Kitten's curiosity/Like a poison/I found it.

【Kitten's curiosity(Nowadays)】


 陰鬱な廊下にすすり泣きのような音が変わらず響いている。〈泣歌〉だ。城のこんな奥で、はっきりと聞こえているのが面白い。

 傍らに小さな案内板プレートがかかった入口をくぐると、部屋の中央にある件の井戸が目に飛び込んできた。客の事故を防ぐためだろう、井戸は傍の柱ごと大人の鳩尾みぞおちあたりまである鉄柵で囲われている。

「うーん、やっぱりもっと奥まで覗きたいんだよね。どうしようかなぁ……」

 膝に手をついて柱の下部にある古い傷をしげしげと眺めていたウィンスビートは、次いで伸びあがると柵越しにカメのように首を長く伸ばして、誰に向けるでもなくそうつぶやいた。

 彼は、朝から東岸の洞窟遺跡群に向かい、管理の者に数枚の硬貨をにぎらせて風向きと複数の洞窟を奥まで見て回ったかと思うと、すぐに城へ舞い戻り、いくつかの古い記録と地形図や地図を調べ、それを終えた途端に、今度は亡霊に貴公子が引きずり込まれたという伝説の井戸へいそいそとやってきたのである。

 興味のままに動きまわる彼の様子は、仔猫に似て忙しない。彼の年齢では、まだ青年というよりは少年の方に中身が寄っているのだろうと、リュトナイアの目にはほほ笑ましく映る。

 ウィンスビートはしばし考えるそぶりを見せた後、柵に手をかけ。

 あっさりとそれを乗り越えてしまった。

「あなたという方は……」

 またですかと呆れるリュトナイアへ、まあまあと笑って彼は手を差し伸べる。

「手伝って欲しいことがあるんだ。君も越えてきてよ」

 リュトナイアは瞬きの間ほど眉間に皺を寄せる。それから、すぐに節のない細い指を柵にかけ、同じように乗り越えて内に入った。

「露見しなければ『なかったこと』ですからね……。それで、私はなにをお手伝いすればよいのでしょうか」

「君のそういうところ大好きだよ、リュー。僕のベルトをしっかりつかんでて。放さないでね」

 涼しい顔のリュトナイアがベルトをつかむや、ウィンスビートは、尻ポケットから取りだした携帯用小型ライトを片手に思い切りよく縁石ふちいしから身を乗り出し、冷たい風が吹きあげる井戸の底を覗き込んだ。

 思った通りだ、とほとんどさかさまに近い体勢になったウィンスビートの声が、井戸の中でくぐもって反響する。

「随分大きく水位が下がってる。渇水期だからだね。それに……ははん、やっぱり。予想してたものがあった。――ありがとう、リュトナイア、引き上げて」

 ウィンスビートは、浮いていた踵がしっかりと床につくと、満足そうな笑みを浮かべて言う。

「おそらく僕は、〈とっても美味しい謎〉の答えにたどり着いたよ」と。




【Like a poison(Past)】


 真夜中にたたき起こされ呼び集められた召使いたちが、〈泣歌〉の低く響く陰鬱な廊下を右へ左へと走り回っている。年若い一人がうかつに部屋を覗きこみ悲鳴をあげて昏倒しそうになったのは、井戸の縁と床を汚し、ぬらりと赤黒く光っている血と、その血溜まりに半ば浸るようにして散らばった黒い髪を目にしてしまったからだ。

 何故今日に限ってここの扉が開いていたんだと別の者に問われているのは、召使い頭のリムドだ。部屋に立ち入る用のあったお側仕えの一人が、どうやら鍵を締め忘れたようだと、血の気の引いた様子で答えている。

 召使いの一人がランプを掲げて、黒々と口を開いた井戸の中を覗きこんだ。

「なにも見えません。お姿らしきものも、なにも……水ばかりで……」

 暗く遠い水面に、たよりなく光が反射して揺れるのが見えるばかりだと、男は振り返り皆に報告する。

 井戸の奥からは相変わらず〈泣歌〉が聞こえている。すすり泣く風の声に、幽霊だ、若殿は異教徒の亡霊に引きずりこまれたのだと、怯えた誰かが思い出したように口にした。ダナイの想像が当たっちまった。俺たちが風の音だと思い込んでる中には、本物が紛れているんだよ。

 動揺を糧にして膨れ上がった恐怖が、ざわめく召使いたちを呑みこみかける。

「莫迦なことを言うのはおやめなさい」と、浮足立つ彼らを気丈に叱責したのは、城主に付き添う若く美しい公妃アレフィシカだ。

「邪な霊がこの城の者に害をなすなどと、そのようなことを、我らの神と竜血公がお許しになるはずがないでしょう。異教徒の亡霊など、もしいたとしても、とうにすべて地獄に落ちています。皆、妄言に惑わされたりせずに、しっかりと分別をお持ちなさい」

 アレフィシカは、厳しい視線で召使いたちを見回すと、すぐに慈母の笑みを浮かべて、悔恨の呻きをあげる城主へ語りかける。

「あなた。あなた、お気を落としてしまわれないでくださいまし。こんなに暗くては、なにも見えはいたしませんもの。朝になれば、きっともう少し様子がわかりますわ」

「アレフィシカ……、私は……。私は間違ったのか……?」

「いいえ」アレフィシカは、ほほ笑みを浮かべたまま、小さく首を振った。「いいえ、あなた。偶然が重なっただけの事故に過ぎませんわ。すべて不幸な偶然が重なっただけ。あなたは、いつでも正しくておいでなのです」

 堪えるように目を閉じて唇を引き結んだ城主が、再び呻く。

「お気の毒に……あなた……」

 内心の昂揚を押し隠し、美しい公妃はグエンフィード城主に寄りそう。夏に入る前に嫁ぎ来たばかりの、二人目の正妃であるアレフィシカは十七と若く、この先子を孕む機会は何度でもある。なればこそ、己の生んだ子でもない継嗣を突如失うことなど、どうということも――いや、むしろこれは、好機であるのだ。

「わたくしがおりますわ」

 彼女は、懊悩する男の背を抱き締めるようにそっと腕を回し、広い肩に頬を押しつける。

「わたくしが必ず、代わりの御子をお生みいたします」

 ツァバック候国より嫁ぎ来た公妃は、誰にも気づかれずに、ひっそりと毒の笑みを浮かべて、男に囁く。

 竜血公の血筋に、人傑候の、ツァバック候家の血を。そうして生まれるグエンフィードの継承権を持つ男子を城主の座に据え、ツァバックに従順な傀儡かいらいへと育て上げる。――それこそが、この二十以上も年上の男の元へ送り込まれたアレフィシカの使命であり、この機に乗じて進めるべきことである。

〈泣歌〉は、グエンフィードに降りかかる不幸をいや増すように、すすり泣いている。




【I found it.(Nowadays)】


 昨日の案内人を探し出せば、彼はこの炎天下に中庭で園丁よろしく花壇の世話をしている最中だった。なにの種子だろうか、傍に置かれたブリキ缶の中には、茶色い種が入っていて、たがやかされたばかりの土に撒かれるのを待っている。

 鼻歌を口ずさむ男にウィンスビートが声をかけて曲を褒め、「ご自分で作られたのですか?」といつもの調子で人なつこく尋ねる。

 手を止めた案内人は、「いえ、これはこの辺りの民謡でございます」と照れた様子で答えて、ほてりをごまかすように首から下げたタオルで汗をぬぐった。

「綺麗な旋律メロディでございましょう?」彼はもう一度旋律をなぞって見せ、「この音が気に入っているものですから、ついつい口ずさんでしまうのです」そう続ける。

「歌詞の方は〈宣誓乙女〉の物語を歌っていてわりあい暗いのですが」

 聞き覚えのある単語だ、〈宣誓乙女〉とは――。ウィンスビートが首をかしげる横から、「肖像画のあれですね」とリュトナイアが口を挟み、昨日入れたばかりの知識を記憶の中から掘り起こす手伝いをする。

「そうです」と、案内人がうなずいた。

 かつてこの地方では、女性は相続や財産を持つ権利がなく、ひたすらに家父長の言によって人生を左右されていた。そのような慣習下にあって、ただひとつ、厳しい制限から逃れ、男子と同等の権利を得られる方法が〈宣誓乙女〉となることだった。

 〈宣誓乙女〉は生涯純潔を守り、男性の装束を纏って独身の男として過ごす代わりに、男性と同じだけの権利を保証された。サーナックス二世の長子――〈失われた貴公子〉として描かれた肖像画の中の人物ウルタミネも、この〈宣誓乙女〉の一人である。

「男装の麗人ウルタミネが、城を離れる父の代わりとなるべく〈宣誓乙女〉となった経緯を、古い言葉で歌っているのですよ」

「なるほど」ウィンスビートはうなずいて、話の尾をつかみ取り手元に引き寄せた。「そのウルタミネが失われた事件について、僕は面白い見解に達しましたよ」

 おや、と案内人が目を見開く。

 ウィンスビートは、にっこりと笑った。

「少し長くなりますが、かまいませんか?」

「では、しばしお待ちください。冷たいお茶をご用意いたしましょう」

 案内人は、手早く園芸用具を片づけはじめる。

 じりじりとあぶられる庭に西からの風が吹き込み、すすり泣く音が響き始める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る