第9話 ルシア(下)

 城では数日置きに従者が死んでいった。医者ヘルマンはこの死因不明の謎を調べるという表向きで、遺体を保管した。もちろん死因など、殺害した彼が一番よくわかっている。薬だと言われ毒を飲まされた哀れな者達の亡骸は、后の計画の終幕に使われる重要な道具だった。




 完全に日が落ちた頃、それぞれ馬に乗った二人の男が城門を潜って出て行く。数日は戻ってこれないのだろうと思わせる、大荷物と一緒に。

 二人は門を出るとすぐに鞭を振るい馬を急がせた。


「本当に死んでいるのか?」


 しばらくして口を開いたのは、背の高い方の男、アールクヴィスト。彼は后の親衛隊の長官だ。

 もう一人の男、オークランスは自分の前にも後ろにも大荷物を積んでいるが、取り分け大事そうに前の荷物に腕を回している。

「ええ、……現時点では」

「……とんだバカな話だが、俺達がこうしている以上本当の話なんだろう。意味の無いことをさせる陛下ではない。……だがさっぱり信じられん……死んだ人間が生き返るなんて」

「陛下のお話では、朝方には息を吹き返すそうです」

 それを聞いたアールクヴィストは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「おぞましい……。だが意識が戻り暴れられてもかなわん。なるべく距離を稼ぐとしよう。姫様が死んでいるうちにな」

 黒馬の滑らかな毛が月夜に光っていた。




 城から古城のある森へ行くには、砦を経由して何日もかかるのだった。

 アールクヴィストとオークランスは、后の命令通りに古城を目指した。

 二人の真の目的は壁の調査では無い。誰も近づかない古城にこの死なない姫を幽閉することだ。

 森にはただでさえ人が近付かない。森といえども王家の領地であるし、森番もいる。

 そして人間の脅威であるドラゴンの生息地でもあるとされている。

 都合の悪い人間を隠すには丁度いい場所だった。

 正体不明の壁とやらが現われたのも都合がいい。壁の調査、と触れ接触を禁止すればいいのだから。


 こうして二人は幾日もの時を経て、森の古城へとたどり着く。

 姫はその間何度も息を吹き返したが、その度にヘルマンから持たされた睡眠剤で眠らされたり、それが間に合わないと殺される日もあった。それを全て引き受けたのはオークランスだったが、元々あった、気味が悪いという感情が日を追うごとに大きくなり、古城に着く頃にはもう限界を迎えた。森に着いた際に再び目覚めた姫を見て彼はついに嘔吐する。

 アールクヴィストは人ごとのように笑う、繊細な奴め! と。


「お前はもうそこで休んでいろ、あとは私がやる」


 何度命を落としても蘇る姫とあっても、さすがに顔には疲労の色が見える。食事はおろか水もまともに与えられていなかったし、体調は最悪だった。

 目を覚ましたルシアは辺りを見渡す。暗く陰気な森。冷たい風が頬を突き刺した。ザワザワと煩く鳴る枯れ枝や葉の音は恐ろしい悲鳴にも聞こえる。

 立ち上がろうとするも、フラフラと焦点が定まらない。もつれた脚が自分の意思に逆らいただまっすぐに伸び、ルシアの世界は反転した。頭部に強い衝撃を受けたがもう声も出ない。起き上がる気力はなくなっていた。今、自分がどこにいるのかも、なぜこうしているのかも思い出せない。わかるのは、こんなに寒くて痛い思いをしたのは初めてだということだけだ。


「おはようございます、姫」


 ルシアは聞き覚えのある声に耳を澄ませた。目だけを動かし声のある方を見ようとすると、その声の主に乱暴に抱きかかえられる。ようやくルシアの目に映ったのは、母の親衛隊の長官、アールクヴィストだった。

 まったく状況が掴めない。見当もつかないこの状況に、ルシアはただ身を委ねている事しか出来ずにいた。

 アールクヴィストは姫を抱えたまま歩き続ける。ルシアは目で訴えかけるが、そんなものに答えてくれそうな雰囲気は微塵も無い。時々下の方からガシャンという乱暴な音がした。おそらく彼が脚で金属の柵か何かを蹴り飛ばしているのだろう。


「あなたに恨みはないが、主命により蛮行をお許しください」

 言葉とは裏腹に、その顔には下等な笑みが浮かんでいる。


 アールクヴィストは階段を何度か降りると、地下牢の扉を開いた。重たい鉄の扉だ。その扉に申し訳程度に開けられた窓には、鉄格子が三本取り付けられている。さび付いた扉の錠前はまだ機能しているようだ。

 牢の中は、石畳の床。突き当たりの壁は鉄格子で埋まっている。その外は土だ。長い年月を経て城の壁は崩れ土に埋まったのだろう。それを思うとルシアはぞっとした。この牢ですら近いうちに崩れて土に埋まるかもしれない。アールクヴィストの腰にぶらさげた明かりは頼りなく、隅々まではよく見えない。ただ、カビくさい湿った匂いだけが鼻を刺激した。

 ルシアは牢に入れられた。石畳の長椅子のような所にそっと寝かされる。


 何かの悪い冗談でしょう?


 ルシアはそう思った。むしろ、これが現実だとはどうも思えない。

 自分はたちの悪い夢でも見ているんだ。そう考えたが、空気、感触、肌に突き刺さるこの温度。そのどれもが現実的だった。


 こんなことあるはずない……夢なら早く覚めて。目を覚ませばビルギットが笑顔でこの夢を笑い飛ばしてくれる。怖かった、とビルギットの胸に優しく抱かれたい。

 暖かな、優しい笑顔を。真っ白で清潔な見慣れた給仕服の香りを。いつも抱きしめてくれる、あの腕のぬくもりを。早く思い出させて。


 そう思って握りしめたルシアの手の平にあるのは、汚く細かい砂利だけだった。

 力を振り絞り、起き上がる。


「アールクヴィスト……!」

 その今にも消えそうな声に、彼は振り返った。

「どういうことか説明して」

 アールクヴィストは立ったまま、ルシアを見下ろして言った。


「姫様、魔物と契約して永遠の命を手に入れたそうですね?」


 身に覚えのない話に、ますます頭が混乱した。

「どういう事?」

「そんなことしなければ、幸せに死ねたものを……なんと気の毒な」

 回りくどい言い回しに、不安な気持ちがどんどん膨らみを増していく。

「もう城にあなたの居場所はありませぬ。あなたは疫病にかかり、その骸は焼き払われたこととなっております。安心しなさい。あなたの侍女も一緒です」

 ルシアの心臓は嫌な音を立てて激しく動き始めた。ルシアは震える足で立ち上がる。

「どういうこと!? ビルギットをどうしたの!? 答えて! アールクヴィスト!!」

 不安に胸が震える。全身が水浴びをしたように冷たい。

「あなたが契約をしなければ、彼女らは無意味に命を落とされることはなかった」

 それだけ言い残すとアールクヴィストは牢の扉を閉め鍵をかける。

「待って!」

 駆け寄ったルシアをまるで汚い物を見るかのような目つきで、小さな窓から見下ろしたあと彼は言い放つ。

「悪魔め」

 そうして彼は逃げるようにそこを去る。


 響く足音がだんだんと遠くに消えていくと、残されたルシアに留まるものは、深く重い絶望だけだった。

 なぜ、どうして。何も知らされぬままこれから百年、彼女は死ぬことも許されずここで闇の抱擁を受け続ける。



 かくして后の目論見通り、ルシアの腹違いの弟に王位は継承された。

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