第12話 奇妙な客(上)
ルシアの檻の場所に小屋を作り初めてから20日が過ぎた頃、ようやくその小屋は見られる形になった。
小屋は開閉式の窓をつけて、晴れの日は太陽の光と風をたくさん取り込めるようにした。扉も大きく開(ひら)ける。初めて作ったにしてはなかなかいい出来映えだ。
「やっとできた……!」
カイは小屋の中からしみじみと天井を見渡す。低い天井だが、雨をしのぐには十分だ。
ルシアの方を見ると、彼女も笑顔で顔を赤くしている。
「すごいわ、カイ。素敵なおうちね」
ルシアは相変わらず美しい。出会った日と比べて違うところと言えば、健康的になった事と、今は熱心に檻の中で豆の皮を剥いているという所だけだ。まるで生き甲斐を見つけた老人のように(実際そうなのだが)毎日せっせと仕事をこなしている。あんまり楽しそうにしているので、豆がなくなったらなんて説明しようと、カイは少しだけ肝を冷やした。
ふと窓の外を見ると、雨が降りそうに雲はよどんでいる。
何気なく口からでた、「雨が降りそうだな、よかった、屋根が間に合って」という言葉にルシアは思い出したように叫んだ。
「屋根!」
カイは驚いてルシアを見た。彼女は慌てた表情でカイに訴える。
「カイのおうちの屋根を直さなきゃ!」
あ、そういえば雨漏りしてたんだった。
このところほとんどここで過ごしていたのでカイはすっかり忘れていた。自分の家の屋根の修理をしなければならないことを。
何気なく話したことを、ルシアはちゃんと覚えていたのだ。
「ごめんなさい、私すっかり忘れてしまっていました……。ここより先に、あなたの家を直さなければならなかったのに」
「いや、謝ることないよ。俺も忘れてた。降らないうちに直してくる」
窓を閉めて、ランプに明かりを灯してからカイは自分の家に戻った。
屋根を修理してから間もなく雨は降り始めた。最初はポツポツと、そしてすぐに大雨に変わる。カイは家に入ると雨が収まるまで久しぶりに掃除でもしようかと思い付いたが、なかなか体が動かなかった。最近はめっきり掃除を怠っていたせいで少し埃がたまっている。部屋の隅で固まったそれが目に入ったので、もう見て見ぬふりは出来なくなってしまった。
ホウキを取ろうと、重い腰を上げたその時だった。
トントン、トン。
幻聴でなければ、木製のドアを叩くような音が聞こえた。
気のせいだろうか? ドアをノックされることなどまず有り得ないからだ。カイの体は石のように固まってしまった。
外から雨の音が激しく聞こえている。ドングリか何かが風で飛ばされてドアに当たったんだと思った。それ以外考えられない。
カイはホウキをとることを忘れ、また椅子に座り直した。ほどなくしてまたあの音が聞こえる。
トントン、トン。
カイの血液が激しく波打つ。誰かそこにいるのだろうか?
こんなことはこの百年のうちに一回たりともなかったのに。誰か他の人間が、俺以外の人間がこんなところに居るなんて有り得ない。そう思って生きてきたが、先日ルシアと出会った。何事にも例外はあるものだ。
カイは恐る恐るドアに手をかけ、ゆっくりと開けた。
そこに居たのは人間の男だった。
カイの全身には鳥肌が立ち、驚きのあまり声もでない。
歳は15,6位だろうか? まっすぐにカイの顔を見据えるその少年の切れ長の瞳は、燃えるように紅かった。さっきまで炎を見ていたのだと言われても疑わないほど、その瞳には赤や黄色ががチラチラと光って見える。彼の洋服は、カイが見てもわかるほど上質なものだった。少し癖のある栗色の髪は雨に濡れて、顎からは冷えた滴がポタポタとしたたっている。
その彼が、遠慮がちに口を開いた。
「突然申し訳ありません。道に迷いここまで来てしまいました。雨宿りをさせていただければ助かるのですが……」
カイの心臓は激しく飛び上がった。
「どうぞ」
それだけ言うので精一杯だった。カイはその少年を椅子に座らせると、震える手で髪から順に拭いてやった。少年は黙ってされるがままになっている。なんで俺はこんなことしてるんだろう、とカイは思った。体を拭くようにと渡してやった布を、彼は受け取らなかったのだ。仕方なくカイはこの役を買って出た。
やはり位の高い人間なんだ。物怖じしないその態度や、綺麗に切り揃えられた艶のある毛先を見てカイはそう思った。一通り拭いてやると、その少年は咳払いをし、静かに口を開いた。
「ありがとう。私の名はヴィダル。君は?」
「カイです。ヴィダル様は何処から来られたのですか?」
温かい飲み物を差し出されたヴィダルは、目を丸くさせてカイの顔を見た。
「様なんて、寄してくれ。そんな丁寧な言葉を使わなくていい。世話になってるのはこっちの方なんだから」
今度はカイが目を丸くした。
「本当に、世話になってるのはこっちの方なんだ」
絞り出すように、重苦しい雰囲気を纏って出てきたこの言葉の真の意味を、まだカイは知らない。
「なんで二回言うんだよ」
カイは笑ってヴィダルと呼んだ。
「ずっと遠くの街から」
先程の質問に答えるヴィダルは少し曇った表情を見せる。
「一人で来たのか? 何しに? その街はここからどれくらい離れてるんだ? 歩いてきたのか? 他に人間は見なかったか?」
矢継ぎ早に質問をするカイに、ヴィダルは目を二、三回しばたたかせて順に答える。
「一人できた。馬に途中で逃げられたんだ。他の人間は見てないな。それで、気を悪くさせたらすまないが、それ以外の質問には答えられない」
「え……なんで?」
「私自身もよくその答えがわからない」
カイは思った。貴族の考えていることはよくわからないと。自分が何しにここへ来たのかわからないだって? そんなことある?
ヴィダルの方をちらりと見た。彼は、なにか変なことを言っただろうか? とでも言わんばかりの不安で居心地の悪そうな顔をしている。そんな顔を見るとカイは逆に申し訳なくなって、話題を変えることにした。
「ヴィダルは
ヴィダルはまた考え込むような顔を見せると、目を泳がせて答える、たぶん君と同じくらいだ、と。
カイはそうかと笑った。きっと、あまり自分のことを聞かれるのが好きじゃないんだ。カイはそう考えて、詮索をするのをやめた。
「そうだ、腹減ってないか? ごちそうはないけど……」
カイが台所に消えてしばらくすると、スープを持って現れ、スープの皿にスプーンを突っ込んでヴィダルの目の前に置いた。ヴィダルは膝に手を置いたまま目を丸くさせて、湯気がほかほかと上がるスープを見つめた。心なしか表情がほころんで見える。
「熱いうちに食べな」
ヴィダルはカイの声でやっと我に返った。
カイは食べないのだろうか、正面に座ってこちらを見ている。ヴィダルはしばらくの間、スープとカイを交互に見つめた。
「こういうの、嫌い?」
なかなか料理に手をつけないヴィダルを、カイは心配そうな顔で見つめている。
「あ、いや、そうじゃない。すまない、ありがたく頂くよ」
ヴィダルはスプーンを見て少したじろいだ。
「綺麗なスプーンだね。珍しい色だ」
それは金属でできているようだった。青みがかった、艶のある材質だ。
「それ、母さんが大事にしてたやつなんだ。お客さんが来たときはこれ出しててさ。いつもは木のやつだけど」
ヴィダルは意を決したようにそのスプーンを握った。だが次の瞬間、苦痛に顔を歪めてその手を振り払ったのだ。
「熱い!」
スプーンは勢い良く飛び、床に転がった。
「大丈夫か!?」
「すまない、大切なスプーンを……」
ヴィダルはすぐに立ち上がるとハンカチで包むようにスプーンを拾い上げた。
カイはヴィダルの赤く腫れ上がった指を見て驚く。
「お前……」
ヴィダルの顔は一瞬で青くなった。
「金属アレルギーなのか?」
カイのその言葉を聞いて少し表情を和らげると、消えそうな声で答える。
「……そうみたいだ」
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