CALL4 アハハハハハハハハハハハハハ
私は神主不在の境内で、彼岸花や冬支度をする紫陽花の前にしゃがみこんでいた。
千歩譲って無意識のうちに、悪魔に頼み事をしてしまったとしよう。そして悪魔によって二人目の私が作られた。
最大の問題は、条件を満たさなければ私自身が消滅するということだ。それを回避するには、男曰く「分身した自分との接触」という条件を満たさなければならないということである。
しかし、果たしてどの時点の私が複製されたのか。家を出るまでの自分だろうか。まさかどこかに私の家ごと複製されたのではないだろうな。だとすると妹ちゃんが世界にもう一人……ん?
これは、実は素晴らしい魔法なのではないか。神様ありがとう。いや違う。
堂々巡りの自問の時間、また溜息をついた。ひょっとして深刻に考えているのは私だけ?
「考えても無駄なのだろうか……」と独り言を洩らしていると、男が水を差し始めた。
「無駄か、その通りだ。盛者必衰よろしく君の一生の価値を考える事は無駄そのものだろう。価値とは他者がいてこそ生じ、その他者に映った現象が他者の認識によって処理された評価である。不安定な君の、その自意識の都合によって生み出された他者という仮の影に、絶対的な評価を求めることはできないのだ。『おそらく他者は私をこう思っているだろう』とか、『どうやら私には価値はないのだ』とか、その曖昧な影の裁定に右往左往する様子は、滑稽だと思わないかね、価値の所在など無いようなものであるのに。その客観的価値の妄想による情動が、君のバネになったとして、何かを成立させたとしてもだ、やはり君が成すことは雲のように散り霧のように消える。たかだか100年未満でピリオドをうつ、まさにジャンク品のような、強度の弱いバネである弱き人間が君だ。この時代の部品として、個性的に機能できるか、はたして機能の意味はあるか、機能の役割を考える意味があるか。現象的存在である君が世界に何を問うても、最後には神の理である天寿に屈するほかない。しかし、終末を待つ君のようなマリオネットにさえ『コール』の奇跡が訪れた。他者から哀れみの価値を与えられるのを待ち続ける運命であった君に、心を煮やしながら何十年も採掘し続ける運命であった君に、ようやく夢宇宙からの役割が与えられたのである。いや、この際誰が、どこから与えた役割であるか、考えることは既に無駄なこと。つまらないこと。今与えられた役割を果たしたまえ。どう転んだとしても、同じ無駄な世界だと思えば、消滅も、思いもよらぬ結果さえも大差の無い事であろう。ただ君は、手を繋げばいいのだ」
ようしゃべるな昨今の悪魔は。こいつは思いついた名言らしいものを陰でメモしているような、そんな奴に違いない。
私は悪魔の講釈を聞き流す術を手に入れつつあった。私は向き合うべき話と、向き合うべきではない話を心得ている、反論したら負けである。
勝手に家に上がり込む行儀の悪い男の話を聞けるほど、この謎の講義にぶつかって反論してあげられるほど私の懐は深くないのだ。そもそも私にひっつき虫みたいに、付きまとう目的が不明である。
「そうシリアスになるな。君の言った通りこれは素晴らしい有り難い魔術なのだ。好意は笑顔で受け取るのが礼儀だと習わなかったかね。君の憂いているであろう社会的問題は、如何様にも解決可能であろう。世間には双子か、生き別れた姉妹として報告すればいい。非常に似ている人間が一人や二人いても、周囲の人間はさほど気にしないものだ。生活状態、心理状態等で人相も少しずつ変化していくだろう。さあ家で待つのが嫌ならば、共に学校に行こうではないか、時間は迫っている。今度は私も連れ合おう」
「どんな顔をして同一人物に会えばいいんですか」私は呆れながら言った。
「いつも鏡を見るように、会えばいいだけだ。見慣れた自分と、苦楽を共にした精神と精神が相まみえる姿は、見事な現場ではないか。よろしくどうぞといって握手をすればいい」
男は右手を差し出した。
この手をつないでしまったら、一瞬にして教室に飛ばされそうな気がしてくる。いや、教室よりもっと別の地獄の深い所まで引きずり込まれるかもしれない。そんな恐怖を感じ、その手を拒絶した。
しかし条件を満たさなければ、時間内に私と接触しなければ、0時に私が消えてしまう。
向こうの私は私を知っているのか、悩んでるのはこっちの私だけなのか、と打ちひしがれながら、神社の拝殿の前まで重い足を引きずった。
そして石造りの階段の上にある賽銭箱に目を配り、鞄から財布を取り出そうとした時、ふと私の手が止まる。
「この財布も『向こうの私』の鞄にあるんですかね」私はおそるおそる男に問いかけた。
「君の道徳で判断することだ、好きにしたまえ」
これは偽金と言っていいのだろうか。私の靴が二つあったのだから、財布だって二つあるのだろう。私の知っている神様だったら「その辺の事情」はわかっているに違いない。
神様が優しく「使ってもいいですよ、わかっていますから」と言ってくれたとしても、何だか人の道から外れそうではないか。いや私の知っている神様だったら、使わないように諭してくれるに違いない。そしてこの纏わりつく悪霊を退治してくれるに違いない。
しかしどうして、この男は消えないのか。私はなぜこの悪霊にいじめられるのか。なぜ神様は助けてくれないのか。なぜお賽銭すら投げさせてくれないのか。
「真実は神のみぞ知る」男は葛藤する私に言い放った。私は結局鈴を鳴らさないまま
「真実は学びにある」と心で唱えながら、真実を求め図書館へと急いだ。
15時30分 ――あと8時間
――――――――――――――――――――
天の加護を望めないなら人類の英知に頼るほかない、と確信した私は図書館の椅子に重く腰掛けながらパソコンをつついていた。そこで達した結論は、至極シンプルなものだった。
検索ワード
「ドッペルゲンガー」「バイロケーション」「離魂病」「睡眠障害」
「悪魔祓い」「除霊」「体外離脱」「分裂病」「機能障害」「ドーパミン」「抗精神病薬」
達した結論、それは、幻覚と妄想……。
私は人生において特別でありたいと思うことはあっても、それは普通の生活が前提としてあってこその事である。
しかし私は今日、この瞬間をもって「異常」であることを望んでいた。異常であれば、これまでの経緯がすべて丸く収まる気がしたからだ。
ただ逃げたかった。異常であることを願った。この悪夢から解放されたい。病気だ。私は病気だ。私は医学的に証明された妄想の病気なんだ。逃げ道の答えが見つかった。
神様よりお医者様にいけばよかったんだ。
そうだ、私は患者なんだ。そうだ、病気なんだ。……アハハハハハハ。
よかった解決して。妹ちゃんやったよ。ア、アハハハハハハハハハハハハハ。
お姉ちゃんはだいじょうぶだよ。この通り異常なお姉ちゃんだったよ。
だからもうだいじょうぶなんだよ。アハハハハハハハ。
「現実からは、そう易々と脱出できるものではない」
「また幻聴が聞こえる。アハハハ。でも心配ないのよ、もうあんたを消す処方箋は手に入れたも同然なのだから」
こんな簡単なことに気づかなかったのか私は。現実感に惑わされて騙されていたんだ。全部妄想だ。靴も声も私も悪魔も夢も時計もみんな幻だったんだ。妄想なんだ。私なんていなかったんだ。アハハハハハハハハ。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……。
「なるほど」と男は顎に手をあてながら、震えの止まらない私を見世物のように見ている。
「当局にとってはどちらでも構わない。君が壊れていようがいまいが」
私はなんて馬鹿なんだ。もう一人の私だろうと地獄の大魔王だろうと、なんでも会ってやるよ。アハハハハハハハハハハハハ…………………………。
受付から早足で駆け付けた図書館の司書さんの手が、恐る恐る私の肩に触れた。
「大丈夫ですか」と心配されながら、私は図書館を退館した。両頬に涙をこぼしながら。
16時15分 ――あと7時間
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます