第13話 奇妙な客(下)

「ちょっと出てくるから。すぐ戻る」


 ヴィダルが訪ねてきてから三時間ほどが経ち、雨は次第に小雨へと変わりやがて止んだ。カイは、この少年は雨が止めばすぐに出ていくものだと思っていたのだが、一向に席を立つ気配がない。

 ルシアに夕食を持って行こうとドアに手をかけたところで、すぐにヴィダルに呼び止められる。


「出会ったばかりの私を置いて家を空けるというのか? 私が盗人だったらどうするんだ。君の大切な枕の中身を全て生卵に変えられても良いと言うのか?」


 カイは眉間に皺を寄せてドアを開けた。

 変なやつだなぁと思いながら、彼の質問には答えずにルシアの所へ急いだ。




「ただいま」

 家に戻ると、ヴィダルはちゃんとそこにいて行儀よく椅子に座っている。枕もふわふわのままだ。


「君は不用心すぎる。少しは警戒心を持った方がいい。そもそも人がよすぎる。これからは、見ず知らずの他人をホイホイ家に入れてはいけないぞ……。その調子じゃ何度も痛い目を見てきたことだろう」

「お前……ケンカ売ってんのか」


 とても冗談を言っているとは思えない真面目な顔での説教が始まった。カイはそんな話より、もっと聞きたいことが山のようにあったのだが、警戒心が少なすぎないヴィダルはきっと自分のことを話してくれないのだろう。


「ヴィダル、レダにいくつもりか?」


 話題を変えるべく質問を投げてみる。答えてくれるかは分からないけど。


「それなら可哀想だけど、ここらの壁には出入り口がないから無理だと思うよ」

「……私はレダに用事などない」


 そう言ったきり口をつぐんでしまった。






 次の日も、そのまた次の日もヴィダルはカイの家を出ていかなかった。別にここに居たって構わないのだが、気になってしかたがなかったのでとうとうカイはヴィダルに尋ねる。


「行かなくて良いの?」


 ヴィダルはカイの顔を穴が開くほど見つめた後、怯えた顔で答えた。


「どこへ?」


 こいつは記憶でもなくしちまったのか?

 それとも熱でもあるんだろうか?


 黙ってヴィダルの額に手を当ててみる。

「熱い!」

 瞬時に手を離してしまった。異常なほど高温だ。

「熱があるじゃないか! 大丈夫か? 寝てろよ!」

 怪訝な顔を見せるヴィダルの背を押してベッドへと促すも、ヴィダルはそれを制止した。

「これが私の平熱だ」

「嘘つけよ! 額でステーキ焼けそうだぞ!」

「本当なんだ。気にしないでくれ」


 カイはヴィダルの顔を見た。

 確かに、あんなに熱かったのに顔には汗ひとつかいていない。顔色も至って普通だ。


「それより何か手伝うことはないか? ずいぶん世話になってしまっているからな」

「病人にさせることなんかないよ……」

「私は健康だ。そうだ、狩りでもしてこよう」


 そう言い残すと、ヴィダルは一人で出ていってしまった。少しして帰って来た彼の両手には、すでに精肉にされた何かの肉があった。


「何、これどうしたの?」

「これがウサギ、こちらはトリ」

「皮までとってあるじゃん……どうやって」


 ヴィダルは得意気に微笑むと、立てた人差し指を唇に当てた。


「なんなんだお前……」

「今日は私が料理を作ろう、君は座っていてくれ」


 カイは落ち着かず、座ってなどいられなかった。いつか見逃した埃がまた目に入る。とりあえずホウキを取り、床を掃いた。

 部屋の隅に固まった綿わたのような埃を一ヶ所に集めながら、カイはキッチンの方を見た。扉が閉まっていてヴィダルの姿は見えない。けれども、料理をしているとは思えないほど静かだ。


 カイは、ヴィダルが来た日の事を思い出していた。

 馬に逃げられたと言っていたが、荷物すら持っていなかった。遠くの村から来たらしいが、一体どんなに遠くからやって来たのだというのだろう。馬を失ってはもう戻ることすら困難ではないのか。見たところ、武器も持っていないようだし……。下手すれば普通の人間ならドラゴンに襲われたっておかしくない。

 待てよ。武器を持っていないのにどうやって狩りをしたんだろう。

 そう思い付いて、頭を振った。

「……やめだ、やめ」


 自分にだって人に隠していることがある。

 ましてや聞かれるのを嫌がっているものに、自分が無理に詮索していい権利などないのだ。



「待たせたな」

 キッチンの扉が開いた。ヴィダルが両手に皿を持ってこちらへとやってくる。皿から上がる湯気でヴィダルの顔がよく見えない。同時に、部屋一杯に香ばしく刺激的な香りが充満した。


「すごくいい匂いだ……」

 一体ヴィダルは何を作ったというのだろう。

 テーブルに置かれた皿を見てカイは溜め息を漏らした。


 何とも得体の知れない料理がそこにはあった。今までに見たこともないものだ。そして食欲を大いに刺激するこの香り。腹の虫がいっぺんに騒ぎ出すのを感じた。


「うまそう! こんなの初めてだよ、お前の国の料理なのか?」

「私たちは料理などしない……」


 カイはヴィダルの顔を見た。

 またおかしな事を言っている。

 ヴィダルはカイの間抜けな視線に気付き、言い直す。


「私の国の料理だ、食べてくれ」

「それじゃ、いただきま……」


 言いかけて手を止めたカイに気が付き、ヴィダルはキッチンへと戻った。再び姿を現した彼の手には、もう1つの皿が乗せられている。

 それを黙ってカイの皿の隣に置くのだった。


「君はいつも自分が食べる前に、どこかへ料理を持っていく。今日もそうしたいなら、これを持っていけばいい」


 カイはヴィダルを見上げた。紅い眼の奥が美しく揺れている。


「ありがとう」


 カイは、一瞬ヴィダルが悲しそうな顔をしていると感じた。彼と出会ってまだ間もないが、ふとしたときにヴィダルがとても悲しそうな顔をするのをカイは知っていた。


「一緒に来ないか? みんなで食べよう」






 カイに連れられてやって来た粗末な小屋の中で見た光景に、ヴィダルは絶句する。


「カイの奴……人の良さそうな顔をしておきながら、こんないたいけな少女を監禁していたとは。最低な異常性癖だ。奴が居なくなった隙に私がここから出してやろう。まずは奴を油断させなくては」

「声に出てるよっ」


 青い顔をしたヴィダルが絶望を浮かべた表情でカイを見つめていた。


「……勘違いすんなよ! 彼女は……ここから出られないんだ」


 ヴィダルはルシアの入っている檻を見たあと、そのまま視線を上へと移動させた。


「ルシアです。このような場所からのご挨拶で失礼します」

「ヴィダルです。この世界に神が居ないと確信できました。神が居れば貴女のような天使を無惨に檻に閉じ込める筈がない」

「まあ……」


 カイはそのヴィダルの台詞を聞いた瞬間に、自分の全ての歯が抜け落ちるのではと感じ咄嗟に顎を押さえた。




 楽しい夜だった。

 ルシアと2人だけの日々もそれは楽しかったが、そこに一人加わるだけでこうも雰囲気が違うのか。カイはそう思い、どこか懐かしい感覚を微かに思い出す。

 それはまだ壁ができる前。ミーケルとマチルダと、三人でよく夕飯を共にした。二人はきっとラックスの酒場で食事をする理由はなかったのだけど、カイのうぬぼれでなければ、自分を気遣って誘ってくれた。

 他愛もない話で大笑いしていると、両親を亡くした悲しさもいくらかまぎれた。あのときの暖かな空気に似た、穏やかで優しい雰囲気がそこにはあった。


 カイの家に戻った二人は、後片付けを済ませて寝る支度を始める。カイが部屋の明かりを消して布団を顎までひっぱり上げたとき、いつもは何も聞いてこないヴィダルが初めてカイに質問をした。

「彼女は君の恋人なのか?」

 カイは驚いて思わず上半身を起き上がらせて、暗さで見えもしないヴィダルの顔(のある辺り)を見る。


「違うのか?」

「違うよ」

「そうか。……でも君は彼女に心を寄せている。違うか」

 カイはまた横になって目を閉じた。


「……わかんないよ」

 隣で衣擦れの音がした。おそらくヴィダルが頷いた音。


「彼女はあのような所に居ても身についた気品は隠せていない、随分悲しい思いをした事だろう」


「……何も聞かないんだな」


 ヴィダルはルシアが檻に閉じ込められている理由も、そこから出られない理由も、何も聞かなかった。



「明日、君に話さなければいけないことがある」


 少しの間を置いて、ヴィダルは小さな声でそう言った。



「今話せばいいだろ」

「……眠いんだ」


 ヴィダルのその言葉を最後に、二人は眠りに落ちた。

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