第20話 因果

「でも、……まだ、聞きたいことがあるんだ」


 カイが視線を落としながら言う。その様子はなぜか弱々しく、いつものカイらしくない。まるで何か、言いにくいことでも切り出そうとしているように。


「言ってみろ」


 ヴィダルの声に一度目を上げたカイは、困ったような顔で口を開くのをまだためらっている。それは他人に何かを遠慮している時の顔だった。


「ルシアのことか? 彼女は恐らく ……」


 その名前を聞いた途端、せきをきったようにカイは吐き出した。

「ずっと、気になってて……ルシアは何も知らないんだ。なのに俺と同じ契約印が、同じ場所に……。壁を越えられない制約も同じ、契約印が体に現れたのも俺が契約した歳と同じだ。何か関係あるのか? 話せないっていうなら、仕方ないけど……それに俺は彼女をまた一人ぼっちにして死ぬのがすごく心配だ」


「……契約印を見たのか? じゃあ間違いないな……どうか自分を責めずに聞いてほしい」


 その言葉にカイは胃が痛くなった。それにヴィダルの顔は、明らかに良い話を始める表情でない。


「結論からいうと、ルシアは君と同じ内容を……契約を、結んだ事になっている。自分の知らない間に」

「……どういうこと?」

 カイの目は大きく開き、口元は不安にゆがんでいる。


「君と交わした契約の魔法の規模が大きすぎて、母の力からすると契約者が一人では足りなくなった、この国全体に結界を張るにはかなり巨大な魔法でないといけない。地形にかける魔法を効率よく保つには、外と中に中継点を用意するんだ。外の中継点は君、そして中の中継点が彼女だ。丁度その時国の中心近くに居た人間を、母は契約者として選んだ。他にも居たろうが……なるべく人間として近い者同士の方が具合がいい、例えば産まれた日が同じだとか、年齢が同じとか……」



 カイは頭を思い切り殴られたような気分だった。思考が動作を止め、目の前が完全に真っ黒になる。

 ルシアをひどい目に遭わせた原因を作ったのは、他の誰でもない自分だったのだ。



「そんな……うそだろ」


 胸に何か不快なものが込み上げてくる。喉が焼ける、吐きそうだった。

 自責の念、という言葉では物足りないほどの最悪な感情が制限なく溢れ出し、血管を伝い全身に染み渡っていった。今カイの体を傷付けたなら、そこから流れるのは赤い血ではなく、真っ黒な罪悪感だ。


「……カイ、君のせいではないからな」


 ヴィダルの言葉も届かない。こうなることをヴィダルはある程度予想はしていたが、実際に絶望の淵に立たされあと少しでも風が吹けば奈落の底に落ちていきそうなカイを目の当たりにすると、話したことを後悔する。


「俺が、よく考えもせずあんな事願ったばっかりに」


 顔が青い。完全に血の気が引いている。


「カイ、」

 ヴィダルがカイの肩を触ろうとしたとき、カイはその手を振り払った。


「あ……、」

 ヴィダルの驚いた顔を見て、気まずそうに顔を伏せる。


「ごめん、……少し、一人で考えたい」


 そう言って両目を手で覆い、項垂(うなだ)れる。

 ヴィダルは頷くと、黙ってその場を離れた。



 カイが自分のせいだと自らを責め苦しい思いをするのなら、その理屈で言うと自分にも責任がある。

 自分がもしあの時あの森であの罠にさえかからなければ、今こうしてカイを苦しめることはなかった、そうヴィダルは思った。

 

 あの時カイに助けられなければ自分の命は終わっていた、ならばその命はカイのために使おう。ヴィダルは初めからそのつもりでここへ来た。だが自分にはルシアを助けることができない。ここへ来るまで、彼女の存在すら知らなかったのだ。カイの願いは国を守ること。そう思い、ここへ来た。だが彼はもしかすると、それ以上に彼女の事を助けたいと願うかもしれない。

 



 ・





 いつの間にか日が高くなっている。

 ヴィダルはルシアのいる小屋へ向かった。

 ドアを明けた途端、中の暗さに驚く。


 ――そうか、窓を開けてやらなくては。


 不格好な窓に向かいながら、ヴィダルはなるべく明るい声でルシアに声を掛けた。


「おはよう」


 おはよう、とすぐに返事が返ってくる。

 全ての固く開きにくい窓を開けると、小屋は見違えたように明るくなった。


 ルシアはヴィダルに礼を言った後、小屋の入り口の方を見ている。カイを探していることがすぐにわかった。


「カイは、その……ええと、自分の舌でまぶたを舐めないと家から出られない病気になって……いや、心配しないでくれ、たぶんすぐ治るから、と言っていた」

「まぁ! それは心配せずにはいられないわ。大丈夫かしら……」


 深刻な顔でその嘘を信じるルシアを少しの間眺めた後、ヴィダルは自分の意思とは全く関係なく、自然に口を開いていた。



「君はもしそこへ閉じ込められていなかったら、幸せな人生を送っていたか?」



 ルシアは驚いた表情でヴィダルを見た。まばたきも忘れて何かを考えている。突然の質問に戸惑っていることを、ヴィダルは読み取った。彼は踏み込みすぎたこと、勝手に開いた口に驚いて、すぐに質問を取り下げた。


「すまない、変なことを聞いてしまった」


 ルシアはまばたきを再開する。そして、少し間を置いてから答えた。



「毎日大切な人達が近くにいて、美味しい食事を頂き、暖かいベッドで眠る。それが日常で当たり前で何も感じていませんでした。ここで過ごした長い時間がなければ、それがどんなに幸せなことだったかを気づかずにいたかもしれません」


 ヴィダルはルシアから目が離せなくなった。



「でも私は今も、幸せよ」


 そう言って笑顔を見せるルシアを見て、カイがこの人に惹かれる理由をとてもよく理解した。

 ヴィダルには、そのルシアの心が彼のと同じに美しく見えたのだった。

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