CALL7 無頭の青蛇

 今まで所有していた「自我」の所有権とその運用について、私はその抽象的かつ絶対的な自己存在の位置づけに、自信を持っていた。そう、物心がつく、とはそういう事なのだから。絶対的自己の自我の所有、唯一無二の分けられない自己意志が私である。

 昨日から、その私の自我がひとつ増えたという情報を手にしたところで、それはまだ外界の境界から持ち寄られた真実であり、その確からしさ右往左往する私ではない。しかし妹ちゃんの反応は別である。

 一人で帰ってきた少女の足取りは重かった。

 

 私は出ていった分身の所在を聞いてみたが、帰ってきた答えは「消えちゃった。わたしのせいで消えちゃった……」という悲しい声だけであった。

 例えばこういう問題はどうだろう、妹ちゃんの大切なおもちゃが亡くなってしまった、それが物理的にどうしようもない世界に飛ばされてしまった状況が訪れた場合、私はそれを諦めるだろうか、また同じものを買ってあげたら、その時、その笑顔は私の想像できる最高のものだろうか。無くしたものは二度と戻らないよ、そのような『どこかで聞いた法則』に従うように教えるだろうか、または『願ってればまた手に入れることがきっとできる』と、絵本のようなサンタの伝説のような、作り物のリボンを添えて安心させるのがいいのだろうか。

 


 妹ちゃんは泣きながら針の止まった時計を握りしめている。

 今、私は沈黙を選ぶしかなかった。

 本当に消えたのだろうか。昨日、妙な手紙を残して私に読ませたあいつは、公園で出会ったあいつは……かなり気味が悪かったが、間違いなくアレは私であった。さっき、あいつの事を『偽物』と言ったのを少し後悔していた。私の周囲で何がおきているんだ。私は無償の愛の精神は教えても、奇妙な錬金術的な知識は伝授した覚えはない。


 その時、懐中時計からカンカンカンと鉄琴のような高い音が響いた。

 「こんにちは」

 私は絶句した。時計の音が始まると同時に、単四電池のような細身の小柄な男が、突然目の前に現れた。にこやかに会釈をしている。敵か、敵なのか。昨日からなんだっていうんだ。


「ええ、記憶班のmagと申します。回収の派遣で参りました」

「……帰ってください」と私は突っぱねた。

「大した用事じゃございません。その時計でございます。それを私にお渡しください。それだけでございます。渡していただければ、すぐに帰ります」

 小柄な男は手をすり合わせながら苦笑している。

「これは妹ちゃんが持ってきたもので、さっきまであいつが持ってたもんだ、コレは」

「弱りましたね、仕事なのでしてね……」男は腰を低くしながらも、帰る様子を見せなかった。

「あんた、どっからきたんだ」

「自己紹介が足りませんで、すみません。突然現れた事をまず、お詫びいたします。私はどこからきたか……。私は『無頭の青蛇』という組織から参った者でございます。私はその組織の使者であります。シンボルマークは青い瑠璃色のウロボロス。あなたは、ウロボロスを聞いたことがありますか」

 男はそう言いながら、藍色の手帳とペンを取り出して、尻尾と頭が丸くつながった蛇の絵を書いて私に見せた。その蛇には目と口がなかった。

「それを名刺代わりに、受け取りくださいませ」

 男はその手帳の紙を丁寧に破ってテーブルにうやうやしく置いている。私はその紙の絵を眺めながら妹ちゃんに声をかけた。

「妹ちゃん、時計返してほしいってさ」

「…………これは、お姉ちゃんがもってたの……だから……」

 妹ちゃんは使命感を宿らせた目で拒絶を訴えていた。


「では、その……石だけでも、いただけませんかね」

「石?」

 私は時計の蓋に埋められた緑の石を見た。内部にブラックホールが点在しているような黒と深緑の模様が光っている、まるで何かを訴えるように。


「それはコスモクロアといって、宇宙の緑とも言われる石でしてね、美しいでしょう。その中に、もう一人のあなたの『記憶』が入っているのです。ええ、そのはずでございます。本局にお届けせねばならないのです。どうか仕事ですので、渡してくださいませんか」

「この中に、じゃあ……」と私が言いかけると、

「もう一人のあなたが、宿っております。もう一人のあなたがもっていた記憶を対価に、分裂の魔法が成立したのです。そのはずでしたが……。お気の毒ですが、もう一人のあなたは、消滅してしまったようです……。ええ、そのように聞いております……。仲間から入電が入りましてね。消滅を確認したと。しかし、遺憾ながら、口惜しいのですが、せめて石の回収はせねばなりません……。それは元々、私の仲間の持ち物でしてね。それを昨日、もう一人のあなたに渡したのです。あなたは、昨日RXには会ってないのですか?」

「……誰だそりゃ」

 昨日今日で何人新キャラが出てくんだよ、私の周りには。

「では、RXが接触したのは消滅した片方の少女なのですね。成る程。あなたは何も事情を知らされていないと……。RXは、あなたを昨日分裂させた魔法使いです。ええ、先ほど彼の報告を聞いて、石の回収にきたわけです」

「……」私は黙り込んでしまった。


 昨日、もう一人の私は何をしていたんだ。RXだの蛇だの石だの、ずいぶんおかしな事をやってたんだな、あいつは。私が学校に行ってる間に、この妙な団体と魔法ごっこしてたのか。そして大事な記憶を取られて分裂したって? それで結局……本当に消えちまったのか、何やってんだ私は。しかしどうやって……。


「あ、そうです。もうひとつ頼み事をされていました」

 男は妹ちゃんの方を見て、ゆっくりと尋ね始めた。

「幼い少女さん、先ほどあなた、私のせい私のせいだ、と言って泣いておりましたね」

「そう、私のせいで……。お姉ちゃん、消えちゃったの……」

「それは……どうして、そう思うのですかね……。最近、何かおかしな夢でもみませんでしたか?」

「おい、妹ちゃんをいじめるんじゃない」と私は妹ちゃんを抱きながら言い放った。

「すみません。仕事なので……。私は、その究明をしなくてはなりません」


 誰か文系の人がいたら、この小さいオッサンを論破しにきてくれ。こんな御伽な野郎に騙されてたまるか。妹ちゃん、相手をするんじゃないよ。今110するから。


「CQ……」と妹ちゃんがポツンと呟いた。

「おお、成る程。そうでしたか」男はその妹ちゃんの一言で全て察したような声をあげた。

「成る程、あなたも『CQ』を受け取った『夢見手』だったのですね……」

「おいおっさん。勝手に妹ちゃんと仲良くするんじゃない。シーキューってなんだ、ユメミテってなんだよ。妹ちゃんに何かしたのか」

 私はテーブルにコツコツと指を打ちながら解答を迫った。


「すみません……まず、ええと、夢見手は、夢を見るもの、という意味でございます。我々は夢の領域での、夢見手との契約を生業としているのでございます。夢の情報領域世界で、我々は、最初に『CQ』という呼び出しの信号を不特定多数に送るのです。その信号の送信を我々は『コール』と呼んでいるのです。ええ、言い換えて『CQコール』と言っても差支えありません。『コール』というのは、夢の領域における我々の、言わば夢見手への救援信号でございます。夜眠った時の夢の世界、あなた達にとってはもう一つの世界といっていいでしょう。我々は夢宇宙とか、夢の領域、情報世界とも呼んでおりますが。その夢の世界で、我々の救援信号を受信することで、担当の物が、その受信者の望みを聞き、現実世界に叶えに行くというわけです。夢の領域から現世へ強い影響を与える事が、我々にはできるのでございます。あなたがいつの時点で分裂なさったか、私はわかりませんが、コールを受け取った覚えはありませんか? あなたのオリジナルの担当をした者が、契約の際の記憶を消していなければの話ですが……」


 小柄な男の返答を聞きながら、私の心で、短調な感情がざわついている。まるで脳内でバッハの小フーガが流れるような気分だった。感じた覚えのない消失感と疎外感。聞き覚えのない言葉が、底無しの真っ暗な螺旋階段に突き落としていく。男は……もう一人の、消えたあいつの事をオリジナルと言っている。私はその意味の確認をしなければならない。


「私が、私の方が偽物だったというのか」私は男に突き付けた。

「この場合、表現が非常に難しいのですが……。分裂の魔法に関しては、特に表現が難しいのです。伝えるのは酷だとは思いますが……。適切な表現がわかりませんが……。あなたは、オリジナルと同一人物ではあるが、契約当事者ではない、といった所でしょうか……。契約当事者が対価として記憶を渡すことになっているのです。あなたが、全記憶を有しているならば、あなたが分裂した『二人目』である証拠であります。どちらかの記憶が欠けていた場合、その欠けた人物の方が元になった『一人目』という事になります。ええ、消滅したあなたの分身は、何らかの記憶が失われていたはずです。しかし我々の再現能力は完全なものです。同一といって差支えありません。偽物という表現は正しくありません。本物であるか否かという問題にこだわる理由は、わかりますが……」


 男は遠慮しながらも私に辛辣な真実を突き返した。私は作られた存在。こいつらによって再現されたもうひとつの自分。私が私である証明は、私がするしかない。しかし男は私がコピーであると、そう言っている。私は誰のものでもない。そう思っていた。それが自然なことだからだ。

 二人目の私を見たことが事実であっても、そいつが本物で、私が偽物である証明を、誰ができるのだろうか。この男は証明してくれるのだろうか。

 私は私の自我を持っている、この確信こそ私が私である証拠なのではなかったのか……。


「基本的な前提を共有していただけた所で……そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか」と男は切り出して続けた。

「我々が解決すべき問題は、契約当事者である少女の消滅の理由でございます。私の解釈に間違いがなければですが、仮説を立ててみましょう。あなたのオリジナルはコールを受け取り、そして同時に、あなたの妹様も『同じコール』を受け取っていたと。夢の領域で、あなたのオリジナルが見た夢と、あなたの妹様が見た夢、その二つの夢の信号が絡み合って、混線したというわけです。そして担当者が願いを聞いた時、混線した他者の願いが契約に割り込んでしまった。その他者とは言うまでもなく、あなたの妹様なのでございます。妹様、覚えはありませんか」

 男は妹ちゃんの方を見て答えを促した。

「夢で、お姉ちゃんが誰かと話してたの……。そしたら願いが叶うって」

「そうでしょう。そうでしょう。ええ、我々も驚いております。我々さえ気づかないような事でしたので、我々の手違いで心を痛める事になってしまいまして……申し訳ございません」


「……状況が、さっぱりわからない、なぜわざわざ夢の中でコソコソしているんだ」

「ええ、それは、夢見手の感度性能によって、我々は願いを聞き入れる方を選んでいるのでございます。あなたは正夢とか……予知夢だとか、明晰夢だとか……そういう言葉を知っておりますか。明晰夢を見ることができる夢見手の存在を、特に我々は重要に思っているのです。明晰夢とは、夢の中で自己を自覚する能力、『今私は夢を見ている』と自覚する能力をもった夢見手の事でございます。コールを手にするに相応しいのは、そういった明晰夢、正夢、予知夢といった、夢の領域での力を保持している方に限ります。そもそも、そういった選ばれた方々、夢の感度性能をもった方々しか、我々のコールを受け取れないのでございます」

「……なんのために」私は眉間を抑えながら、さらに咎めた。


「ええ、そういった、夢を旅する選ばれし方々、夢の操作を可能にする方々の記憶というのは、特に純度の高い魂をもっておりまして。その創造性に溢れた美しい魂が宿った記憶を集めているのでございます。ええ、情報開示は、漏れなく致します。消滅の原因は、こちらの契約の不備でしたので……。しかし、申し訳ありませんが、記憶だけは持って帰らなければならないのです。その石には、オリジナルのあなたの美しい記憶が、……見たところ音楽に関する記憶でしょうかね、素晴らしい輝きです。あなたの演奏の、見事なものが宿っております。ええ、演奏技術は人並みで構わないのです、音楽は魂で聴くもの、ですから。あなたは夢で音楽を聴いた事がありますか。いいものですよ夢の音楽というものは……。その、結晶になって込められているあなたの本体の記憶。あなたのオリジナルは、その記憶と引き換えに……あなたと、もう一人、二つ目の存在をつくったのです。ただし、それはオリジナル本体の願いではなく……あなたの、妹様による願いだったと。その原因は先ほど伝えたように……」

と男は言いかけ、妹ちゃんの方を見た。

「夢の混線……」と私は言った。

「その通りです」


 小柄な男は椅子にも座らず、相変わらず腰を屈めて、申し訳なさそうな顔をしている。しかし、石をもらえるまで帰らないという姿勢は変わる気配がない。


「確かに私は夢の中で妹ちゃんと会ったことは何度かある、というか何度もある。昨日や一昨日は覚えていないが。実際、友人や架空のキャラクターやら妙な動物やらが、おかまいなしに出てくる。だって、夢ってそういうものだろ。仮にその夢の世界があったとしても、そっちの世界の事情を持ち込まれても、困るんだよ。記憶を集めて何を企んでるかは知らないが……。その前に聞きたい、私は、その大事な記憶の引き渡しに同意していたのか?」


 私は、男の顔が引きつったのを見逃さなかった。

「……本局も一枚岩では無くて、ですね。ええ、もちろん組織ですから、政局のようなものもございます。本局の『無頭の青蛇』には……私の、この現世の方への情報開示に対して、苦い顔をする方々もおられます。あなたの担当であったRXは、特に情報開示には、反対しておりましたがね。まあ喋ったところで……彼に、何か叱られるような事はありませんが……。ええ、彼はよく働いております。が……目的のためには、契約を独断で強行する気質もありまして……。それは、彼が悪いのでは無く、本局の理念に従っているのでございます。そもそも契約などせずとも、夢見手の記憶を無理やりに奪い取る、という恐ろしい術もありまして。本局の前身であった組織は、過去にはそのような蛮行もしていたようであります。いえ、彼は、RXは違います。彼は契約によって、対価と条件によって引き出された記憶の方が、より無垢で純粋な記憶を入手できる、と提言したのであります。我々の魔力を契約当事者に与える対価として、記憶をいただくと。そういう事なのでございます。しかし、もしかしたら、どの記憶を差し出すかの同意は、正しく、行われていなかったのかもしれません……。提示する記憶を選択する際、その同意の際に、夢世界での覚醒の質が曖昧だった可能性もあります。夢の感度性能や、夢の領域の内部での覚醒性能というのは、質がございまして……。ええ、感度性能が低い場合、契約の不備が発生することも、あるのでございます……。騙された、と申されるかもしれませんが……。しかし、我々もより多くの記憶を回収せねばならないのです……。現世の人々に、魔力を行使する禁断の行いが、この世界との摂理との均衡を乱す可能性も考慮しながらですが……。奇跡には、対価も必要なのでございます。しかし、今回は混線を見逃したということで……。あなたのオリジナルの消滅に加え、さらには記憶を奪い取るような形となってしまい……。言い訳もございません…………。おそらく、妹様の夢見手としての才覚が、その混線を我々が見落とした原因となった、と……これも私の仮説ですが……」


 しばらくの沈黙が流れた。どう、解釈すればいいのか、わからない。この記憶の石を渡していいのかも、何を聞けばいいのかもわからなかった。夢という現象を、ただの脳の記憶を整理する現象として捉えていた私の考えは、まるで違う方向に誘導されている。

 妹ちゃんは私のそばで、じっと下を向いている。私は妹ちゃんの手を握り、問いかけた。

「妹ちゃん、夢の中で私が二人いてほしいって、お願いしたの?」

 私がそう聞くと、妹ちゃんは話し始めた。

「ひとりで家で淋しくて……。お姉ちゃんが学校行ったら……お母さんも、お仕事行ったら誰もいなくって……。私、学校行けないから……。おなか、痛くって……こわくて…………。お姉ちゃん……ごめんなさい……。家にずっと、優しいお姉ちゃんが…………。お姉ちゃんしかいないから、私……友達いないから。私のせいで、わがまま言ったから……。お姉ちゃんが、ずっといてほしいって、お願いしたの……」


 私は繋いでいた手を背中にそっと置いて、悔やんでいる妹ちゃんを見つめるのだった。淋しい想いをしているのを知りながらも、帰りが遅くなっていた事。妹ちゃんはそれを黙って我慢していた事。それに気づいてあげられなかった事。いつか元気に学校に行って友達を作れるだろうと楽観していた事。


 全て私のせいだ。

 もう一人の自分が突然現れて、突然消えた場合の対処法。

 そんなもの授業では習わない。入試にも出なかった。

 だから自分で考える必要がある。


 私は妹ちゃんの手を繋ぎ、玄関を飛び出した。


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