CALL3 妹ちゃんVS悪の大魔王

 ――帰宅 午前9時半


 『もう一人の私』から避難した私は家の自室で自問に自問を重ね全てを疑う作業を始めた。世界で哲学の種をまいたのがタレスという人物である。その人類の智慧の輪はもちろん現代人の私にもツタ植物のごとく、いつの間にか脳内を浸食し、その証拠に今、私は『疑う』という作業に明け暮れている。


 いったいどこから湧いて出たんだ私の分身は。と月並みな疑問をつぶやき、毎晩の哲学基地である寝床に倒れ込んだ。この基地で作戦会議を練った時間は数知れず、それは今までは主に恋の命題についてであったが、今日からは違う会議に忙しくなるのが予想でき、その憂鬱をまず取り除くべきではないか、シャワーか菓子か掃除か音楽か映画か、どの世界に逃避しようかと考えるうちに脱線に気づき、また鬱々とした今日の問題のメインストリームである、あの説教男の声がこだまするのであった。


 念のため引き出しを開けてみたが、そこには乱雑さと精密さのカオス空間である、いわば散らかった引き出しの風景が広がるのみであり、残念ながら四次元的な青い狸は助けにこないようである。

 変わりのない自分の部屋で、何か名推理とハッピーエンドに向けたヒントをあれやこれや探しながら、体力を消耗しているが、探し物ほど疲れる行事はないと断言できる。タイムリミットを刻む時計がカチカチと音を立てている。ここでせわしなくあの男の言うがままに焦らなければならないという理不尽さの渦の中に溺れていた。

 いつもならこの時間は、つまらない教師から大学受験用のシナリオの道をどう歩むべきかを手鳥足取り講義されている頃であり、その講義を避けられたことは実は幸運なのだろうか、と多少楽観的になったが、しかし代わりに私の分身らしきものが授業を受けているということになっているのだから、気味の悪い毒薬を飲まされているようで腹が押しつぶされそうである。そういえばタレスっておいしそうな名前だなと、ぶつぶつ呪文を唱えながら、食料貯蔵庫に向けて足を向けた。


 そこで朝食をつついている妹ちゃんを確認した。

「お姉ちゃんおかえり」と、10才の天才少女は嬉しそうに私を迎えた。

私が登校、即帰宅した事は大した問題ではない、という風な出迎えであり、その余裕は悪魔的でもあった。二人で教育工場をサボるのも悪くはないか。と思いながら呑気に教育番組を眺めることにした。そうだ、どこだって学校になるじゃないか。

 しかしさすがに私の気力の衰えと疲れを察したのか、妹ちゃんは湯を沸かし、茶を入れてくれた。私もこの少女に依存しているが、この少女も私を欲している。この理想郷から自立すべきか、自己批判すべきか、それとも共に愛を語るべきか、その健気な小学生の所作にほっと安堵しながら、私は少女への逃避を選択し、微笑んだ。無償の愛の精神は概念でも虚構でもなく目の前にある実在であった。


「お茶です」

 

 感心な愛弟子であり永遠の宇宙の摂理と概念に昇格させたいほどの妹ちゃんであったが、私の物語はこれからである。


「私は君におかしな質問を用意している。君の仮説に頼るしかない」

「いいでしょう、お姉ちゃん」


「おかしな夢について聞こう。妹ちゃんはいろんな夢を見ていると思われるが、最近その夢が私に何か影響を与えているのではないかと、その精神的奇跡の人知を超えた現象について、なにか心当たりがあれば」

 少女は「ウムム」とうなりながら「耳鳴りが鳴って目を覚ましたらお姉ちゃんから電話がかかってきたり、犬の夢を見た後に友達の犬が亡くなっていたり、お姉ちゃんとテレビをみてテレビを巻き戻したり、お姉ちゃんが月の裏で足が引っかかって置いていかれたり」と淡々と発表してくれたが、妹ちゃんが悪夢を思い出して悲しそうになっていたため、これはまずいと直感し、現実に引き戻した。私は夢覚えが悪いので、何十もの夢の思い出をいくつも引き出せるその情報量に圧倒され、妹ちゃんの催眠にかかる寸前であった。

 

「よし、わかった。今日は一緒に遊ぼう」

  妹ちゃんは食べ終えた食器を片付け、私に有無を言わせないまま、据置ゲーム機の電源はONになり、ゲームに興じることになったが、現実は逃避を許さないようだ。


 扉の方を見て私は身構えた。

 平和な日常がまた崩れる音がした。

 私はポケットの中の時計の重みを感じていた。


「コントローラーは3つあるかね」


「ここまで来んのか……このク」ソオヤジが、と言い放とうとしたが、品のない言葉は毒であると、思い改めぐっとこらえた。

 不法侵入者である付きまといの説教男を軽蔑するように睨んだが、まったく効果はなかった。妹ちゃんを抱えるように引き寄せ、物理的な撃退方法を考えながら、とりあえず悪態をつくことにした。


「悪魔の場合、治外法権なのか?」

「君を真に裁けるのは君だけであろう。同様に、私を裁く者は君ではないということがいえる。君はまだ問われたままのゲームがあったはずだが、もうリタイアするのか?誰かが世界を動かすことを待つだけでいいのか。問うこともしないのか。君の個性はそれを許すのか、それも君の裁きと道徳が決めることであるが」


「こ、こんにちは」


 挨拶に相応しい人間と相応しくない人間がいる、もちろん悪魔に向かって悠長に挨拶をしてはならないのがルールである。声をかけてもいけない、間違ってもお茶は出してはならない。側にいてはいけない。ここにいては駄目だ。私は妹ちゃんを残し、悪魔と出かけることにした。


 ――あと12時間


「置いていかれる少女の顔を見たか。君には情動が欠けているらしいな。満足に学校に通えず、虚弱な精神に病む妹を置いていくなど」


 私だってゲームやお勉強に付き合ってやりたい、妹ちゃんの作るお昼ごはんも食べてあげたい。しかし、こいつは家にいてはいけない。悪魔だと何だと言われようが、この神出鬼没な謎の男をどうにかしなければ。


「打ち明ければいいではないか、全てを。君の妹の本棚を見たところ神秘やオカルトの類で満ちていたぞ。あの書物群は分裂した『もう一人の君』という超自然的存在も容易く受け入れる土壌がある裏付けではないか」

「あれはマンガなの、というか勝手に妹ちゃんの部屋に入ったのか、殴りたい」

「君の進退を見届けるまでが当局の任務なのだ。全てが終われば君の領域にもう干渉することもない」

「任務とかメッセンジャーだとか言ってるけど、元締めの悪の大魔王でもいるのかよ」

「本当に知りたいならば、世界を見つめる態度を改めることだ」


 懐中時計の暗黒ヒスイ色より鈍く濁った目で私は威圧された。

 いや、いいです……。この小言の多い説教男は悪魔呼ばわりをすると機嫌を損なうようだ。

 当てもなく家から離れる道中で、神社の前を通りがかった私は、蜘蛛の糸をつかむ思いで鳥居をくぐった。


「無暗に神に懇願するものではないな。何度も神を呼ぶ行為を『神叩き』というのだ」


 うるさい黙って浄化しろ。






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