第6話 契約
ルシアは、久しぶりの食事の一口目にまずむせた。
「大丈夫?」
格子の間から食べ物だけを入れる分には、あの火花は発生しないようだ。ただ、このやり方はとても気分が悪い、カイはそうやって中に何かを入れる度に胸が痛くなった。
普通に渡せたら。テーブルを挟んで明るい部屋で食事をすることができたら、どんなにいいだろう。
「……とってもおいしいわ。今まで食べたどんな物より」
ルシアの頬に涙が流れたのを見て、カイの胸はますます痛んだ。
ただの酸っぱいリンゴだ。家の近くの木にいくらでも生っている。何か料理を作ればよかったのだが、とにかくすぐに何かを食べさせたかったので、一番手っ取り早いこれにした。
「イエスかノーで答えてくれたらいいんだけど……もちろん、答えたくなかったらそれでもいい」
食事を終えたルシアとカイの会話は終わることがなかった。まるでこれまでの孤独な時間を埋めるかの様に、特にカイはとるにたらない些細なことまで話し続けた。ラックスのおっさんの髪の毛にまつわる話を終えたとき、ついにカイは核心にせまる質問を投げ掛ける。
「ルシア……君はドラゴンと契約してるのか?」
聞いてみたもののカイは、この質問の答えは100%イエスだろうと踏んでいた。檻を越えられない不思議な枷かせ、長い間何も食べなくとも生きていられる体、普通の人間ではない事を説明するには十分だった。
しかし、契約。その言葉を聞いたとたん、ルシアの顔から笑顔が消えた。それを見てカイは、機会を誤ったと瞬時に理解した。
ルシアの顔は次第に曇っていく。カイは質問を取り消したい思いに駆られたが、彼女の言葉を待つことに決めた。
「ここに入る前、似たような事を聞かれたわ。私には何のことかわからなかった」
とても嘘を言っているようには見えなかった。そして、無神経にそんな質問をして苦しい過去を思い出させてしまった事を後悔した。
「……ごめん。俺と同じだったからつい聞いてしまった。今の話は忘れて」
ルシアは、待ってと言った。
「教えてください。それが何なのか」
何もわからずにここへ閉じ込められた。ルシアはその理由が知りたかった。ドラゴンとは、契約とは何なのか。
カイはルシアをまっすぐに見つめると答えた。
「俺はドラゴンと契約した」
ドラゴンには、魔力を持つものがいる。その力は個体によって様々だが、ドラゴンが自分以外の者と契約することにより、より強力な魔法を使うことができるようになる。ただしその効果は契約者との契約のみに発動する。カイはおよそ百年前、あるドラゴンと契約を結んだ。契約の内容はカイの口から他の者に話すことはできない。それは制約のひとつだった。
それを聞きルシアは疑問を持つ。
「ドラゴンは人間の敵ではないの? なぜあなたは……そんなことを?」
カイは言った。
「まあ……色々あって。訳を話すことができないんだ、……俺が怖い?」
複雑な表情でカイを見返すルシアに問いかける。
「いいえ。随分長生きしてるからかしら……それくらいの事で驚かないわ」
彼女の優しい顔にカイは胸を撫で下ろす。
「長生きって、君は一体何歳いくつなんだ」
「……何歳に見える?」
「ぷっ。なんだよそれ。俺には君がまだ15歳くらいにしか見えないけど」
その言葉を聞いてルシアは両手を頬に当て目を丸くする。
「もう随分鏡を見ていないから自分じゃわからないの。私、まだそんなに若いの? もうきっとおばあちゃんになっていると思ってた。たぶん百歳は越えてるわ」
「それ本当?」ルシアの顔をまじまじと見つめた。あまりにも顔を近づけたので、二人の視線は自然とぶつかる。カイはごめんと言って慌てて姿勢を正した。
「……じゃあ俺とますます同じだな。俺もこう見えて百は越えてるから。途中で数えるのをやめちゃったけど」
カイは空を見上げた。もうすっかり晴れている。スコップを手に取ると、また整備を始めた。
そうだ、ここをもっと広くして、檻を壁に小屋を建てるのはどうだろう? そうすれば雨や風も防げるし……。
カイの想像は膨らむ。
「カイはずっとここで一人きりで……?」
ルシアがもしこの壁のことを知っているなら、カイが壁の外にいることを不思議に思うのは当然だろう。壁の中にいる人々にとっては、この壁はどうやっても越えられない物だったのだから。カイは、どうと言うことはないという表情で、頷いた。
「ずっと一人で、イヤにならなかった?」
「そりゃ、まぁ」
カイはスコップのへりに足をかけたまま、動きを止めた。
「……俺の両親はもうずっと前に死んだけど、それは俺を助けて死んだんだ。その時はとても悲しくて自分も死にたくなったけど……結局は二人が命懸けで守ってくれた人生を大切にしようという考えになって、今 、生きてる。ずっと一人だったけど、結構楽しいよ。やることはいっぱいあるし……まぁでも今日ほど長生きしてよかったと思った日はなかったよ。ずっと誰かと話したかった」
例えば、カイが檻の中に一人きりで閉じ込められていたとしても、きっと自分と同じように死のうなどとは決して思わなかっただろう。きっと、暖かな家庭で素敵な両親に愛されて育った。それが彼という人間を通して透けて見える。この人物は、素直でとても実直だ。そんな雰囲気をルシアはカイから受け取った。
「ごめんなさい。ご両親のこと……辛いことを聞いてしまいましたね」
「気にしないで。俺が勝手に話したんだ。こっちこそごめん」
ルシアは一瞬ためらってから、自分の服のスカートの部分をめくりあげた。白い素足があらわになる。
「えっ」
カイは咄嗟に目を反らす。
「カイ、これを見て」
「いや、でも」
「これなの、私が閉じ込められた原因は」
ルシアが檻に閉じ込められていた理由を話したくないという意思を、カイは最初からなんとなく気付いていた。話したくないというより、思い出したくないと言った方が的確か。それは彼女にとってとても辛く悲しい過去であり、そうしたくなるのは当然だった。そのルシアが、今その過去を伝えようとしている。
今はそれに向き合おう。けして、やましい気持ちなどないのだから、見ても大丈夫だ。何しろ相手は若い女性ではなく、百を越えた婆さんなのだ。大丈夫、俺は落ち着いていられる。
カイは自分の心に言い聞かせてルシアの方に向き直った。
次の瞬間カイは息を飲む。
「えっ……これって」
ルシアの細い腿の側面には、痣というだけでは説明のつかない繊細な模様が浮かび上がっている。カイはこれが何なのか知っていた。何故なら自分の体の同じ部分にも、まったく同じものがあるからだ。少しばかり持ち合わせていたやましい気持ちが強風に煽られた砂のように消し飛ぶ。
ルシアは契約をしてないと言った。
だがこれは、まぎれもなく契約の刻印だった。
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