第17話 カイ(中)
小さなドラゴンと暮らし初めてから六日が過ぎた。まだ薄暗い朝、顔をつつかれて目が覚める。このドラゴンはまだ手加減を知らない。カイの頬は浅く傷付いた。
「痛い!」
心地よい睡眠を邪魔された上暴行を加えられた惨めなカイは小さなドラゴンを睨み付ける。が、違和感を覚えて目を擦った。
「あれ……なんかお前、大きくなってない?」
片手に乗るくらいの大きさだった小さなドラゴンは、今や生後10ヶ月の人間の赤ん坊くらいの大きさになっていた。
驚くカイをよそに、ドラゴンは「早く食事の用意をしてくれ」とばかりに甘えた声を出す。
家にあった
昼からカイは町の肉屋で、鶏肉を買えるだけ買った。普段はこんなに買わないので不思議に思われたかもしれない。店主に何か言われたが、ドラゴンのことで頭がいっぱいでよく覚えていなかった。
家に帰るとドラゴンは待っていましたとばかりにカイに飛び付いた。驚くことにもう飛べるのである。優れた嗅覚で肉の入った袋を見つけ、早くよこせと地団駄を踏む。
――もう飛んだ。
カイは一抹の不安を覚える。
ドラゴンは自分を呆然と見つめるカイにしびれを切らし、両足を大きく広げ頭を床に近づける。そのまま翼を目一杯伸ばしてから
――やっちまったよ……。
皿に入れられた肉を一生懸命に食べるドラゴンを見てカイはそう思った。
たぶんこいつはこれからもっと大きくなる。そうすると、今みたいに一緒にいられなくなる。
「お前の親はきっと今頃探してるんだろうな」
ふと、このドラゴンを拾った日の事を思い出した。今なら、久しぶりに会う婆さんどもに口々に「あっという間に大きくなるねえ」などと言われる仕組みがよくわかる。
驚異の回復力で足の深い怪我もほとんど完治していた。ただ、傷跡だけは残っていたが。
・
次の朝早く、家から出るとドラゴンと森を歩いた。まだ朝の食事は与えていない。ドラゴンはカイの服の裾を噛んで食事をねだったが、敢えてカイは与えなかった。
ドラゴンはカイを見上げると悲しそうに声を漏らした。チリチリと炎が映る瞳がカイに「どうして?」と訴えている。カイは、今まで味わったことのない感情が腹の底から沸いてくるのがわかった。いつの間にかカイはこのドラゴンを大切に思っている事に気が付く。だがそれを今は秘めなくてはいけない。もどかしくて、少し悲しい。だけど、やらなければならなかった。
「お前が自分で狩るんだ」
正直に言うとドラゴンに狩りを教えるなんてどうすればいいのか皆目見当もつかなかった。当たり前だ……そんなバカなことをする人間なんてレダ中のどこを探したっているわけがない。
ドラゴンと人間は相容れない。いつかこのチビも、俺を殺しに来るかもしれない。
だが今、カイはこうするしかなかった。他の選択肢など思い付かなかったのだ。
ふと思う、両親の誇りを継ぐ事が自分の使命だと考えたはずなのに、今の俺はまるで反対の事をしている。
両親の仕事には危険生物の狩猟もあった。なにより、自分の両親の
チビはカイの視線に気が付くと、首をかしげて彼の瞳をじっと見返した。
「よし……やろう。まずは俺が」
足を止めた先は、程々に高い崖の上だった。この近くの木に鳥の集まる木がある。恐らく巣でもあるんだろう。
カイは背負っていた弓を外した。
父が使っていたものだ。
これなら使えるかもしれないと、確かめもせずに持ってきた。体の前で構える。
すると指先が微かに震え、身体中に冷や汗が伝った。カイは一度矢を弓から離し、袖で額の汗を拭う。動悸が激しい。
「やるんだ」
もう一度構えて弓を引くと、指の震えがより大きなものへと変わっていく。目標が定まらない。それでもカイは持ち直し、矢を離した。
少し離れた木の上に止まった鳥を狙ったつもりだった。だが矢はその木に届くまでもなく、失速して地面に落ちる。ドラゴンはそれをじっと見ていた。
張り詰めていた緊張がいっきに解けた。深く息を吐き出すと共に途方もない疲労を感じ、緑の広がる地に膝をついた。
「……だっせぇな」
いまだ震えが収まらない、濡れた草に突いた手を見下ろしながら呟いた。
チビはじっとカイを見ている。
「見んな」
自分を情けなく感じ、目を伏せた。こんな事も満足に出来ないやつが、何を教えられるというんだ。
木の上の鳥が飛び立った。
チビは機敏に首を動かすと、すぐにその軌道を目でとらえた。翼を二、三回羽ばたかせ、その体を高く空に浮かせると、一点の迷いもなく目標に向けて滑空し、あっという間に鋭い爪で鳥を掴んだ。
チビはそのままカイの元へ飛んで戻ると、羽をばたつかせる鳥を地面に押さえつけ、一声鳴いた。
カイはまだ膝をついたままだ。その姿勢で一連の行動を息を飲んで眺めていた。
「なんだよお前、できるんじゃん!」
チビは得意気な顔を見せ、獲物にとどめをさした。それをくわえてカイの近くに落とす。
チビはカイの不思議そうな顔を黙って見上げている。
「これ俺に?」
あんなによく食べるようになったチビに、まだ朝食も与えてない。相当腹を減らしているに違いない。それなのに、目の前にある好物に手をつけず、カイに食べろと言っているのだ。
カイは自分の胸と目頭が熱くなるのがわかった。目の前にいる、将来人類を脅かす存在になる可能性を宿すドラゴンを、心底愛しいと思った。
たとえ先のチビの行動がただの気まぐれだったとしても、しぼみかけていたカイの心には十分すぎるほどの活力を与えた。
「ありがとう」
カイはそのままそっとチビを持ち上げると、両手で強く抱き締めた。
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