第23話 決断
生きることは選択の連続だと誰かが言ったのを覚えている。それは二度寝をするかしないかという気軽なものから、人の運命を左右する、間違いの許されないものまで。
自分は人生のどこでその選択を間違ったのだろうと、カイは思い返していた。あるいは、間違いなどなかったのかもしれない。だが自身がいま置かれている状況において、カイは自分のしてきた選択を正しかったのだとは到底思えなかった。
どこでどのような答えを選べば、この苦しい地点を通らずにすんだのか。
ルシアをヴィダルの魔法で壁の外へ出すことはできないのかと聞いたとき、ヴィダルはすまなそうに答えた。
「契約者にかけられた制約を他の者が解除することはできないんだ」
レダの壁は今でもカイとルシアの生命力を吸い続けてそこに存在している。だから二人の命がつきれば壁も消える。
ヴィダルの話したのは、国全体を移動させるという方法だ。移動させるときに全てのエネルギーを使うので、ヴィダルとカイが死んだとしても元に戻ることはないという。
ヴィダルは言った。自分は母よりずっと若く、魔力も高い。今度は中継点がなくとも移動を完璧にすることができる。
それでもルシアの犠牲は免れない。
「ただ君がこの方法に納得できないなら、契約を結ぶことはできない。その時は静かに死を待つだけだ。私は君が選んだ方に従う。そしてそれに全力を注ぐ」
一方ルシアはこう言った。
「何も迷うことはないわ。この国を守りたいのは私も同じ。ただ無駄に命を長らえるより、そっちのほうがずっといい。私はそうしたい」
この国の人達を危ない目に合わせることをしたくない。それは、カイの揺るぎない願いであり責任だった。だが、二人の大切な者の命や寿命を奪ってまでそうしたいのかというと、それは違うと断言できる。
決めることができない。
それなのに、その選択をしなくとも時間は無情に刻一刻と迫り来る。
「……さっきはごめん」
「いや、私が卑怯だったんだ。君は怒って当然さ」
落ち着いたあと考えると、自分の事を思ってしてくれた行動だったというのがよくわかった。そもそも、自分の生涯を全てカイの為に使っているようなヴィダルのいままでの行動に、なぜ気遣いを読み取れなかったのか。
「……俺、わからないよ」
感情を抜きにすれば本当はどうするべきなのかわかっている。
ごく薄い羊皮紙の中にその答えは包んであった。薄すぎてここからほとんど中身が見えている。だが、開けることができないのだ。開けると羊皮紙は破れて元に戻せなくなる。その覚悟が自分にはなかった。
「君が決めるんだ」
ヴィダルのその言葉が重苦しくカイの心にのし掛かった。
「明日の朝、答えを聞く」
・
朝が来るのをこんなに嫌だと思ったことはない。考えても考えても自分の納得できる答えが見つからない。真っ暗な闇に飲まれて、このまま目を覚ましたくないとさえ思った。
今、寿命がつきればいいのに。そうすれば、どちらかを選ぶなんて事をしなくて済むのだから。
ふと、いつかヴィダルの言ったことを思い出す。
――魂は永遠だ。お互いが強く思い合えばまた必ず巡り合う。
そう彼は言った。
振り返るととても長い人生だった。それでも、死ぬ間際に二人と過ごした時間はとても幸せな時だった。自分達が死んだあと、次の世界で生を受けられるとしたら、また二人に会えるだろうか? そのとき自分は胸を張って笑うことができるのか?
カイは闇の中で恐る恐る目を開いた。
この選択から逃げることは、二人から逃げることだ。
自分はどちらを選んでもきっと後悔する。それなら、最善の結果になるようにしっかりと向き合おうと腹をくくった。
・
一睡もできないまま朝日が上った。その太陽を見たとき、カイはいままで見たどんな日の出よりも美しいと感じた。
深い緑の木々の隙間から少しずつ上る光。空は薄いオレンジ色から水色へとグラデーションを
カイは踏みつけた靴の
ルシアの小屋への道を辿る。一歩一歩踏みしめるたびに少しずつ変わる景色を注意深く見た。いつもとなにも変わらないのに、まるで知らない場所を歩いているようだった。短い距離がとてつもなく長く感じる。
自分はあと何回、この道を行き来するんだろう。
小屋のドアにゆっくりと手を掛けた。
ドアを開けると既にヴィダルもそこにいて、二人が待っている。
二人の瞳がカイの視線を受け止めた。彼の答えを待っている。
カイの顔にもう迷いは見えない。
カイは二人に近づくとはっきりと告げた。
「レダを守りたい。俺と一緒に死んで欲しい」
ルシアとヴィダルはほとんど同時に答えを返した。
「喜んで」
カイは胸が一杯になった。情けないことに涙が溢れそうになったが、なんとかそれを振りきる。優しく微笑んだ二人の顔がまぶたの裏に焼き付き、それはカイが死ぬまでずっと、彼の心臓の一番深いところに刻まれ続けた。
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