第5話 初日・午前
記念すべき初陣を飾る戦場を見回し、緊張4割と期待6割で躍る胸を抑えられない。
総務の神品係長に出勤日の締めや給与の支払いなど細かい説明を受けたり、手続きの書類を書いたりしていたので、時計の針はそろそろ10時を指そうとしていた。
今日働く部署は、1階マシンメイドフロアにある、『プレス』だ。
壁にズラリと人よりも大きな機械が並び、動いているものはかなり賑やかな音を立てている。金属と油の匂い、並ぶ機械の威圧感のようなもので、なんとなく空気が重い。
部屋の中央にも機械と作業机が並んでいて、机に向かう人は黙々と卓上の機器を使って加工していた。
プレスの平城係長は、なんというか和製のエルキュール・ポアロみたいだった。小柄で小太りで、話を聞いていてもつい丁寧に作り込まれた口髭に目がいってしまう。
ぜひ有名なセリフ、“灰色の脳細胞が―”を言ってほしい。
最初にざっくりと説明を受ける。面接に来た時は、ここの説明は受けなかったんだ、確か。
いろいろな機械が並んでいるが、今、目の前にある機械は両腕を広げたくらいの結構な大きさのもので、その横には半分くらいの幅の同じ感じの機械が3台並んでいる。
「これがプレス機。このボタンを押すと油圧でこの部分が下に下がって、圧縮する事ができる。この大きいタイプはプレスする力が強いから普段はあまり使わなくて、こっちのプレス機がほとんどだね」
「どんな事に使うんですか?」
「ほとんどが、“しぼり”といって、薄い地金の板をセットした型の形に抜き出す加工だよ」
こんな風に、と見せてもらったのは花の形にふっくらと、片側に膨らんだ2つのパーツ。
「この2枚を合わせて1つのパーツになる」
同じに見えた2つのパーツは膨らませる方向が鏡合わせになっていて、2枚を合わせると1つのふっくらしたパーツになる。
「こういうパーツがつながったネックレスを見た事ない?」
「あ、あります。でもこういう風に中が空っぽになってるとは知りませんでした。漠然と、中も詰まってるものだと」
平城係長は素人の無知に苦笑した。
「まさか。無垢だったら相当重いものになるよ?重くなればなるほど、その分の地金代が撥ね上がるし、第一、そんなの着けてたら肩こっちゃうよ」
中が詰まってるパーツは無垢っていうのか。
「ああそれから、気をつけてね。指入れたら容赦なく潰れるから」
え。思わず引きつった僕に、プレス機の操作盤を指差す。
「大丈夫。そういう事故を防ぐ為にボタンが2つあるんだよ。両手でボタンを押さないと、可動部が下りないようにね。だから気をつけなきゃいけないのはむしろ自分が作業している時じゃなく、人が作業している時で、巻き込まれたりしないように不用意に近づいたり手を入れたりしない事だね」
「き、気をつけます……」
じゃあとりあえず、プレスパーツを作ってもらおうか。
そう言うと平城係長は巻かれたリボン状の薄い板材と軍手を僕に渡した。
「材料で手、切らないように軍手して。切り口鋭利だから」
自分も軍手をはめ、規格指定書を確認する。
「プレスする前に、まずはこの切断機で大体の大きさにカットしておく。今回は絶対に必要なのが420個だから、最低でも450個は欲しいかな。この後の工程で試しとか調整とかでクズになって減っていくからね」
ノギスで測りながら切断機を調整する様子に興味津々だ。SAIHARAの見学で、機械の調整をしているところなんて見られる事はまずない。
細い六角レンチで緩めたり締めたりしている場所で、カットする幅が決まるらしい。調整する度に足元のペダルを踏むと、ガチャンと刃が下りて板材をカットする。ノギスで決められた大きさになった事を確認すると、平城係長は覗き込んでいた僕を見上げた。
「あとはこのままフットペダルを踏み込んでいれば、連続して刃が下りるから。止めたい時は足を離せばいい。刃が上に来てる時に足離してね。50個ごととか数えやすいところで止めて容器に空けながら450個くらい取れたら、声かけて」
切断機の前に座らされる。
「じゃあよろしく」
「はい」
ガチャンガチャンガチャンガチャンガチャン……………ガチャンガチャンガチャン
……1個……2個……3個……4個……5個………………48個…49、50個!
刃が上!
パッと足を離すと、よかった。ちゃんと止まった。
カットされた材料を容器に入れ、再びペダルを踏む。
ガチャンガチャンガチャンガチャンガチャン……………ガチャンガチャンガチャン
……51……52……53……54……55…………………98、99、100!
ただひたすら数える、カットされたものを容器に空ける、そしてまたひたすら数える。
それはある意味大変な仕事だった。集中していないと数を間違えてしまうのに、数えるだけだから、つい集中が切れる。考え事もできない。機械が自動でカットするというとハイテクっぽいのに、その実は相当なアナクロ作業だ。
ガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャン…………
「―――今日から2週間働いてくれる、西原(にしはら) 浩之君です」
「よろしくお願いします!」
全体朝礼では司会役は当番制で、今日司会だった西保木課長が僕の名前を紹介してくれたので、僕自身は名乗らずに済んだ。
田辺部長から学んだ大きな声での挨拶は有効だった。
これのおかげで“あいつちょっと違うな、やる気があるな”と印象付けられたからだ。
ガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャン…………
「大丈夫か?」
「!」
20代後半くらいの男性社員に覗き込まれ、あわててペダルから足を離す。
いつの間にか、機械を動かしたまま回想してしまっていた。
「いや、切断機止まんねえから、寝てんのかと思って」
「す、すみません。ちょっと考え事してしまって」
「ボーっとしてんなよ。ここは単純作業の繰り返しが多いけど、機械ナメてっと取り返しつかない怪我すんぞ」
さっきプレスの人を集めて改めて紹介された時……確か“比企さん”って言ってたっけ。
「それから、それ以上そのままだったら溜まったやつが重なって、刃に当たって刃がダメになるからな」
切断された板材が山盛りになった手元をチラリと見て言い捨てると、別の機械の方に行ってしまう。
うう、さっそく怒られてしまった。
しかも何個切れたか分からなくなった。これは……数え直すしかないだろうな。
小さく溜め息をついていると、
「あー怒られちゃったねえ」
話しかけたのは、ええと、確か……。
「梅崎さん」
「梅ちゃんでいいよ~」
「はあ」
20代半ばくらいの人だが、社会人がこの喋り方で大丈夫なのか?
「ヒッキーは口が悪いからぁ。気にしなくてヘーキだよ。いっつもあんな感じだし~」
「常に怒ってるんですか!?」
いやいや、手をひらひら振って笑う。
「ぶっきらぼーというかぶあいそというか。まあこの会社そういう人多いからぁ。最初なんだから失敗してトーゼン!どんどん失敗して仕事覚えよ――!!」
なんかこの人のテンションも異様だが。
「で、数えるなら、机に広げて数えるといいよ~。傷入れないように布貼ったトレイの上でね。後工程でもちろん仕上げするけど、気を使うに越したコトないからね~」
なるほど。
なんやかんやで無事(有事?)切断加工を終え、プレス機の上部に向けて金槌を振っている平城係長に声をかける。
「終わりました」
「ああ、こっちも調整できたよ。ちょっと見てて……このガイドに合わせて今切った材料を置いて、このボタンを両手で押す」
ガガッッチャンン
切断機とは違う、溜めのある重い音を立てて下りたプレス部分が上がると、小さな紙片みたいだった板材があっという間にレリーフ状になる。
「このままだと型から材料が外れないから、これを使ってこうやって外す」
マイナスドライバーの先をもっと薄くしたみたいな棒を滑り込ませて、端を持ち上げペコっと外す。
「外したら、検品。3個に1個とかでいいから、このフチが切れたり穴が開いたりしていないか、あとあんまり外れにくい時も、調整が悪い場合があるから言ってね……うん、いいね。これがいい状態だから、こうじゃなくなったら聞きに来て」
いい状態と悪い状態のものを渡し、僕に確認させる。
「で、次のをセットするんだけど、材料を置く前に、ゴミとか埃を挟まないように毎回型をエアーで吹いて飛ばしてね。小さい埃でも、そのままプレスすると拾っちゃう――埃の跡が付いちゃうから。あと外れやすくするのに5回に1回くらい潤滑油を差してあげて」
エアーガンの先を型に向けるとシュッシュッとゴミを飛ばし、調味料を入れるみたいな容器からチュ――ッと透明のさらさらした油をかけて、再び型に板材を乗せる。その様子を見て、僕は妙に納得してしまった。
油をかけてはエアーで飛ばすから、機械や壁がじっとりと油っぽいんだな。
「やってみて」
平城係長の見せてくれた通りに作業をなぞる。見ているとそれほど難しい加工には見えないのに、やってみると手元がギクシャクする。日常ではこんな動きはしないからなあ。
「大丈夫そうだね。怪我だけは気をつけて、なにか分からない事があったらすぐに声かけてね」
「分かりました」
確かに、初日から怪我は避けたい。
切断加工と違って、プレス加工は常に手を動かしているから集中できる。
最初は緊張で固かった動きが、加工を体が覚えてリズミカルになってくる頃には、コツが分かって楽しくなってきていた。
直接製作に関わる事ができるのがうれしい。こうして自分が加工したものが、この後さまざまな加工・仕上げを経て、実際に手に取れるジュエリーになる事がうれしい。
このパーツが組まれて、磨かれて、ちゃんと製品になった状態を見られるだろうか?
ぜひ、見たい。僕の初仕事なのだから。
「あ」
プレスされた板材を外そうとして、勢いあまって弾き飛ばしてしまった。
こらこら、待て待て。
飛ばされた板材は、隣で比企さんが使っているプレス機との間に落ちた。
また怒られないように気をつけねば。
狭い機械の間に入り込み、無理矢理しゃがんで足元の材料を拾い上げる。
よかった。油のせいでゴミがついたけど、傷は入っていなさそうだ。
ホッと息をつき、立ち上がろうとして
「わ、わっ」
よろけて体勢を崩し、とっさに体を支えようとついた手は、隣で動いているプレス機だった。
しまった、そう思った時はもう遅かった。プレスが―――
「ッ!」
下りる――――
初日から取り返しのつかない怪我をして、馬鹿だな、なんでこんな事になっちゃったんだろう。
バイトなんかせず春休みはおとなしく友達と遊んだり適当にぐだぐだしてればよかったんだ。病院に運ばれたら、名前を偽っていた事がバレるだろうか。じいちゃんにも母さんにも父さんにも心配させてしまうな。田辺部長にも迷惑かけてしまう………。
下りかけたプレス機が小さなブザー音を立てて、
「!?」
上がった。
これが走馬灯ってやつか!?プレスが下りるまでの1秒にも満たないような一瞬に、ものすごい色んな事がよぎったぞ。
プレスをしていた比企さんに、再び、「あっぶねえなあ!」と思いっきり睨みつけられて、罵倒される。
「この馬鹿!!」
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