衣替え 前

「まっとうにカラオケとかどうなん」

「おまえは二時間クソ映画に拘束される怖さを知らない」

「放課後送っていくには学区から遠いのがネック」

「遊園地はグループデートの方がアトラクションの好き嫌いで喧嘩せずに済むぞぅ、観覧車だけ二人で乗るんだ」

「逆にアンタは何があったの?」


 まさしく侃侃諤諤の様相に頭を抱える。デートって一般的にどこ行くの、というシンプルな質問からこんなことになってしまった。ああだこうだと意見が飛んでくるが金治郎には受け止めきれない。どころか、本人を放置して"徹底討論! おすすめデート先とは?"とでもテロップが出そうな白熱ぶりだ。

 と、後ろから肩を叩く手があった。冷たくはあるが、やや湿り気を帯びているので氷室ではない。


「バイト先、タダ券。あーげる」


 振り向けば、水かきをそなえた手に水族館のチケットが握られていた。河童の岩瀬だ。実家は例によってまほろば商店街で整骨院をやっているが、商店街の中では微妙に遠い部類で、あまり一緒に遊んだ覚えはない。そもそも小学生低学年の時点で、早々に女子グループとして固まってしまった内の一人だった。


「え、いいの?」

「また夏休み、長期入る、余る。グッドラーック」


 岩瀬はぐっと親指を立て、潜水でもするように身を屈めて生徒の隙間をすり抜けていった。金治郎の手元にチケットを残して。

 それほど口数はないが、人の色恋沙汰は好みらしかった。


 昼休みも終わりかけているのに、いまだ会議は踊っている。





 誰に聞かれるわけでもないのに、部屋の隅でこそこそと電話をするのが半ば日課となっていた。もし姉が帰ってくれば本格的に隠れ場所を探す必要が出てくるが、今はただ気恥ずかしいせいだ。


「……ということで、水族館というのはどうですか」

『そうですね。次の日曜日は……お忙しいのでしたっけ』

「大会なんで、土曜かその次の土日すね」


 では土曜日に、とつつがなく約束を終えたつもりになった金治郎だったが、電話はまだ続いていた。


『金治郎さんは、いつも制服なんですか?』

「というと」

『私服を見たことがありませんし、想像がつかないものですから。よければ着てきてくれませんか』


 少年は断れない男だった。


 現在の私服について問題点を挙げるとすれば、全て数年前に姉が見繕っておいたものだということだろうか。物の寸法を見て当てられる彼女は、成長もばっちり予測していたらしく、今着てもサイズはおかしくない。が、デザインについては多々問題があった。

 Tシャツとジーンズ、というシンプルな組み合わせが大半だが、どれも柄がおかしい。Tシャツは名前通りの虎の顔だらけ、もしくは阿修羅の面に羅刹像。ジーンズには昇り鯉やら桜吹雪の刺繍が入っている。

 要するに、彼の衣装箪笥の中身は全てコテコテの不良系ファッションなのだ。





「それで僕か。まあいいんじゃないか? 少なくともマシな格好にしてやろう」

「うす……」


 ふふんと得意げになる月埜つきのは造り酒屋の息子で、桂男の末裔でもある。やや(と言わないと本人が怒る)低い身長と大きく見える目のせいで、桂男というよりは美少年といったほうがわかりやすい。

 家がそもそも商店街の外にあるせいで、金治郎はあまり話したことがなかった――と自分では思っている。実のところは小学校も同じだった連中に比べれば少ないだけで、友人と呼んで差し支えのない仲ではあるはずだ。少なくとも、放課後の買い物にわざわざ付き合ってくれる程度には。


「とりあえず専門用語は避けてわかりやすく言うぞ。クソダサく聞こえるかもしれないがいいな」

「はい」

「よし」


 がたごとと揺れる普通列車は驚くほど空いていた。帰宅部の二人が即座に駅まで走って行ったせいもあるだろう。


「まず買うのはズボンだ。くるぶしまで隠れる丈ぐらいのがいい。黒か濃紺で、いっそ両方買ってもいい。面倒くさくても試着して裾上げなりなんなりしてもらう」

「はい」

「靴はもう今履いてるスニーカーでもいい。なんかそこそこ手入れしてるっぽいし履き慣れてないやつよりマシ」

「はい」


 もはや相槌しか打てていない。


「次は上着だな。標準服に入ってるのと同じような白いシャツで十分だが、オマエこれサイズ合ってないだろ。これもちゃんと試着して買う」

「買った時はこんなんなると思ってなかったからなあ」

「だよな。僕だってもっと育つと思ってた。あとはもう柄のない適当なTシャツと、余裕があったらパーカーの一枚ぐらいか……これだけあればあのクソみたいな威圧感もどうにかなるだろ」

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