第4話 涙

「サル! ここまで来ちまったのか!」


 サルタエルがスーパの元へ戻ってきたのは、翌日の昼のことだった。スーパが砦で訓練を終え、休もうと思った矢先突然肩に重みを感じた。見るとサルタエルが優雅にそこに居たのだ。足には、昨日とは別の紙をくくりつけられて。


「ありがとうサル。よくやった。もうお前はうちに帰って父さんのハゲ頭にでも止まってな」


 そう言って翼を優しく撫でてやり、サルタエルと別れた。別の隊のミーケルがこれを見て急いでスーパの元へと駆けてくる。


「カイから来たのか?」

「ああ、これだ」


 ミーケルは急いで手紙を開いた。中にはあまり綺麗とは言えない字で、こう書いてあった。



 ”ミーケルへ



 手紙ありがとう。俺は大丈夫。

 心配してくれたんだな。本当にありがとう。

 ここには家もあるし、水もある。

 牛と馬もいるから、まあ寂しくないよ。

 俺のために色々と考えてくれたんだな

 でも、誰がどうしたって俺はこの壁を超えることはできない。

 例え壁にドアが出来たって、俺はもうレダに戻ることはできなくなった。

 もうこっちで生きると決めた。

 俺のことは心配しないでくれ。

 ミーケル、たぶんもう会えない。

 きっとお前はこの手紙を読んで、どうしてだ?って怒るだろう

 ごめんな。

 もう、手紙はこれきりにしよう。サルタエルがドラゴンに見つかると可哀想だから。

 スーパにもよろしく伝えてくれ。それから、マチルダにも。

 お前たちの幸せをずっと願ってる。


 カイ ”




 これを読んでミーケルの手は震えた。

 カイはこっちにもう戻れないと諦めている。

 向こう側からも壁を越えらる要素がないんだ。

 カイは諦めている。


 ミーケルは己の無力さを呪った。

 カイが生きていることに、ひとまず安心などという気分には到底なれなかった。


 どうしてだよ。どうしてこんなことになっちまったんだ。もう会えないなんて嫌だ。


 こみ上げる涙を、何度も飲み込んでこらえる。もし泣いてしまったら、それは諦めを認めたことになるような気がしたから。

 やり場のない怒りと悲しみがミーケルの胸に広々と陣を取り始めた。




 今夜もラックスの酒場でマチルダと会う約束をしていたが、足取りは鉛のように重い。

 マチルダがカイの手紙を読んだら、きっとミーケルと同じ気持ちになるだろう。

 カイの事を一番心配しているマチルダだ。簡単に想像がつく。

 ミーケルは暗い気持ちで酒場のドアに手をかけた。ここで前みたいに三人で飯を食うことも、もうないというのか。


 カイに最後に会ったのは数週間前だった。いつものように、約束をするでもなくここへやって来ては同じテーブルで食事をする。たったそれだけのことだった。いまこの状況に置かれてみれば、それがどんなに自分にとって価値があるものだったのかが、イヤというほどわかった。


「辛気くさい顔しないでよ」


 向かいに置かれた椅子が動く音がした。顔を上げるとマチルダが困ったような顔でそこに座っている。


「その調子じゃ、あんまりいい返事がなかったってことね」


 ミーケルは思わず眉をしかめた。マチルダはこんな時に情緒を安定させていられるような、しおらしい女じゃなかったはずだ。


「見せて」

 ミーケルは黙ってカイからの手紙を彼女に渡した。マチルダが手紙を読み進めるうちに、徐々にその眉尻が下がって行くのがわかった。

 だが、彼女は泣かなかった。


「とりあえずは無事みたいね、少し安心したわ」


 顔は全然そう言っていない。



「俺、城に仕えるのを辞めようと思う」

 

 ミーケルのその突然の告白に、マチルダは一瞬その言葉の意味がわからなくなった。


「突然何を言い出すの。辞めてどうするの?」


「壁のことを調べようと思う。壁伝いに馬で走って、どこまであるのか調べる。それにずっと遠くまでいけば、何か知ってる人がいるかもしれない」


 マチルダはミーケルの今にも泣きそうな顔から目をそらさずに答える。


「そのこと、一晩中でも考えたの?」

「いや……この手紙を見てすぐに」

 ミーケルは叱られた犬のように哀れな目でマチルダの視線を受け止める。

「私は、城に仕えてた方がずっと壁の情報を得られると思う。あんたが一人で調べるより、城の調査隊の方がずっと早くあの壁のことを調べ終えるわ。一度辞めたら再入隊するのは難しいってアンタが一番わかってるはず。それに……」


 マチルダは、テーブルに広げて置いた手紙をそっと折り畳みながら言った。


「よく知ってるでしょ? カイは一度言ったことは絶対覆さないってこと。壁にドアがあったって戻らないって書いてある。アンタが城に仕えて国を守るという目標を捨ててまで、そんなことをするのをあいつは喜ばない」


 ミーケルは無意識に顔を伏せ目を閉じてしまった。薄々は、もしかしたらわかっていたのかもしれない。気づかないふりをしようとしていた。


「……何となく思ったの、カイは壁のこと何か知ってるんじゃないかしら」


 カイは自分の意思であちらに残ることを決め、そうしたのではないかと、本当に一瞬だけ、そう思ってしまったことを。


「突然現れた壁よ。いつか、突然消えるかもしれないしね」


 そういった彼女の声があまりにも震えていたので、ミーケルはもう少し目を閉じていようと決めた。




 ミーケル達が手紙を届けたあの日。

 カイは手紙を受け取り、返事を書き、サルタエルの頭を撫で、その隣で寝た。翌日、また手紙を付けてサルタエルを飛ばす。それまでの間に何度も彼が腕で顔を拭っていたこと。

 それを知るのは、この世にサルタエルたった一羽だけだった。



 六月に入ったある日、王室は壁についての情報を宣布した。それはミーケルが壁のことを城に報告してから約半年後のことだった。それまでの間、壁を調査する城の兵士及び科学者以外は近づくことを固く禁止されていた。

 宣布された内容はこうだ。


 ・壁はレダ全体を円で覆っている。

 ・壁に門や窓はなく出入りは出来ない。

 ・壁を造った者は不明。


 そして最後にこうもあった。


 この壁を決して壊してはならない。

 壁を越えることも許さない。


 半年かけて調査されたのち、開示された情報はこれだけだった。

 

 国民は口々にこの壁について噂した。

 誰がなんのために作ったのか。

 そもそもこんなに短期間でこれだけの物を作るというのは、人間にはなし得ない技だ。

 そして、もうひとつ不思議なことが起こっていた。

 この壁ができてからというもの、ドラゴンが全く姿を表さなくなったのだ。かなり高さがある壁とは言え、ドラゴンには翼がある。入ろうと思えばいくらでも入れるはずだった。今までは、たまにいたずらにドラゴンが現れては人間を襲っていた。それにどれだけずいぶんの人が脅え暮らしていたことか。ドラゴンは個体数こそ多くはないものの、一匹でかなりの脅威になる。ズーライトと呼ばれる鉱石を嫌い、人々はこれを使って剣や柵を作り自衛していたが、それも絶対ではなく気休め程度だった。

 城の科学者は、この壁の成分にズーライトと同じものが含まれているのではないかと考えた。壁を少し削り成分を調べることを許され、これを実行したができなかった。

 壁は、どんなに良く切れる刃物で削ろうとも、傷一つ付かないのだ。


 人々はこの人知を越える正体不明の物体に恐怖を覚えた。そして積極的にこの壁に近付こうとするものなどいなくなった。

 例え、王室から下された戒律がなかったとしても。

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