第19話 使命

【210年】


「君が母と交わした契約が切れる時とは、二人が死んだ時だ。さっきも言ったように母はすでにこの世を去っている。つまり、君が死ねばあの壁はなくなる」


 ヴィダルは数あるはなさなければならない事の中から、まず結論を伝えた。

 カイは表情を変えることもなく黙ってそれを聞いているが、返事をすることもない。ただヴィダルの言葉を一言も聞き漏らさないように集中している。


「君の死後の事だ。関係ないと言えばそれまでだが……」

「ちょっと待って。質問したいことがあるんだけど」


 ヴィダルの言葉を頭で反芻に反芻を重ねたカイがやっと声を上げる。


「聞こう」


「俺ってさ……死ぬの?」



 ドラゴンが契約によってその魔力を使うとき、その魔法の規模があまりにも大きいと自身の命を燃やすことがある。ヴィダルの母親が行ったことがまさにそれだった。

 彼女は自身の寿命を使い、さらにカイにもそれを分け与えたが、魔法に使った寿命が莫大すぎて本来カイに与える生命力を少し削る形になった。カイにはもっと力を与える筈だったが、想定外の魔力の使用量に彼女の予定は狂った。

 カイの体は普通の人間よりはいくらか頑丈になっているだけであって、死ぬときは死ぬし、寿命が来ればそれはそれで終わりを迎えるのだ。


「まさか自分が不老不死だとでも思っていたのか?」

「思うよそりゃ……。何年たっても体は衰えないし、毒キノコ食べても気が付いたら爽やかな朝を迎えてたし」


 ヴィダルは先のカイの命知らずな行動が、自分の母が説明を怠ったのもひとつの要因だったと思い知り、それを心からすまなく思った。


「母のせいで色々迷惑をかけた。謝る、と言ってもすべての元凶が母だったんだが……」

「別にお前が謝ることじゃない。それに俺はもうお前の母さんのことは……、怒ってない。うまく言えないけど、仕方がないって思うときもある。お前が責任を負って心苦しく思う必要はないよ」


 ヴィダルはカイの言葉を黙って聞いた。

 その言葉が本心だとしてもそうでなかったとしても、自分の苦しみを堪えてその言葉を伝えてくれるカイに感謝をした。


「お前の母さんは自分の命を燃やしてまで、俺の願いを……人間を守る方法を考えてくれたんだ。ヴィダル、俺の願いのせいでお前の母さんは本当の寿命よりきっとずっと早く死んじゃったんだ。むしろ俺はその事をすまなく思う」


 ヴィダルはカイの性格において、自分のことよりも他人の事を優先する所があることを知っていた。それは彼の良い所であり、悪いところでもあると常々思っていた。


「なに、私達は人間のように死を悲観的に捉えていない。肉体は無くなっても魂は永遠だ。お互いが強く想い合えばまたどこかで必ず巡り会う。例えばそれはこの世界の未来かもしれないし、まったく別の世界の過去かもしれない。私達はそう理解している」


 カイは眉間にシワを寄せてヴィダルの言葉の意味をよく考えたが、その顔は難しい表情のままだ。単純に意味がわかっていないとも言える。


「話を戻そう、君の体は不老不死ではないという所まで。だから、もうあんな無茶はしないでほしい。あんなに高いところから落ちたら本当に死んでしまうかもしれない」


 ヴィダルの話を聞き、これまでの事を思い返すと自ずとその答えに行き着く。なぜヴィダルが今になって現れたのか。


「俺、もしかしてもうすぐ死ぬのか?」


 ヴィダルはカイの瞳をそらさずに見つめ返した。


「ああそうだ。君は死ぬ」



 とてつもなく長い時を孤独に過ごした。

 もうすぐ死ぬ。

 その言葉を聞いても心には波風ひとつ起きない。それほどまでに長く生きすぎた。

 願わくばルシアのことをもっと早くに見つけたかった。自分の長い人生のなかで、ルシアが色をつけてくれた時間は遥かに短い。


「俺が死んだあと壁がなくなったら……」

「君も気付いているだろうが、あの壁はドラゴンは越えられないし、よせつけもしない。あの付近でドラゴンと会うことはなかっただろう?」

「うん」

「百年近く生きないと魔法が使えないものでね。もっと早く人間の姿になって君に会いに行きたかったのだが、壁に近づく事すら出来ずこんなに遅くなってしまった。礼が遅れた、あの時はありがとう。君の事を忘れた日は一度もなかった」


 カイはまだ小さなドラゴンだったときのヴィダルを思い返した。今目の前にいる少年と、あれが同一人物だとはまったく思えない。


「寂しくて一人で寝られなかったあいつがね……こうも変わるとは」

「私は君と違って大人になったんだ」

 至極冷静な顔でヴィダルはそう言い放つ。

「俺だって大人だよ!」

「君はあの時とまるで変わらない」

「なに……」



「あの時の、美しい心のままだ」




 カイはヴィダルの悪気のない視線から顔を背けると、腕に立った鳥肌を素早く撫でた。

「き……気持ち悪いこと言うな」


 何事もなかったかのようにヴィダルは話を続ける。

「また話が反れてしまった。壁が無くなっても暫くは気付かれずに過ごせるだろうが、何かのきっかけでドラゴン達に気付かれたらもう国を守るものはない。あとは彼らの戦いだ」


 カイは考えた。

 百年もドラゴンが現れなかった国は、もう彼らと戦うすべを忘れてしまっているかもしれない。あの時ドラゴンと戦っていた者たちはもう誰も残っていないだろう。そんなときに襲われたらどうなる?

 もう悪い予想しか出来ない。




「俺が無責任に望んだ願いは結局人間を苦しめることになっちまうのか。ドラゴンは人間を食べることを、忘れたりなんかしないよな」



 追い討ちを掛けるようにヴィダルは言う。


「気を悪くさせたらすまない。……ドラゴンにとって人間は……その……、とても美味い、と聞く。もちろん食べなくても生きられるが、見つければ積極的に襲うだろう。それに長い間食べられなかったものだから、反動リバウンドがある可能性も考慮してくれ」



 最悪だ。

 俺は何て事をしてしまったんだ。


「だがもう君の知る人間は生きてはいないんだろう?」

「でもあいつらの子供や孫がいるかもしれない。それに知らない人間だとしても、俺のせいでそんなことになるなんて駄目だ」


 いつも深く考えずに瞬発的に行動してしまう。目先の事に囚われて、それが後になって不幸な結果になることを、彼はこれまでの人生でいくつか経験している。

 ヴィダルの言うとおりだ。なんにも変わっちゃいない。百年生きたって成長してないままだ。


「俺は馬鹿だ」

 カイは文字通り頭を抱える。



 ヴィダルは、背を丸めて今にも地面に溶けて行きそうなカイを優しい目で見つめて言った。


「君ならきっとそんな風に悩むと思っていた。考えがあるんだ。君が守りたかったこの国を、今度は私が。そのために君に会いに来た」


 カイはすがるような目でヴィダルの顔を見た。強い意思の宿る瞳に、自信に満ちた表情。その顔はまるで本物の英雄のように心強く、カイの心をいくらか安心させた。


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