第14話 ヴィダルの秘密(上)

 実に気持ちのいい朝だった。昨日二人が眠ったあとに雨でも降ったのだろうか、外へ出てみると地面が湿っている。でも空は、清々しいほどに晴れていた。

 ヴィダルはまだ眠そうに目を擦るカイを誘った。


「散歩に行かないか。……森の方へ行ってみたい」


 本来ならまだ寝ている時間だし、散歩なんか行きたくなかった。けれども、昨日寝入る前にヴィダルが言った、話がある という言葉。それを思いだしたカイは、その申し出を了承した。

 カイは背中にカゴを背負い、手にはつるはしを持って家のドアを閉めた。


「なんだ、その格好は」

「森へ行くときは、いつもついでに何か採ってくるんだ。そろそろ豆と塩もなくなりそうだし」

「そうか」


 先を歩くヴィダルの背中を見つめながら、カイは考える。

 話ってなんだろう。まったく想像がつかない。今まで何も話そうとしなかった奴がいきなり話しがあるだなんて。もしかして、俺の家にずっと住みたいとか言い出すんじゃないだろうな……。そんなの、もちろん歓迎だけど。


 そんな呑気なことを考えていると、突然ヴィダルが振り返り、木の根元を指差している。

「これは?」

 カイがヴィダルの指先に視線を移すと、そこには毒々しい色の小さなキノコが群生していた。持っていたつるはしで周りの草を避け、じっと観察する。

「これはだめ、毒キノコだ」

 途端に興味を失ったような顔をして、ヴィダルは黙って歩き出した。

 いつ、話をしてくれるんだろう。カイは歩みを早めた。ヴィダルと肩を並べ、彼の顔を見る。ヴィダルは自分の足元を見ながら黙々と歩いていた。何か考え事でもしているんだろうか、少し深刻な顔をしている。もっとも、ヴィダルは普段から大抵深刻そうな顔をしていたが。


 二人はしばらく黙って歩いていた。宛てもなく、ただ足の向く方へ。緩やかな坂道を少しずつ上ると、気持ちよい風が吹き始める。

 ヴィダルは風に誘われるように足を進めた。カイの額には少しずつ汗が滲むが、ヴィダルは涼しげな顔をしている。

 程々に高い場所まで上り詰めた二人はどちらともなく歩みを止めた。

 ヴィダルは崖の際に立って、そこから下に見える森を見渡す。目を閉じて風とその匂いを感じた。すぐ近くの木々からは鳥のさえずりが賑やかに聞こえる。


「懐かしい」


 ほんの小さな声で呟いた彼のその言葉を、カイは聞き逃さなかった。


「前にもここに来たことがあるのか?」

 ヴィダルはその質問には答えず、代わりに優しい視線でカイの目をじっと見て言った。


「豆は採れたのか?」

「見つからない」


 カイは深い溜め息をつくと、その場に腰掛けた。ヴィダルは相変わらず崖から下を見下ろしている。


「あれは?」


 突然ヴィダルが声をあげる。カイがヴィダルの指先を見ると、そこには青い花が美しく咲いていた。崖のすぐ下だ。


「花の名前なんかわかんないよ。でも、綺麗だな」

「ルシアのように?」

 ヴィダルが真顔で冷やかす。

「からかうなよ……」


 赤くなったカイを見てヴィダルはクスリと笑って言った。

「フフ、すまない。お詫びにあの花を摘んでこよう。君が彼女に渡せば喜ぶだろう」


 王子様みたいな奴だ。カイはそう思った。

 花をプレゼントするだなんて、そんな発想はまず自分にはできない。

 ヴィダルは上着を脱ぐと地面にほうり投げた。

「待てよ」

 カイはそれを見て、背負っていたカゴを置くと言う。

「自分でとる」


 花は崖の上から、2mほど下に下がったところに咲いている。足場は狭そうだが、そこまで難しくはない。カイはツルハシを置くと、手で捕まりながら足を花の咲いている足場の方へとゆっくりと下ろした。


「雨で濡れているから気を付けろよ」

「うん」

 そう言った瞬間に足場が崩れた。

 このときほどカイは自分の事をバカだと思ったことはない、その拍子に驚いて崖の縁を掴んでいた手を、離してしまったのだ。


 ――しまった。


 その時だけ、一瞬一瞬が紙芝居のように止まって緩やかに流れた。ヴィダルが目を白黒させて、何かをこちらに突き出す。反射的にカイはそれを掴んだ。それは、カイがさっきまで持っていたツルハシだった。

 カイがツルハシの柄を掴んだことで発生した衝撃が、ヴィダルの腕に強い負荷を与えた。


「うっ……」

 端整な顔立ちが苦痛に歪む。

「ヴィダル……! ごめん」

「そんなこと……言ってる場合じゃない……」

 ヴィダルの顔が赤くなっている。

 カイはどこか足をかける場所がないかと、首を動かし足元を確認した。あの花は足場と一緒に落ちてしまった。


「……早く上れ、……私はそんなに、……もたないぞ」

 確かに、自分も捕まっているだけで精一杯だった。だが足場になりそうな所がない。

 上ろうにも、片手をさらに上に動かすにはもう片方の手で全体重を支えなくてはならない。

 ……できるだろうか? だが迷っている時間はない。やるしかない。それができなければ、落ちるだけだ。カイは自分が掴まっている先のヴィダルの腕を見た。彼はツルハシのかねの部分を両手でつかんでいる。その手はいつか見たときのように、赤く腫れ上がっていた。


「ヴィダル! 手が……」

「……口より手を動かせ! 変なことを考えるなよ。……話があると言っただろう、このあとすぐ話す。……だから早く上がってこい!」


 このままでは二人とも落ちてしまう。

 俺は死なない、だけどこいつは。


 カイは覚悟を決めた。


「カイ! 早く……」

「ごめん……しばらく、ルシアのこと頼む。きっとすぐ戻る」


 ふと、ヴィダルの腕は軽くなった。ヴィダルは目を疑った。

 なんということだ。まばたきの間にカイの姿は遠くなっていった。


「ばか野郎!」


 ヴィダルは今まで生きてきた中で、初めて汚い言葉を口にした。その言葉を崖の上に残し、自身はカイを追う。

 頭を下にして落ちていく。この空気の抵抗の中でも目を開けていることが、ヴィダルにとってはとても容易なことだった。周りの景色が一瞬にして流れる中でも、目はしっかりとカイを追っている。


 一方カイは目をきつく閉じて衝撃を待っていた。

 痛いだろうか、それとも、即死だろうか。

 体を酷く負傷して死んだことはまだなかった。

 

 そんな状態でも生き返ることができるのだろうか。

 ヴィダルの手は大丈夫だろうか。

 あいつの話を聞けなかった。

 初めて何かを話そうとしてくれたのに。


 そんな事をぼんやりと考えていた。

 すると背中に衝撃があった。だがそれは、カイが思っていたよりもずっと早く、そして穏やかな振動だった。まるで木から落ちてきたリンゴを受け止める程度の。

 咄嗟に手を地面に下ろす。かなり温かな、ゴツゴツとした感触だ。

 本当に落ちたのか? それにまだ風の勢いを感じる。


 カイは目を開けた。


 ――しっかり捕まっていろ――


 どこからともなくヴィダルの声が聞こえる。聞こえると言っても耳にではなく、頭の中に響いてくるような感じだ。

 自分が置いたはずの手の下は、地面などではなく、真っ黒な突起がたくさんある分厚い皮のような物。

 顔を上げ、前を見る。


 カイは今、空中を飛んでいた。

 真っ黒なドラゴンの背に乗って。

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