思い出すだに悪巧み

「出奔しようと思うんです」

「はい?」

「明日で私は十五になります。式を挙げるとしたらきっと来年の明日です。その日に合わせて、行方をくらまそうと」


 花の咲くような笑顔だった。


「……あ、やっぱ結婚とかしたくねえ感じすか。そりゃそうか」

「はい。金治郎さんが嫌なわけではないんですよ。今まで釣り書きを押し付けられたひとたちに比べたらずっと年も近いし、なにより話が通じますから」


 自分が比較対象としてマシな部類に入るらしい、という事実だけで金治郎は震えあがった。話が通じる。初対面なのにだ。

 実際のところ、薊に見せられたこれまでの釣り書きの相手はすでに見知った顔ではあった。遠い親類、パーティーで見た顔、その他。ただし年齢は近くても薊の二倍か三倍、一番遠い相手は四倍近くだった。そして、ことごとく未婚。

 いくら顔や家柄が良かろうと、そして晩婚がけして少なくないご時世だろうと、その年齢までどうにもなっていない、ということはなんらかの問題があるのだ。たとえば、幼女趣味とか。


「もしも金治郎さんにいい人がいれば諦めました。けど、どうもいらっしゃらない様子ですし、もしかしたら乗ってくださるかしら、と思って」

「なんで知ってんすか?」

「ご丁寧に興信所を雇って調べさせたみたいです。女中から聞きました」


 隠し事はできそうになかった。元より後ろ暗いことはなかったが、背筋が冷えたような錯覚が金治郎を襲う。


「それで、ええと、オレは結局何すればいいんすか?」

「婚約して、仲睦まじい婚約者のふりをしてください。私は式の日に逃げてしまいますから、金治郎さんは『ワガママに振り回された被害者』の役です。当日までは、婚約者のふりを」


 人を騙して喰うのも鬼なら、人にやり込められるのも鬼だ。嘘が得意なものと苦手なもので両極端といってよく、金治郎は残念ながら後者だった。レンタルの着物に脂汗のしみができないといいなあ、と現実逃避に走る。


「なにせ一年も拘束するわけですから、きちんとお礼はいたします。そうでなくても私の方から反故にすれば、お詫びとしてそれなりの額は包まれると、」

「…………」


 何も言わず白い手を押しのけた。普段ならいざ知らず、今の格好で眉間に深く刻まれた皺を見れば凶相と評されても仕方ない。


「理由を教えてください。逃げる理由を」


 今度は薊が黙ってしまった。ずっと浮かべていた笑顔が崩れて、まっすぐ見つめていた瞳が虚空にそれる。それも短い時間のことで、十も数えないうちにまた視線は戻った。表情を作ってさえいなければ、目尻の跳ね上がった鋭い目だ、ということに金治郎は初めて気がつく。


「八瀬の」

「はい」


 言いかけて止まった言葉に相槌が打たれた。


「八瀬の家の経営は分家筋の方が向いていたようで、今の社長の先先代からずっと本家はなんにもしていません。私もそうなります。私の結婚は、会社の為ではなくて、ただただ本家の自己満足の為です」

「はい」

「服だって自由に選べたためしもないし、髪だって伸びた端から切られてしまうし、今日だってしたくもない化粧を塗られるし。これまでずっと、これからもずっと、なんだか、全部他人の思い通りに動かされるようで、悔しくって。だから、きっと一番力を入れるだろう結婚を台無しにして、吠え面をかかせてやりたくなったんです。いけませんか」


 堰を切ったように言葉がこぼれた。卓上に置かれたままの白い手は、きつく握るせいで別種の白さを帯びている。爪などいっそ割れてしまえとでもいうように、掌に食い込んで今にも血がにじみそうだ。


「ああ、ムカついたんすね」


 それならわかります、と続けて、馬鹿みたいに大きく頷いた。伸びてきた手がいかにも気軽に、力いっぱい握りしめた手指をほどいて離れる。


「いやなんか、ずっとニコニコしてるからよくわかんねえくて困ったんすけど、ぶん殴りたくなる気持ちわかったんで。オレあんま嘘つけねえんすけど、なるたけがんばってみます」

「え」


 青天の霹靂とでもいうのか。予想しなかった返答に、繕い直そうとした表情が崩れた。ただぽかんと口を開けるばかりだ。それを間抜けと笑うでもなく、金治郎は不服そうに正対する相手の袖あたりを指した。


「いやだって、似合ってねえすもんその着物。高そうなのにすげえダセえ」

「……そうでしょう!」


 薊は破顔する。家でもしそんな表情になればお叱りが飛んでくるような、八重歯の見える笑顔で、もっと言うなら半分ぐらい噴きだしていた。

 真っ赤な正絹の大振袖には布地を覆うほどに金糸銀糸の花々が刺繍されている。なるほど華やかで美しい着物ではあるが、目が痛くなるようなたぐいの絢爛さだった。


「もっとなんか……色鉛筆みてえな色のほうがよくねえすか? それかあの、グラデーション? っていうか、一色じゃねえやつ」


 色鉛筆とはなんだろう。パステルカラーとでも言いたいのだろうか。なんとなく読み取った薊は頷いた。


「そうですね。なら今度にでも見立ててもらえますか?」

「えっ……」

「冗談です」


 意地の悪い冗談を言って立ち上がる。長い正座も慣れたもので、足がしびれた様子はない。慌てて立ち上がりかけてうめく金治郎が落ち着くのを待って、袖を引いた。


「お庭に降りましょう。そのあたりで待っているでしょうから、正式に婚約の話を」

「あ、はい」


 次いで爪先立ちになり耳打ちをする。


「悪巧みの話、内緒にしてくださいね」

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