ポストアポカリプス百合スプラッタ小説

ともども

第1話 世界は続くよ、どこまでも

 はい、地獄はここにあります。地獄はここにありまぁす!


 そう言って英語のアレックス先生は拳銃で自分の頭を撃ち抜いた。びしゃあと、先生の頭から白だかピンクだかよくわからない色の白子が飛び散り、最前列のY子ちゃんの机にそれは綺麗なまだら模様を描いた。

 一瞬のタイムラグのあと「うわぁ」とY子ちゃんは叫んで、それがまるで当然の権利なんだというようにあたふたする。そんな風にあたふたするから、勢い余って足を滑らせたりもする。Y子ちゃんはツルっと、これが漫画だったらそんな擬音が出る感じの綺麗なフォームでひっくり返ると先生が生涯をかけて作った前衛芸術に頭から盛大にダイブした。うーん、おしい9点。

 いやぁ〜などとテンプレートな叫び声をあげ、そのまま泡を吹くY子ちゃんに、わたしは心の中でご愁傷様とだけ言っておいた。


 さて、こういう場合、わたしはどういう反応をすればいいのだろうか? きゃーと黄色い声をあげてY子ちゃんのようにぶっ倒れるべきか、それとも周りに唐変木みたく突っ立っている生徒のように目の前の現実から反応を置き去りにすればいいのか。はたまた急いで逃げるって手もある。中学生(実際、わたしはぴちぴちの中学二年生だが!)の妄想垂れ流しのように、次に想定(妄想)されるべきテロ組織の介入を警戒して、訓練された人間の環境適応能力を見せつけてやるのだ。


 でも、結局、わたしはそのどれもしない。わたしがするのはニヤニヤとまるでどっかのフィクサーみたいに笑って、クラスのみんなの反応を逐一観察することだ。そして実際、わたしはフィクサーだった。先生が頭をぶち抜き新しい前衛芸術に挑戦するのをわたしはとっくの昔に予期していたし、それを仕組んでいたとさえ言えるほどこの状況を左右する立場にある。


 そういうわけで時刻はお昼の十二時だ。つまり、クラスのみんなが待ちに待ったお昼ご飯の時間ってわけなんだけど、いまやクラスのみんながしているのは、その真逆の作業である。

 人間は栄養を摂取するために日夜、食事を取る。ごはん、ラーメン、うどんにカレー。まぁ、なんでもいいのだけれど、それらはわたしたちの胃で消化されて、各種いろいろな栄養素になる。でも、逆はあり得ない。ありえなくはないけど、生理的にはあまりオススメはしない。つまり、真逆って言うのはみんながみんな、お腹に入った未消化物を床に向かって〇プラトゥーン!しているってことだ。

 いやぁ、でも、すごいなぁ。あっちでゲボゲボ、こっちでゲボゲボ。お腹にご飯が入っていない状態でこのレベルの未消化物を……って、さてはおめーら早弁してたな。


 こうして普段ならドイツの電撃作戦並みの速さでお弁当を開くK太郎や購買ダッシュの名手で下り階段三段飛ばしで足を骨折したM男、お弁当を何故かトイレでこそこそ食べることS子といった面々も今日は打って変わって未消化物○プラトゥーン!に明け暮れている。明け暮れているって言っても、もちろん例外はいて、最前列のC美なんかはこれだけのことが起きて――しかも頭に先生の自主規制をいっぱい振りかけられて――それでも果敢に机に突っ伏して居眠りを敢行している。きっと彼女は居眠りの免許皆伝だ。


 そんな地獄の鬼でも少しは辟易しそうな阿鼻叫喚の中、わたし――麗歌うららかうららはじっーと、ある一点を見つめ続けていた。


 そう、彼女――0例 零下れいれいれいかを。


 彼女の名前をめんどくさっと思った、そこのあなた! いけませんよ! 表現の自由は何物にも代えがたい不可侵なものなんですから。寛容であることには寛容でありましょうね。間違っても、○すって言うなよ、○すぞ。なーんて、ダメなんですから。

 話を戻そう。この惨状の中、わたしは0例零下ただ一人を見つめていた。彼女のその深淵よりも深く、裏山に小学生が作ったダンボール秘密基地よりも仄暗い瞳を見つめていた。

 その瞳はわたし同様ある一点を見つめている。


 ――机の上の英語ドリルを。

 

拝啓 アレックス先生。

 いかがお過ごしでしょうか? 地獄は暑いですか、それとも寒いですか?

 でも、先生の教育は実を結びました。0例零下は、先生の死を悼むことなく、英語ドリルの書き写しをしています。もう中学二年生なのに。中学二年生はいろんな意味でプレミアなのに、彼女はしっかり予習復習を欠かさず、ネイティブスピーカーになろうとしています。いや、そんなことはないか。


「あーあ、つまんないの」

とわたしは大きく伸びをする。詰まるところ、わたしは今回も彼女の気を引けなかったのだ。0例零下の心を、感情を引き出すことができなかった。

 彼女は自分のことをゼロと呼んでいた。心がないらしい。大変だなぁ。

 そして、同時に真のゼロへと成りたがっていた。真のゼロ、曰く無謬むびゅうの存在。それがあれば彼女は今度こそ向こう側へ渡れると言っていた。そこがどこだかわからないけど、たしかに彼女はそこに行きたがっている。

 だからだろうか。わたしは彼女を無性にこの世界に引き留めたくなった。今まで、なんの興味もなかった世界に、たったそれだけで意味を見出すことができたのはきっとそういう単純な理由からだ。


「ねぇ、零下ちゃん」

 私はふと、お話ししたくなって、0例零下の冷たいナイフのような横顔に声を掛けた。

「なに、うらら」

「学校サボっちゃお……」

 ええっ……と、0例零下にしては珍しく少し困惑した顔つきにわたしは何だかときめいちゃう。

「駅前の新しくできたクレープ屋。すっごい美味しいんだって、行こうよ、ねぇ」

「いいけど。うらら、あれはどうするの?」

そういって、0例零下はわたしたちの後ろ、血みどろの教室を指さした。


 みんな死んでいる。アレックス先生だけじゃない。生徒全員が一人の残らずきれいさっぱりと死んでいた。その徹底ぶりといったら猫も杓子もどころか、森羅万象まである。そして、もちろん、やったのはわたし。

 簡潔にはこうだ。わたしが懐から取り出したミニミ軽機関銃の機銃掃射で全員撃ち殺したのだ。わらわらと人の盾が群れを成して倒れていく様は少し?スプラッタってやつで、面白いことにC美は最期まで起きなかった。ゆりかごから墓場まで(物理)だ。


 何はともあれ、ある意味すっきりした教室に0例零下はご不満の様子だ。


「ええ、いいよ、もう。めんどくさい」

「掃除当番の人、困るでしょ。これじゃあ、遅くまで仕事することになるわ」

「いいよ、困っとけば。零下ちゃん、知ってる? ブラック企業じゃ残業しないと怒られるんだよ?」

「ここは地方公共団体独立行政法人なんだけれど……」

「へぇ」


 そんなアホ丸出しの相槌をした手前で申し訳ないが、掃除の心配はなさそうだ。振り返れば大きな津波。学校の窓からでも、クジラの群れのような海水が押し寄せてくるのがはっきり見えた。多分、この四階まできれいさっぱり流してくれるに違いない。


「ほら、麗華ちゃん! 急がなきゃ!」

「ちょっと! もう、うららったら……」


 わたしは急いで0例零下の手をとった。彼女の肌はシルクのように滑らかで、シベリアよりも冷たい。つまりは低体温症ってことなんだけど。いまはそんなことどうでもいいよね。

 そのままわたしたちはキャッキャウフフしながら、階段を下り、渡り廊下に出た。津波は校舎へもろにぶつかって色んながれきを矢のように叩きつけている。おっかねー。


 わたしと0例零下は手を繋いで定期便に飛び乗った。船頭は、まるで残業代が固定給を超えたみたいな顔をして、めんどくさそうにわたしたちに行き先を聞く。何もそんな顔しなくてもいいじゃん。


「駅前! 駅前のセントラルパークに!」


 わたしのその掛け声に船頭はうんともすんともつかない声を返してゆっくり、ゆーっくりと船を沖に出した。ゆっくり過ぎて、危く津波の余波に海の藻屑にされてしまうところだった。

 ようやく落ち着いてから、わたしは改めてさっきまで自分がいた学校を見た。学校は津波に押し込まれ、まるで砂のお城のように溶けだしている。それこそ砂浜が打ち寄せる波にさらわれていくように。

 わたしはそれを見て、少しだけ悲しい気持ちになった。すぐ横を見やれば、わたしと同じように悲しそうな顔をした0例零下がいる。

 

「世界がこんなふうになっちゃったのも、全部わたしのせいね……」

 0例零下は思いつめたようにそう言った。その表情があまりにも寂しかったので、わたしはとっさに取り繕う言葉を探してしまう。

「そんなことないよ。遅かれ早かれ、世界はこうなる運命だった……。そう、思うな、わたし」

「ううん、わたしが招いたことよ、全部。そこだけは誤魔化せない」

 0例零下のその言葉にわたしはただ黙って頷くしかなかった。彼女というゼロはそのうちに何を秘めているのだろうか。


 ここで少しだけ、この世界のお話しをしようかなという気になる。気になっただけで、別に話そうが話すまいが構わないのだが、隣にいる0例零下の顔が一向に構わないという顔をしているので、少しだけ話してあげようかなって。


 でも、何から話せばいいんだろう。色々なことがあり過ぎて、わたしのスラム街なみに貧困なボキャブラリーじゃうまく説明できそうにない。でも、そうだな。やっぱり『あの日』のこと――そう、あの日の話をしたいとわたしは思う。


 その日、世界は崩壊した。

 ええ、いきなり!――ってツッコミも少しは聞いてあげる。FF外から失礼しますって、もうこの世界に外も内もないのだから。

 すべては閉じた輪なのだ。『有真論』。それがすべての始まりだった。


 昔々、あるえらーい、えらーい哲学者は言いました「実存は本質に先立つ」と。かいつまんで言えば、それはノーパン健康法レベルのことなんだけど、ぼくやわたし、その他もろもろには、なんと驚くべきことに生まれた意味もなければ、価値もないのだ。別にわたしはありきたりな厭世観を言ってるわけでも、ネグレクト大好きママやパパが息子に呪いを掛けるときの文言を言ってるわけではない。


 事実として、わたしたちがどこから来たのか、また自分が何者で、そしてどこへ行くのか、それに応えられる人はいない。多分、この世界で誰一人として。わたしたちは、誰かになにかの目的や意味を見出されて――つまり、本質を知ったうえで設計されたわけではないのだ。


 生まれてきたこと、そこになんの理由もない。わたしたちはただ生まれてきた。わたしたちがわたしたちである理由なんて世界はこれっぽっちも担保してくれない。


 まぁ当たり前っちゃ当たり前だよね、こんなこと。おぎゃあって生まれた瞬間、自分が何のために生まれてきたのか判ったら人生張り合いないもんね。お前は主婦が楽をするために開発されたスライサーか! にんじんしりしりってうるさいんだよ。


 でも、それを覆す世紀の発見が為された。為されてしまった。


 『有真論』――それこそ神が賜した我ら被造物の所以なり。

 

 人類は神によって設計されていた。その原初のオリジナルをわたしたちは見つけてしまった。いや、わたしたちの側がそれに見出されたと言うべきか。


  そう、彼女――0例零下というゼロに。


 その日、わたしたちが今まで当たり前だと思っていた常識という常識に強烈な蹴りが入れられた。昨日までの日常は、今日の非日常で、明日はどこにも見えない。そんな感じ。


 0例零下というゼロに見出されたわたしたちは、彼女を複製するための模造品でしかなかった。そして、世界もまた彼女――0例零下によって、作られた水槽なのだ。ちなみにこの論でいくと、わたしたちはメダカか金魚ということになる。


 ようするに、この世界は0例零下が野菜を切るためのスライサーでしかないってことだ。そのために企画され、設計され、実装された彼女のための、彼女による、彼女の世界。でも、彼女がなにを目的にこの世界を創造したのかを、わたしたちはまだ知らない。0例零下はそれについて、もう百年近くも口を閉ざしたままだから。


 そうやって、のらりくらりと彼女が言明を避けている間、五度ほど戦争が起きた。そのうち二回は核兵器が――しかも大奮発で――使用され、四度目の時点で地上には誰も住めなくなっていた。


 そんな折に彼女が国連に提案したのは誰もがびっくり!――目を見張るどころか、眼球が抉り出すほど衝撃的な取引だった。彼女の提案はこうだ……。


「健全な学生生活を送りたい」


「――引き換えにこれまでの戦争で死んでしまった人間すべてを生き返らせる」

 

 それが彼女の言い出した素っ頓狂な提案の内容。加盟国がそろそろ指折り数えられるようになってきた国連はその提案に是非もなく飛びついた。


 こうして0例零下は花も恥じらう中学二年生としてコールタール色の学園生活を送り始めたというわけだが、その学園もついさっき崩壊を迎えたわけです。残念。でも、大事なのは学ぶ姿勢であって、学校じゃない。大昔、青空教室というものがあって、先人たちは屋根のない空の下でも勉強してたと言うじゃないか。環境のせいにするな。


 そう、ここまでくればわかる通り、わたし――麗歌うららは彼女の同級生である。彼女がまだゼロではなかったときの最期の生き残り。世界に置いてけぼりの残りかす。


 そんなわたしがなぜ0例零下にご指名されたのかはわからない。多分、気まぐれなんだろうけど、彼女はわたしを学園生活のお供にすることを決めた。そうと決まれば彼女の行動は早かった。わたしは凍結されていたタイムスケールから量子ゆらぎで復元されて、約100年後の今へと甦った。そして、それ以来、わたしは彼女の隣に連れ添って、この学園生活風味の放浪旅を送っている。


 旅の中、時折わたしは聞きたくなる。


「どうして、わたしだったの?」――と。


 でも、彼女と付き合わせた額ごしにどうにも悲痛な表情が浮かんで、わたしは何度もその質問を見送ってしまう。けど、いつかは聞かなきゃいけない。多分、それが0例零下をこの世界に女々しく引き留めている最期の理由だから。


 わたしはそこで舳先から臨む世界を見る。

 そこには、ただひたすら茫洋とした海が広がっていた。どこを見ても海、海、海。ときたま細い針のような灯台がぽつぽつと見えるぐらいで、あとはぜーんぶ海だった。言葉を選ばずに言えば、日本沈没ならぬ日本以外も全部沈没という有様であるが、これも戦争の傷跡ってやつだ。でも、世界がこんなふうになった大本の原因はやっぱり彼女、0例零下にある。


 それは0例零下が失望した世界。0例零下が打っちゃた世界。世界は彼女がさじを投げた部分から、あやふやになっていく。物理法則を失い、形を失い。最後には時間を失う。でも、そこはわたしと彼女が築いた永遠の学園ユートピアでもあった。


 明日、またここに来れば学校はあるだろう。学校どころか、わたしが撃ち殺したクラスのみんなや、バイバイさよならって頭を撃ちぬいたアレックス先生も変わらぬ姿でそこにいるはずだ。


 残念だけど、そこにはわたしの嫌いな英語の授業も変わらずある。一生、関係代名詞や助動詞の活用(それは古文か)を教える日常がそこにはあり続ける。


 でも、それは閉じた輪だ。繰り返しのおままごとだ。彼らは0例零下がサルベージした分のタイムスケール分しか、時を刻むことはない。最後の授業はアレックス先生が自殺したあと、どっかの国が打ちあげたICBMで木っ端みじんに消え去った。


 そんな世界だけど、わたしは楽しく生きている。彼女――0例零下と二人、終わることのない学園生活に心躍らせている。そのことで、わたしが唯一恐れているのは彼女が飽きてしまうことだ。この学園生活に、この世界に。だから、わたしはわたしなりに趣向を凝らして、わたしたちの学園生活に彩りを添えている。今日は、教室に真っ赤な彩りを物理的に加えてみた。0例零下の反応は微妙だった。10点満点中3点って感じ。あれよか、わたしがM調教された豚の真似事をしたときの方がよほど狼狽うろたえていた。あ、視聴者的にはこれは余計な情報だったかな。

 

 まぁともかく今日もそんなこんなでわたしは彼女の横顔を眺めながらせっせとクレープを口に運ぶのである。クレープは甘いけど、彼女の横顔は甘くなく、どちらかというとビターな感じだ。それでも0例零下という女の子はとってもスィーティーだった。何を言っているかわからないかもしれないけど、彼女はある意味とっても可愛らしい女の子なんだということだけはわかってほしい。


 その綺麗な憂い顔をわたしはスプーンの先でツンツンとつついてみる。彼女のほっぺは餅のように柔らかかった。


「なに、うらら……」

「零下ちゃん、わたしのクレープも食べる?」

「ううん、いらない……」

 0例零下は、そう言ってふるふると首を振る。その度に、彼女の長い白髪が夕日にキラキラたなびいて、わたしはその綺麗さに思わず見惚れてしまう。夕日をバックにクレープをぱくつくだけでやけに様になる女。それが彼女、0例零下だ。

「えーおいしいよー。生クリームバニラアイス味」

「うららの好みはいつも甘すぎるのよ。聞いただけで、わたし胃下垂になりそう」

「えーそんなことないってー。ほら、あーんして、交換しよ、交換。わたし、そっちの味も食べてみたい」

「それが本命なんでしょ。まったく……」

 やれやれと嘆息する0例零下。でも、そうは言うものの結局わたしのワガママを聞いてくれるのが彼女の可愛いところなのだ。

「はい」

 ぶっきらぼうに差し出されたスプーンをわたしはきょとんを見つめて、

「え?」

「ほら、食べたいんでしょ」

 早くと促されるまま、わたしは彼女にいわゆるあーんをしてもらった。茶色い粒の混じった青緑色の何かをスプーンで口に突き入れられた瞬間、鼻を抜けるような清涼感がする。

「うぇ、なにこれ……。スーっとする」

「チョコミント味。美味しいでしょ」

「えー無理。吐き出していい?」

「頑張ってごっくんしなさい、ほら」

 って言われてもこれを飲み込むなんて無理そうで、わたしはどうにもできずにスーっとする液体を口の中で転がしている。そのとき、わたしはふと戯れにべーっと舌を出してみた。

「あ、これ、なんか精え……」

「うらら」

「すみませんでした」

 そう、たしなめられてしまってはしょうがない。わたしは素早くそれを飲み込むと、てへへと笑い、ついでに舌をぺろっと出して反省の意思みたいなものも表しておく。

「味覚がまだおこちゃまなのよ。うららは」

 と0例零下はスプーンをくるくる。ちょっと勝ち誇った感じでクスクス笑った。味覚がおこちゃまって零下ちゃんもセロリ食べられない癖に。

「それを言うなら、零下ちゃんはもう焼肉とかケーキとか重いものは無理な中年男性の胃腸でしょ」

「なにその生々しい例えは……。それにわたし、まだ中学二年生よ。消化器官が還暦のお歴々と一緒じゃ、困るじゃない」

 とマジレス。必要以上に素直なのもまた0例零下の魅力である。

「じゃあ、ほら」

 とわたしはスプーンを差し出した。

「おいしいよ、きっと」

 0例零下はきょとんとした顔で「だから~」と言おうとする。でもね、待って。

「食べてみたらおいしい、好きってなるかもしれないよ」

「どうせ、口に合わないわ」

「わかんないよ。食べてみなきゃ……」

 わたしは少しの願いを込めてそう言ってみる。願いなんて少々大袈裟かもしれないけど、わたしは0例零下の言い放つこのにべもない『どうせ』って奴を少しでいいから取り払ってあげたいと思う。だって、彼女の抱える根っこみたいな厭世観はきっとここに端を発しているから、この『どうせ』が0例零下をひとりぼっちにしているから。

「ね、ほら……」

 とわたしは0例零下の口にあーんとスプーンを持っていく。徐々に近づくスプーンを尻目に彼女は最後までぶつくさ小言を言っている。でも結局は、スプーンは等速直線運動。迷うことなく彼女の小さなお口に収まった。0例零下は流されやすい女の子でもあるのだ。

「どう? 零下ちゃん」

 やや間があって、0例零下の表情はもう分かりやすいくらいにほころんだ。

「……おいしい」

「でしょ! ほら、やっぱりわたしって天才!」

「うららが作ったわけではないでしょ」

「甘いね、零下ちゃん。このクレープより甘いよ。わたしが選んだんだから、これはわたしが作ったのも同然なのだよ」

「ふうん、おかしなうらら……」

 そう言って0例零下はころころと笑った。その笑顔は0例零下が今日初めて見せた笑い顔だった。

「ねぇ、零下ちゃん……」

「なに、うらら」

「わたしね、この世界が大好きなんだ……」

「どうしたの急に」

 怪訝な顔をする0例零下はなおも美しい。それはまるでこの世界の冷酷無比な黄金律のようで。でもきっと、これこそわたしたちに教え込まれた本能の為せる憂い顔の本質。

「たしかにこの世界はもう滅んじゃったけど……。それでも今日みたいに、まだまだ楽しいことや、ワクワクするような発見がいっぱいあると思うんだ、わたし」

「うん……」

 0例零下は黙ってわたしの話を聞いていた。

「だからね、零下ちゃん。世界を諦めないで――とまでは言わない。でも、またわたしとこうやってクレープを食べに行ってくれる?」

 0例零下はしばらく世界を見つめていた。このグレー色の空と黒い海に二分された何も無い世界を。そして何かを思い直したように頷くと、

「ええ、うららが望むなら」

 と髪をかき上げパクリ。今度はわたしの持っていたクレープを直に口にした。

「……やっぱり甘すぎ」

「ええー」


 世界からは色んなものが失われてしまった。それは国土なり資源なり目に見えるものから、常識や倫理といった目に見えないもの、さらには物理法則や時間と言った理解すら超越するものまで含まれる。それこそ含められるものなら、何でも手当たり次第野放図に含んでやろうといった気概さえ感じるほど。まるで金額制限を失った遠足のおやつみたいに世界は失うもの発注リストを無限にオーダーし続けている。


 そして最期には世界は世界そのものを失うだろう。そのとき0例零下は世界という鳥かごから飛び立つ。0例零下という本質を見失った世界は世界であることをやめる。簡単なことだ。鳥ありきで作られた鳥かごも、鳥という本質が永遠に失われれれば、それはもう鳥かごではなくなる。世界の本質である0例零下を失うとはつまりそういうことだ。


 世界の方だって、自分が何者かわからないのに世界を名乗るわけにはいかないだろう。


 そして、それは遅かれ早かれ訪れること請け合いだ。なんせ、0例零下はこの世界に飽き飽きしているのだから。何かの気まぐれで突如この世界を見捨ててフラっとあっち側に行っちゃうなんて、彼女ならやりそうな話で。むしろ、わたしは今この瞬間にも失われた世界が未来から今に向かってものすごい勢いで近づいている気がしてならない。『失われた時を求めて』ならぬ、『失われた未来を求めて』ってやつだ。そして、その未来もいまや人類の手の届かないところにある。


 ……だけど、わたしは信じている。


 彼女が寸でのところで繋ぎとめた世界を。気まぐれで、そこに何一つとして筋道だった理由はないけれど、何故だか救おうだなんて。そんな『もしも』を夢想してしまった世界を。


 再び見上げた世界はおそらくもう二度とないくらいに晴れ渡って、地平線から望む夕日がわたしと0例零下を照らしている。見れば、わたしたちの影はどこまでも尾を引いて、遠く向こうで一本の影となり、夕日と反対側の虚無へと差し込んでいた。そして、0例零下が見つめる深淵もまた同じ場所にある。彼女はこの暗黒をどういう思いで見つめているのだろうか。


 わたしは想像してみる。それこそが0例零下の罪であり、彼女が世界を終わらせるに至った罪科だった。


 でもね、とわたしは心の中で言う。


 世界なんてものは、初めからこんなふうに暗くて、冷たくて、無慈悲極まりないものなんだって。


 それは今に始まったことじゃなくて、何百年も、何千年も前から、それこそ原初の始めからそうであった種類の残酷さだ。そして、それはこれからもそうであり続ける種類の残酷さでもあって、わたしたちの生活はそういうものと隣り合って、仲良く手を繋いで、えっちらおっちら二人三脚で歩んでいかなければならなかった。


 ときに彼らは大切な人を思わぬ形で引き裂き、ときに大嫌いなあの子や無関係な誰かさんを気まぐれに奪っていく。そして、ときには、そう……ときにはわたし自身のことも手放し、死っていう厚く塗りこめられた無の中に勢いよく突き放す。


 そんな残酷さが、始終どこでも四六時中わたしたちのすぐそばを取り巻いている。


 それが世界というものの正体なんだ。

 

 だから、誰かがその残酷さの悲しいわけをどれほど背負ったところで、他の誰かがその分救われたり、報われたりだなんて、そんなことは絶対にない。


 それを悲しいと思う心を陳腐だなんてわたしは切り捨てたくはない。だけど、だけれども、わたしたちはそういうものを是として受け入れるしかないのもまた事実で、諦めって言葉は多分、そういう意味でわたしたちを救う最期の砦みたいなものだ。


 それでも、0例零下はその悲しみを一つとして取りこぼさない道を選んだ。


 酷薄さを断固として受け入れず、幸福やそれにまつわるものを最後まで諦めることをしなかった。彼女は優しかった。だからこそ、それを是とすることなく否定し尽して、最期には世界という残酷な運命そのものを拒絶した。


 多分、それが理由ってやつだ。


 0例零下がゼロになった理由。0例零下が世界を曖昧にした理由。0例零下がわたしを選んだ理由。


 だから、わたしはこの酷薄さこそ、わたしたちであるっことを彼女に思い出してもらう必要がある。


 狂気の沙汰ほど、地獄の業火こそ、この世界の美しく愛おしいものに変えるんだって。変えられないすべての理由って奴に蓋をして、それを見ないようにしたって、結局、それは彼女の独りよがりで本質から目を背けた行為に他ならない。


 そして、この地獄こそわたしが0例零下に見せる愛なんだってことをわたしは彼女に証明してみせる。


 地獄、地獄、地獄。この世界の地獄という地獄を一挙にかき集め、0例零下の前にもっていけば、少しは彼女の気を引くことができるだろうか? 彼女はこんな世界でも無駄じゃなかったんだなって考えを改めてくれるだろうか?


 そして、最後にはこの世界に真っ赤な帳を下ろして、その血みどろのブラッドバスで私は彼女と二人でワルツを踊るだろう。


 わたしは最期にもう一度、彼女の愛しい愛しい横顔に視線を投げかける。振り向く0例零下の微笑みはあくまで涼し気で、わたしのこの不埒な考えなどはまるで露知らずといったふう。


「ねぇ、零下ちゃん」

「なに、うらら……」


 けれど、わたしは知っている。彼女の罪はわたしと二人で半分個。わたしは0例零下の共犯者でもあるのだ。

 

「今度はもっとのすごいの見せてあげる……」

「すごいの?」

「うん、もうズッタズタのグチャグチャの血みどろで、胃が裏返って口の中から出てきそうなくらいすんごいの!」

「ふふ、それは楽しみだわ……。うん、とっても……」

「えへへ、そうでしょ。わたし、次こそは零下ちゃんをあっと言わせてみせるんだから」


 そうして、わたしと0例零下は手を取り合って帰路に付く。


 有識者いわく世界は破滅した。だけど、そんなことはどうでも良くって、わたしたちの異常で非常な日常はどこまでも続いていく。


 この旅に終わりはあるかもしれないし、ないかもしれない。それは明日かもしれないし、実は昨日だったかもしれない。今この瞬間にも終わるかも知れない。


 しれない、しれない、知らない、知らない。だけど、わたしは前を向き、彼女と手を取り合って、その終焉を迎えようと思う。仲良く手を取り合って、終わっていきたいと思う。


 それでもまさか、その終焉ってやつがすぐ目の前にまで差し迫っているなんて、このときわたしは知る由もなかった。


 だからだろうか、このとき二人で見上げた空はとても……そうとってもきれいで、わたしはきっとこの景色を死んでも忘れないだろうと思った。


 そして、その瞬間が訪れて、わたしは死んでしまったのだ。

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