慶事千里を走るか

 市立青天高等学校は、小さい。物理的にではなく生徒の規模の話だ。

 一学年につきクラスは二つしかない。その七割が近所の小学校と中学校から持ち上がってきた顔なじみで、二割が外見に関わる校則の緩さに惹かれた物好きで、残りの一割は前述の連中の誰かに釣られてやってきたさらに物好きだ。そうなると閉鎖的な環境で陰湿ないじめが、などというのも普通ならばありふれた話ではあるのだが、なんと何もかもを粉砕する弩級のバカがっこうのななふしぎの存在により至って平和な学校生活が約束されている。つくづく妙な学校だった。

 閑話休題。

 ともかくそのように小さな学校である以上、三年のトラが婚約したという話が全校生徒とその家族に届くのにこの金曜日まで、つまり三日ほどの時間がかかったのは、むしろ遅いと言えた。


「寅尾ー、とりあえずそれロッカーにでも詰めてきなさい。立っていいから」

「すんません……」

「君たちも教科書の置き場所とか考えてちょうだいよ、みんな積んでったら何もできやしないでしょうよ、どうせ積むなら積立金にしなさい。長生きした先のことを今から考えといて損はないよ、実際」


 寝癖のひどい歴史教師が助け舟を出してくれた。金治郎はうなだれながら、花輪の発注申し込み用紙や新築物件チラシやレンタル衣装カタログや、その他婚約にかこつけた営業活動らしい物品を抱える。とはいえ本気で売りこんできている連中はいないだろう。なにせ、そのことごとくがまほろば商店街の店舗だ。本気なら家に乗り込めばいいのだし、おそらくはからかい半分祝い半分の悪意のないイタズラ、といったところか。

 悪意なんかあれば、教師が注意するまでにどうにかなっている。





「そんでウェディングケーキは?」

「気が早えしケーキ出るかわかんねえよ」

「えーっ」


 はじめに婚約の話を聞きつけた狐目の少年、氷室ひむろは不服そうな顔を作ってプリンを頬張った。弁当箱の一段にまるごとプリンが詰め込まれて、というか、流し込まれている。弁当箱を型にして作られたプリンを弁当に持ってきている様子だ。祖先が雪女らしい彼の家は洋菓子店をやっている。手が冷たいということは、こと生クリームのホイップなどに役立つ特性のようで、店もそこそこ流行っていた。


「にしても、鬼同士か。君らも存外難しい局面に立たされているのだなあ」


 口を挟んだのは、目立った特徴といえば丸眼鏡くらいの青年、もとい少年だった。やけに老成した雰囲気のせいか、学生服でなければ教師といっても通りそうに見える。


「結婚なんか好きにすりゃいいのにな」

「見合いだってお互いの合意がなければ交際さえせずにおしまいだよ。トラくんのようにすぐ婚約なんてそうはない」

「でも断れねーじゃん、八瀬って八瀬電気鉄道ハチテツの八瀬じゃん? 商店街ごとプチっといきそうじゃん?」

「それは、まあ……イメージとしては否定できないなあ」


 八瀬電気鉄道は大手私鉄のひとつに数えられている。八瀬童子の系譜とはいえ鬼は鬼、とけちをつける人間も多くいたものの、必要な土地に必要な線路を絶対に敷く剛腕ぶりですべてを黙らせた。八瀬の家は市民の足を掌握したのだ。


「えっじゃあトラ社長になんの?」

「なんねえよ、経営してる方は分家筋とからしいから、本家の婿はオレみてえなアホでもいいんだと」

「トラくん語に訳すとオブラートが溶けるねえ」


 

 婿探しの条件に合っていたのは事実。経営権を持っているのが分家筋なのも事実。どうあっても社長になることがないのも事実。ではあっても、ギリギリの綱渡りをしているような気分に胃を締めつけられて金治郎の箸は一向に進まなかった。見とがめた氷室が口を出す。


「おっ今からマリッジブルーか?」

「ちげえと思う……」


 木暮はそっと柴胡桂枝湯さいこけいしとうを一包差し出した。まほろば商店街の西の端、木暮宝生堂薬局こぐれほうしょうどうやっきょくは漢方も扱っている。

 手刀を切って受け取った粉薬を流し込みながら、金治郎の頭はもやもやと悪巧みを思い出していた。

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