端午の節句

 まほろば商店街『おもちゃのとらお』は休日にもかかわらずシャッターが降り、太い字で書かれた臨時休業の貼り紙が風になびいていた。シャッターの向こう側、普段ならゲーム大会などに使われる机を今日は家族が占領している。寅尾とらお家の家族会議だった。レンタル品らしい袴はすでにアイロンをかけられている様子だ。


「ほんとうにいいのかい? あのね金治郎こんじろう、君が頼まれると断れないのは知っているけど、人生にかかわる一大事なんだから、ほんとうに嫌なら……嫌なら……お、お父さんがきっとなんとかするから、気を使わなくていいんだよ」


 顔立ちこそ似ていても体格は息子の半分ほどしかなさそうな男性は眉を下げながら力説する。少なくとも性格は父似らしい息子も眉を下げ、背中を丸めつつも口を開いた。


「や、大丈夫だし……向こうさんの家に断られっかなって思ったけど、なんか変に気に入られたっぽいし」

「お母さんは正直反対」


 頬杖をついた目つきの鋭い女性ははっきりと言い切った。


「いくらなんでもねえ、あんな小さい子が自分の意志で婿探しなんてないない。それに、お見合い相手だっていうならお姉ちゃんのことも調べるでしょ? なのにこりゃダメだー、ってならないのはちょっとおかしいじゃない。向こうのお家はお家で倫理観とか大丈夫なの?」


 父子は一斉に遠い目をする。老人だけはどこ吹く風で、老婦人の写真を撫でながら茶を啜っていた。

 寅尾家は祖先に鬼を持つ。それがわかったのは長子、うたが先祖返りとして生まれてからのことだ。唄は一間いっけんほどの長身と、金治郎と同じ二本の角と、この家の遺伝子のどこに混入していたのかわからない尋常ならざる美貌を持ち、気に入った相手なら。最大限に好意的な表現をするなら想いに素直で、客観的に見れば自制心というブレーキを落っことしてきた暴走特急だ。

 今この場にいないのも、異国の妖精とやらを口説いコマしてくる、と言い残して本当に渡航してしまったことが原因になる。


ほころびのあとに来た妖怪ひとに、こっちの常識押し付けるのもどうかってのもあったみたいだけどね。もう何年経ったって話よ。いい加減に向こうで偉くてもこっちじゃそうでもないってわかんないもんかな」

「母さん、母さん、そのぐらいに」


 人と魑魅魍魎の住処を分かたっていた『夢幻結界』が綻びてからもう百五十年近く経つ。最初こそまさしく百鬼夜行、徳川幕府の瓦解による混乱と合わさり地獄の釜の蓋が開いたかのような様であったが――ことこの日本においては、"日本一の大天狗"、"葛の葉狐の子"、そしてすでに人の世で生きていた先祖返りらの活躍により、十余年をかけておおむね人と妖怪との共存は成った。


 異国の魔神や妖精らとは地図を変えそうになる戦争を起こしてなお睨みあっているし、国の中での小競り合いまで消え失せたわけではないが、それこそ拝み屋が殴って解決すれば済む程度の軽いものにまで落ち着いた。

 人間、状況が起こってしまえばそれなりに適応するものだ。


 ふと、それまでずっとにこにこと聞いているだけだった白髪の老人が少年の肩をつついた。


「コン」

「じいちゃん?」

「コンは、そのお嬢さんをどう思う」


 オレは、と言いかけてしばらく、少年はもごもごと口の中で言葉を転がしていた。お父さんそっくりとぼやく母の声も、思わぬ不意打ちにむせる父の咳も耳に届いているのかいないのか、口元に当てた拳の端っこ、今は何も嵌めていない指を見つめる。その視線は真剣だった。


「あのひとを幸せにしてえ」


 その一言だけが出た。

 もう四十も半ばを過ぎた男がひゃあと両手で顔を覆う。その頭を軽くはたく妻も、髪に隠れた耳がやや赤い。この夫婦はどうにも根が照れ屋らしい。


「だったらええ」


 目元の皺を深くする老人はいつまでも妻の遺影を撫でていた。

 家族会議はそれから、金治郎が大学に行くか行かないか、あるいは学びたい専門学科があるのかの議論へと舵を切る。

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