第10話 笑顔

【210年】

 檻のすぐそばで静かにルシアの話を聞くカイの方から、時折鼻をすする音が聞こえる。ルシアは過去を語る自分の顔がどんなに暗く映っているのか、考えるのも恐ろしかったのでカイの顔は見られずにいた。

 話を終えた後顔をあげるとそこには、涙で頬を濡らすカイがいる。目が合うと彼は決まり悪そうに早急に腕でその滴を拭った。


「……」


 言葉も出ない。

 ルシアの過去は無惨と言う他なかった。

 どんなにつらかっただろう。

 悲しかったろう。悔しかっただろう。

 カイは自分の思うどんな励ましの言葉をかけたとしても、なんの足しにもならないことを考える前から理解した。

 胸の奥から黒くて大きな嫌な塊が込み上げてくる感じがした。それは涙となって二つの目から溢れた。


 ……なんで俺が泣いてんだ。


「言いにくいことを話してくれてありがとう」

 どんよりとした気持ちでやっと捻り出た言葉が情けなくもこれだった。


「ごめん、俺、何て言ったらいいか……」


 カイの心情とは裏腹に、ルシアの心は幾らか晴れている。今までに、自分のためにこんなに心を動かしてくれた人がどれくらい居ただろうか。カイの瞳から溢れる涙は、紛れもなく自分に向けられたもの。ルシアの乾ききった心にその涙は心地よく染み込んでいく。


「謝らないで。私が勝手に話したんですから」

 この笑顔は作り笑いでも社交辞令でもなく、心からの笑みだった。


 ・


 カイはスープを煮ながらルシアの話を思い出していた。そういえば、ルシアという名前をどこがで聞いたような気がしたが、それもそのはず彼女は王宮の姫だったのだ。自分が小さな頃から母親にイヤというほど聞かされて育った、『あんたは姫様と同じ日に生まれたんだよ』という台詞。聞きすぎて百年たった今でも、その声と抑揚を鮮明に思い出せる。女王陛下と同じ日に息子を産んだ。それが彼女にとってはとても誇らしいことだったのだろう。と言うことは、自分達は紛れもなく同じ年齢だったということだ。重なる共通点。ただの偶然なんだろうか。

 カイは、ルシアをなんとか外へ出してやりたいと、そう思った。でも彼女がもし契約者なら、それは無理だ。だがなぜ契約をした覚えもないのに彼女には契約印があるのだろう。それだけが不思議だった。


 鍋が吹き零れる音で我に返る。カイは慌てて鍋を火から下ろした。姫様に出す料理としては質素きわまりない。そう考えてふと思う、姫様に酸っぱいリンゴを食べさせたなんてことをもし母親が知ったら、なんて言うだろう。ホウキで頭を叩かれるくらいじゃ済まないかもしれない。

 所で、このスープにはたくさんの具を入れた。いつもはこんなことしないのだが、今日は特別だ。何と言ったって、姫様に食べさせる料理。失礼なことはできない。琥珀色のスープを彩るのは、鮮やかな色の数々のキノコ。これはカイがここ数十年で、自ら体を張って調べた、完全に毒がないと言いきれるしかも美味なきのこ。きのこの毒の有無を調べるには、死んでも生き返る体を有益に利用することだと後にカイは語る。




「すごくおいしいです。これ本当に、あなたが作ったの? すごいわ」


 ルシアは予想以上に喜んでくれた。半分はお世辞だろうとはわかっていても、やっぱり誉められると嬉しい。むしろ半分どころか全部お世辞だろう。

 誰かのために料理を作るなんていう事は、人生で初めてのことだった。


「ごめんな、店もないからこんなものしか作れないんだ」

「十分素敵なご馳走だわ。こんなにおいしいお料理を頂けることなんてもうないと思ってたから……」


 その言葉を聞くと、カイは嬉しく思ったが、噛み締めていくうちに、言葉がでなくなるほど悲しくもなった。こんな料理を美味しいと、ご馳走だと思えるほどに彼女は長い間こんなところに居たんだと。そして絶望していたのだ。同情せずにはいられなかった。


 後片付けを終えたカイは、毛布を二枚持って再びルシアの前に現れた。


「これ使って」

 一枚をルシアに差し出し、格子の隙間から檻の中に入れる。自分はもう一枚にくるまり、そこへ座った。


「あの……。帰らなくていいの?」

 なぜか遠慮がちにルシアがいった。

「今日はここで寝るよ」

「……危なくないかしら?」

「俺の事なら大丈夫……」

 と言った後、ある考えが頭をよぎる。


 もしかして遠回しに断っているのかもしれない。

 考えてみれば彼女がそう思うのも無理はない。今日初めて会った他人がすぐそばで寝ているなんて居心地が悪いものだ。というか気持ち悪い。

 カイは気付かれないように目だけを動かして彼女の表情を確認した。ここであからさまに負の表情をしていれば、遠慮した方がいいのかもしれない。

 ルシアの顔は、夜で暗いのと、長い髪が邪魔で見えない。

 カイは急いで付け加えた。

「君が嫌でなければ」


 ルシアはゆっくりと口を開く、「本来なら、私のためにこんなごつごつ岩の上で寝て頂くことなどあってはならないこと、ですが」


 いつの間にか彼女は長椅子から降りてカイと同じ目線で床に膝を抱えて座っている。


「今夜は眠れそうもありません。……お言葉に甘えさせていただきます」


 穏やかな表情を向けられると、カイは自分の耳が瞬時に熱くなるのがわかった。

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