妹ちゃん」
妹ちゃんは、「おかえり」という顔を懸命につくっていた。
私の軌跡を誰が評価するか、果たして誰の指令で、私は何を選んでいるのか。私に停止線を引いたのは、私自身か、それとも。
信号が青に変わった。私はそれを見て、歩き出した。妹ちゃんの手を引いて。
――――――――――――――――――
――――――――――――――――――
――その後、どうだ、彼女は
よく眠っておられますよ
良い夢を見ているか
良い顔で眠って、良い夢を見ているようです
成る程、彼女はよく眠っているのだな
ええ、すべてが救われた顔で
すべてが救われた世界か
そして全てが止まったままの世界です
そこでは、すべてを取り戻せるのだな
その通りです、すべてが理想とする世界、その止まった時の中で
永久に夢を見続けるのか
ええ、あの日消えた時間から
――――――――――――――――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます