第18話 カイ(下)

 自分はもしかしたら飛び道具全般が使えないのかもしれないと感じた。これはかなりまずい。一刻も早く克服しなくては。今までは運良くドラゴンが現れなかったけど、これからも現れないという保証はない。

 今までなにも考えずにのんびりと過ごしていた事を自分で軽蔑した。今になって危機感が沸き上がってくる。


 一ヶ月に一度、砦から兵士が報告書を取りに来る。カイがまだ若く、両親を亡くしたばかりと言うこともあり、この仕事を続けられるかをいつも確認される。

 それなりの報酬を貰っているのだ。責任を果たさなければならないし、両親の顔に泥を塗るわけにはいかない。




 カイはチビを抱き締めながら、そんなことを考えていた。家の物置にいくつか近接武器もあることにはある。小熊くらいならやっつけたことがあるが、翼を持つドラゴンとやりあうには一人なら出来れば飛び道具を使えた方が良かった。


 突如腕の中のチビが落ち着きを無くし、翼を震わせ始める。不思議に思ったカイはチビの顔を覗き込んだ。

 チビは小さな顔を崖の方へ向けて鳴いている。カイが同じ方向に視線を走らせると同時に、崖の下から何かが姿を現す。


 目を疑った。

 大きな黒い翼が上下にゆっくりと揺れるのが見えた。その翼が動く度に、ものすごい風圧がカイを襲う。思わずチビを抱く腕の力を強めた。その間、目を開けていられない。嫌な予感だけが脳裏をよぎる。そこに足をつけていることが精一杯で、場を離れることすら出来ない。むしろ、背を向ければ残されるのは死だと予感した。いや、背を向けずとも死ぬ。



 俺は今ここで死ぬ



 カイはそう直感した。

 風が勢いを弱めたあと、生温い空気がカイの前髪を遅れて揺らす。肌にまとわり付く温度が妙に高かった。


 カイの目が捉えたものは、巨大な漆黒のドラゴンだった。長い首や顎、頭部に鋭い刺を備えた鎧のような皮、大きく広がった翼の皮膜には太い血管のような筋がいくつも通い、その様子からこの生き物の生命力の極大さを感じ取った。

 体の芯が一瞬てついたあと、すぐにじわじわと熱くなる。忘れもしない、対峙したときの独特な温度、気迫、そして燃えているにも関わらず、捕われた者を凍りつかせる鋭い眼差まなざし。このドラゴンは、自分の大切な両親の命を奪った張本人だ。


 ここで命を落とすことはわかりきっていた。この状況で助かることなどまずありえない。自分が死ぬのは構わない。だけど、ここを抜けられれば町へ被害が行く。

 カイは腰のポケットから発煙弾をさぐった。

 これは投げれば爆発し大量の狼煙のろしを上げて砦へ知らせる物である。



 ――待ってくれ。



 どこからか、そんな声が聞こえた。

 一瞬カイの手は止まる。



 ――お前を襲う気はない、話を聞いてほしい。



 目の前の大きなドラゴンは動きもせず、地に足を着けて翼を閉じ、じっとカイを見据えている。



 見るのも恐ろしかった。

 その姿を見れば嫌でもあの日を思い出す。

 この鋭い牙を、爪を、尻尾を。何を見ても残酷な光景しか思い浮かばない。

 心臓が壊れるのではないかというほど激しく音をたて、胸がざわめく。苦しい。恐ろしい。そして、死ぬほど憎い。



 そのあとまた聞こえてきた言葉はカイを驚かせた。




 ――私の子供を助けてくれた事を感謝する。




 先から聞こえてくるこの声は、この大きなドラゴンが自分に語りかけている言葉なのだとようやく理解した。


 そして、チビがこのドラゴンの子供だという、それはなんとも皮肉な巡り合わせだった。




 カイはチビと過ごした数日でドラゴンに対してわかったことがあった。

 それは彼らは、けして本能だけで過ごしているわけではないということ。

 自分達が考えていたよりもずっと知能が高い。それに、理性があった。


 カイの心で二つの気持ちがせめぎあっている。

 ひとつは、両親を殺したドラゴンを憎く思う気持ち、かたきをとりたいという感情。

 もうひとつは、仕方がないという諦めの気持ち。


 チビと過ごしてドラゴンへの理解を深める中で、その「仕方がない」という気持ちは徐々にカイの心のなかに骨組みを作り始めていった。

 自分達人間が、獣を狩りその肉を食べて命を燃やしているように、ドラゴンもまた、生きるために人間を食べるのだ。それは自然のなり行きであり、誰かが止めることも出来ない。


 そんなこと、わかっている。

 当たり前のことだ。

 だけど、だからといって黙って食べられているわけにもいかない。

 それが嫌なら戦うしかないのだ。

 そうして戦って負けた。それが結果だ。




 ――率直に言って、我が子はもう人間の手によって殺されていると思っていた。その時には町のひとつでも壊滅させるつもりでここへ来た。だがそうではなかった。君の事を私は覚えている。あんなに酷いことをした私の子を、君は一体どんな気持ちで助けてくれたんだ?




 ドラゴンはそう語りかけた。考えがぐちゃぐちゃになっているカイの頭には、なぜこんなことを話しかけてくるのかがわからなかった。


「お前の子供だなんて知らなかった」


 震える声でそう答えた後、自分を見上げるチビの顔をカイは見ることができない。



 ――知っていたら殺していたか?


「ああ」


 そう言い捨てるとチビを腕から解放した。

 地面に降りたチビは、まだ首をかしげてカイを見つめている。



 ――私にはそうは思えない。


「だったら何だって言うんだよ」


 もし自分に力があったとして、このドラゴンを倒せる可能性があれば、俺は迷わずそうするんだろうかと、自分に問いかける。チビが好きだ。でも、このドラゴンが憎い。


 何が正しいのか、どの道を歩けばいいのか。カイはわからなくなっていた。



 俯いているカイにドラゴンは言葉を続けた。

 その瞳はチビと同じに紅く燃えている。そして、とても静かで穏やかだ。




 ――君は弱い。だが、とても美しい。

 ――感謝の印に願いをひとつ聞き入れる。わたしと契約を結ぶんだ。



 その言葉にカイは腹を立てた。



「お前に叶えられるもんか。そんなのわかってるだろ。二人を返せ」


 ――一度いちど死んだものはもうこの世界に戻せない。


「ならもう二度とドラゴンは人間を食べないと誓え! それが俺の願いだよ!!」


 カイの頬をいつの間にか涙が伝っていた。

 バカなことを言ったと思った。


 ――わかった。では契約だ。私の力を君に分ける代わりに、君にも制約をかけるがいいか? それでこの国の全ての人をドラゴンから守ろう。


 本気でいってるのか?

 こいつバカなのか

 契約ってなんだよ

 考えるのも面倒だ


 どちらにしろ、自分にはこのドラゴンを倒す力も気持ちもない。国の人々が守られるなら、もう失うものもない。どうせあの時死ぬはずだった命だ。もうどうなったっていい。


「それでいい」


 ドラゴンの目がいっそう紅く燃え上がった。


 ――先に言っておく。私はもう二度と人間を喰わないと誓うが、他のドラゴンまでそうさせることはできない。それ故この国全体に結界を張る。契約を交わした人間はドラゴンの一部の力を得ることによりこの結界を潜ることが出来ないが、結界の外にいる必要がある。そしてその結界から遠く離れてはいけない。つまり君はもう二度と国に帰れないし、他の場所に行くことも出来ない。そして契約内容を君の口から他人に明かすことも許されない。

 ――……それでもいいか?


「ああいいよ」


 ――それでは契約成立だ



 少しの間地震のように地面が揺れた気がした。

 そして気が付くと、二匹のドラゴンは消えていて、カイはそこに一人取り残されていた。


 夢でも見ていたのかと思うほどの静けさだけが耳に響いている。


 カイはさっきまでドラゴンが居た場所を呆然と見つめながら、自分の頬をさわって、夢かどうかを確かめた。

 そこにはチビの爪でつけられた傷があったはずだった。驚くことに朝つけられた傷はいつのまにかもう治り、滑らかな肌になっていた。もちろん、夢でなければ。

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