第22話 2つの苦しみ

 ヴィダルは耳障りな音で目を覚ました。

 いつの間に眠ってしまったんだろうと、すぐ隣に視線を移す。

 いつもは自分の方が先に目を覚ますのに、今日彼の姿はそこになかった。


 光が差し込む窓を両手で軽く押せば、さらにたくさんの光と冷たい風が頬を撫でる。さっきは耳障りと感じた薪を割る音が、今度は小気味良く響いて聞こえた。




「おはよう。少しは寝たのか?」


 ヴィダルの声に振り向いたカイの笑顔は爽やかだったが、どこか疲れているようにも見える。その額には汗が滲み、頬を伝った。


「私がやろう。君は寝てないんだろう? 少し休んだらどうだ」

「大丈夫! もう終わったし……それより昨日の続きだけど」


 どう切り出そうか少し考えていたのに、カイの方から口を開いて来たことをヴィダルは意外に思った。もうしばらくは気分を落ち込ませていると考えていたからだ。でも、これから先話すことで落ち込ませてしまうかもしれない。


「君の、祖国を守りたいという願いだけなら叶えられる」


 カイは目を見開いてヴィダルの次の言葉を待った。


「今度は私と契約を結ぶんだ」



 ヴィダルと契約を結ぶ。その言葉はまるで竜巻のようにぐるぐると渦を巻き、すごい勢いでカイの頭を通り過ぎていった。数々の疑問を乱暴に振り撒きながら。

 カイはそれをひとつ拾い、ヴィダルに返す。


「ちょっと待って。それは、お前の寿命を縮めることになるんじゃないのか?」


 ヴィダルは驚くほど優しい顔で笑った。


「私は百年前に一度死んでるんだ。君に助けられなければな。今さら寿命が縮んだってどうということはない。それに、私はこうすることをもうずっと前から決めていた」


 そう言ったヴィダルの瞳は美しく揺らめく。


「俺、嫌だ」

「カイ、よく考えろ。君に残された時間は短い。これは私が考えうる最高の手段だ。他に方法はない」


 この国の人々は危険にさらされる。それを回避する方法はひとつしかないのに、その方法をとれば、ヴィダルの寿命を脅かすことになる。


「お前に死んでほしくない」

「例えば契約を行わずに君が先に死んだとしても、私はできる限りこの国を守ると誓う。ただ、そうしたとしても契約を結んだ後の寿命より早く私は死ぬだろう」


 カイは黙りこんでヴィダルの燃える瞳を見つめた。


「他のドラゴンと戦って死ぬ」


 カイは今すぐ走って逃げたくなった。この問題を考えることを放棄したかった。結局ヴィダルの言うとおりにするしかないのか。



「死を恐れるな。なにも悲しいことなんてない」


 カイは情けない声で答えた。

「でも、お前と契約したとしても、また俺たちが死んだら魔法は消えちゃうんだろ? それなら、もう……」


 カイの言葉を遮ってヴィダルが声を上げる。


「ルシアの所へ行こう。この先は彼女にも関係のある話だ」

 とまどうカイをよそに、ヴィダルの目はもうルシアの小屋の方向をしっかりと見据えていた。


「待ってよ、ヴィダル!」


 ヴィダルの足取りは早く、カイは小走りでやっと彼と並ぶ。


「ルシアは、俺が死んだあと自由になれるのか?」


 ヴィダルはカイの顔を見ずに、首を横に振って答える。


「君が死ぬとき彼女も死ぬだろう」


 カイの心臓がぎゅっと縮み上がった。

 あそこから出られることもなく、死を迎えてしまう。

 思わず唇を強く噛んでいた。



 ヴィダルの歩くスピードと表情にカイは不安を感じた。いったいルシアの前で何を話すというんだろう。カイの胸を嫌な感覚が襲った。何故か、激しくなった動悸がおさまらない。


「ヴィダル、やっぱり、」


 カイがそう言ったとき、ヴィダルはルシアの小屋の扉を開いた。



「ルシア、話がある」


 ルシアはもう起きていて、突然差し込んだ朝の光に目を細めた。そこには、いつも通り深刻そうな顔をしたヴィダルと、息を切らしながら先に入ってきたヴィダルを追いかけてくる、不安げなカイの表情があった。

 何かただごとではない雰囲気を悟ったルシアは、挨拶も忘れて思わず立ち上がる。


「どうしたの?」


「話があるんだ」

「待てよ、ヴィダル!」


 腕を掴むカイに、ヴィダルは鋭い眼差しを向けた。


「悪いが大人しくしていてくれ」


 ヴィダルがカイの腕を人差し指でトンと叩くと、カイは先までの勢いが嘘のように静かになった。腕はヴィダルを離し、檻のそばにぎこちなく腰かける。カイは目を白黒させて口をパクパクと開くが、その声は聞こえてこない。


「魔法で自由を奪った」


 驚くルシアはただ目を丸くして、声を出すことも忘れている。


「今から話すことを、信じられないかもしれないがとりあえず聞いてくれ」


 ルシアを見つめながら放たれたその言葉は、カイへの言葉でもあった。


「私は実は人間でない。ドラゴンなんだ」


 表情ひとつ変えずにそんな事を言うヴィダルを、ルシアはただじっと眺めていた。過ごした時間は短いが、こんなつまらない冗談を言う男性ではないとルシアは知っている。そして、カイがいつか話してくれたことと、ヴィダルの言葉は結び付く。


「……カイと契約したドラゴンがあなたなの?」

「いや、それは私の母なんだ。やはり君は聡明な人だ。話が早い」


 ルシアはただ黙ってヴィダルの話を待った。


「この国をドラゴンから守る壁。これが君とカイの死後、なくなる。カイはこの国の未来を案じている。この壁がなくなれば悲惨な結果が予想されるから」


 ルシアはドラゴンをその目で見たことがなかったが、話だけはこの国に住むものなら誰もが耳にしていた。獰猛で残忍な生物。そして人間を襲う。国の人々が身を守るために様々な武器が開発されたことも、城の兵士達がきたる襲来の日に備えて毎日訓練を重ねていることも知っていた。ただ自分はいつも一番安全な場所にいて、そんな危険な生活とは対極の場所にいたものだから、その恐ろしさを肌で感じたことはなかった。


 ヴィダルがそのドラゴンだという。

 そして、そのドラゴンから守ってくれていた壁がなくなる。道理はわからないが、とりあえずその言葉を信じて飲み込んだ。


「私達は、いつ死ぬの?」


 あまりにも飲み込みが早いルシアを、カイは信じられないという顔でただ見つめた。ルシアの顔には動揺も驚きも浮かんでいない。そして死を受け入れている。


「正確にはわからないが、早くて一ヶ月後。一年は持たないだろう」


 その言葉にはカイの方が関心を示した。思ってたよりも随分早い。そう感じた。



「でも、この国を守れる方法がある。 ヴィダル、あなたの目がさっきからそう言ってる」


 この暗い地下に長い間閉じ込められていたことで、ルシアは不思議な力でも手に入れたのではないかとカイは思った。自分にはヴィダルの顔を見たってそんなことを読み取る余裕はなかった。口を挟みたい気持ちでいっぱいなのに声がでない。


「この壁の中身ごと、他の場所へ……ドラゴン達の存在しない場所へ移動させたいと考えている。……だけど、それは」


「私も行くわ。この国と一緒に」



 ルシアはまるでその事を分かっていたかのように、ヴィダルが言い終わる前にそう言った。ヴィダルの顔に初めて動揺の色が浮かんだ。


 カイの腕は震えて拳を握っていた。この不思議な力に精一杯抵抗している。立ち上がりたいと、何かわめき散らしたいと、体を動かそうと戦っている。だがそれもむなしく打ち消されていた。


「それでも、ルシア。君は自由になれないんだ。きみがこの壁を超えれば傷つけられるように、国が移動すれば壁を超えたことになり、……君は命を落とす」


 カイは初めてヴィダルに怒りを覚えた。これを言うために、ルシアのところまで来たんだ。先に自分に話されたとしたら、絶対に許さないとわかっていたから。ルシアが拒まないと分かっていたから。


「わかっています。私はヴィダルの方法に賛同するわ。今さら死ぬことに何のためらいもない。ただ少し、それが早いか遅いかの違い……でしょ?」


「感謝する」


 ヴィダルはルシアにそう言うと、頭を下げて敬意を示した。そのあと、顔を真っ赤にして震えているカイの右腕をまたトンと叩く。カイは崩れ落ちるようにその場に倒れ込んだが、すぐに起き上がってヴィダルの襟首を掴む。ルシアはその様子に息を飲んだ。


「ふざけんなよお前!」

「彼女は納得した」


 ヴィダルはいつもの冷静な表情で言ってのける。それがますますカイの怒りを煽った。


「俺は納得してない! そんな方法俺は認めない!」

「それしか方法がないんだ。彼女も言ったように、少し死ぬのが早くなるだけだ」


「黙れ……ぶん殴るぞ」

「構わない、やれ」


 カイは泣きたくなって目を伏せた。結局何を選んだとしても、苦しい道しか残されていない。カイはもう一度目を開けると、ヴィダルの顔を見た。


 ヴィダルの冷静な顔は徐々に曇り、その眉を落としていく。その目に浮かんだ涙を見るのは初めての事だった。カイは自身の身に宿る炎が、段々と水を散らしたように消えていくのを感じた。


 静まり返った小屋に、虚しさだけが影を落としている。カイは掴んでいたヴィダルの服を離す。


 苦しいのは自分だけではなかった。


 なにが「殴る」だ。そんな事できるはずがない。

 カイが一番殴りたかったのは、自分自身だった。

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