六月
寅尾金治郎は考える
空に雲が多く、風に湿り気が増してきた頃。半月と少しかけてカタカナを打つことを覚えた。機械操作と力加減が下手な少年にしてはよくやった方だ。
こうして昼休みや寝る前の空いた時間に、とりとめのないメッセージの交換をするというのは、仲睦まじいに含まれるに違いない。金治郎は確信している――という話をした途端、氷室が唇を尖らせた。
「んでも結局デートは一回だけなんだろ? もっと誘えよ」
三白眼がじろりとねめつける。こういった表情はなるほど鬼だ。
「……オレさあ、おまえにだってそんな話してなかったよなあ?」
「ぼくは、そこまで進んでいた話を聞いた覚えはないかなあ」
「ハハハ」
フロント・フェイスロックじみた形で逃げようとする首を掴まえた。先日デパートに出かけた件以外ありえないが、誰にもその話はしていない。家族にも口止めをしていた。
覗き込めば、憎たらしいほど人好きのする狐目の笑顔。間違いない。
「あの女中さんおまえの親戚だな?」
「はとこだよはとこ……ギブギブギブ」
ひやりとした手がべちべち力なく金治郎を叩く。絞まるほど力は入れていないのだが、たいへん外聞が悪いのでさっさと解放した。
「……つーかもしかして、最初に聞きつけたのは」
「はとこから」
「そもそも見合いの話が出たのは」
「同級生に鬼がいるって話、そういやしたわ」
「つまり」
「俺がキューピット!」
今度こそ本気で技をかけそうになるのを、他の同級生(主に男子)たちは必死になって止める。腕力のあまりない木暮はさっさと避難してしまったし、他の男子生徒は半分ぐらい腕にぶら下がるような状態だが。一方の氷室はげらげらと笑い転げていたので、かまいたち三姉妹の長女に文字通りすっ転ばされていた。額をぶつけたという抗議には皿のない、代わりに水かきはある河童が軟膏を塗り付けて黙らせた。
馬鹿は多いが悪人はいない。今日も
とりとめもないやりとりの中に、女学院から転校していった生徒の話が出ることはなかった。
噂に詳しい天狗でなくても知っているぐらいには広がった噂だが、なんでも呪術をやらかして学校側が放り出したらしい、という話だ。
もしかしたら薊も話題に出すかもしれないと思ったが、毎日顔を合わせていたかもしれない子がいなくなった話なんて好き好んでするものでもない。そして、噂は噂だ。曖昧なものでうっかり傷つけてしまってはたまらないので、金治郎も一切その話題に触れないことにした。
このやりとりを誰かが見ているか、はわからない。金治郎の側はいざ知らず、例の女中さんなんかがチェックしたうえで返答している可能性だってなくはないのだ。そのせいか、それとも薊の個人的な主義か、やりとりの中に愚痴や泣き言が差し挟まれることはなかった。
金治郎が引っ掛かったのはそこだ。
初対面の、探偵さんが調べたにしたって詳しくは知らない男に頼みこまなければいけないほど、あの女の子は追い詰められている。実際、あのお見合いの席では絞り出すような声で吐き出すぐらい。だったらきっと、言いたいことも山ほど残っているのではないか。
――もしかしたら、痕跡を残したくないのかもしれない。
声ならその場で消える。では文字は? 少なくとも、この携帯端末でのやり取りは両方に残る。そういうものだ。
『こんど ヒマなひはありますか はなしがしたいです』
もっと誘えよ、というセリフを覚えていたにはいたが、デートのお誘いにしては風情のない文だった。
そして、金治郎は句読点の代わりにスペースを入れることを覚えた。進歩であった。
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