Episode_26.19 旗の下で勝利を叫ぶ


 ディンスの街が本格的な攻撃に晒される数刻前、日が沈み暗くなった街道を只管ひたすらに南へ突っ走る騎馬の集団があった。場所は丁度ストラとディンスを繋ぐ街道の中間点。騎馬の集団は王子派西方面軍の主力騎士隊だ。その数は八百に上る。彼等は王弟派軍の攻撃を誘発するため、或る種の陽動としてディンス防衛部隊から引き抜かれた部隊だ。外面上はデルフィル防衛に向かったように偽装されていた。


 だが、実際はストラ郊外の小高い丘と丘の合間に駐屯し、ディンスへ駆け戻る命令を待ち侘びていたのだ。そんな彼等の元に「ディンス攻撃の兆し有り、直ぐ戻れ」の指示があったのはこの日の夕方だった。


 以後数時間、彼等は街道を南下している。


 ただ、通常の旅人の足で1日、馬で半日の距離と言われるストラとディンス間の街道を、焦る心に任せて馬を全力で駆けさせる訳にはいかない。彼等騎士にとって馬は単なる移動手段ではなく、それ自体が一種の兵器であり、馬の力を合わせて初めて一騎の騎士としての戦力を発揮できるのだ。だから、馬の消耗を考えながら、ディンスに到着して尚、防衛戦に参加できる余力を残さなければならない。


 しかし、当然のことながら馬上の騎士は心が逸る。それにつられて彼等の愛馬もまた速度を早めがちになる。どれだけ気を付けて速度を抑えても、全体の行軍速度が上がり過ぎるのは仕方がない。それに加えて周囲は夜の闇に包まれている。相対的に速度を測る風景が見えない状況だから、速度の制御が尚更に難しい状況だった。


 その結果、速度が上がった分だけ馬の体力は確実に限界へ近づく。


「とまれ、一旦止まれ!」


 その事実に気が付いた先頭の騎士隊長は全騎にそう呼び掛けると、自ら愛馬の速度を常歩なみあしにまで落とす。勢い、先頭を追い越してしまう騎士達は、慌てて愛馬の速度を落とす。しばらくすると、騎馬集団が団子のように街道に固まった。


「隊長、まだ余裕があるはずです!」

「急ぎませんと、間に合いません!」


 等々、騎士隊長の元にはそういう言葉が次々と届く。だが、


「随分距離を稼いだんだ、後一時間はこのままでいくぞ!」


 と、騎士隊長の方は折れる気配がない。そのため、王子派が誇る西方面軍主力騎士隊は、若さと経験のぶつかり合い、のような半ば口論のようになりながら、それでもゆるゆると街道を南下する。


 とその時、先頭を行く騎士隊長が街道上で松明一本程度の明かりを見つけた。事態が事態だけに、緊張は騎士隊全体に広がる。ただ、更に進んだところ、松明の明かりのぬしは街道脇に停まった幌付きの粗末な馬車であることが分かった。


「おい、お前とお前、ちょっと行って見てこい」


 騎士隊長に指示された若手の騎士は、集団から抜け出て馬車の荷台に駆け寄ると騎乗のままで何事か問いかける。よく聞き取れないが、何等かの問答が有る様子。しかし、次の瞬間、突然二騎の騎士は馬上から飛び降りて街道で平伏してしまった。


「なんだ?」


 思わず駆け寄る騎士隊長。それと同時に荷馬車の幌荷台から一人の小柄な人物が下りてきた。更に、馬車の前方から武装した冒険者風の男が一人と、聖職者風のローブを身に付けた人物が一人、姿を現す。荷馬車には合計三人の人物が居たようだった。


「お前達、何事か?」


 正体不明の三人に声を掛ける騎士隊長。対して、荷馬車の三人の内、荷台から降りてきた小柄な人物が受け答えの声を発する。


「ご苦労様、クロード殿」

「ん? なぜ吾輩の名を……げぇ!」


 不審そうに小柄な人物の顔を覗き込もうとした騎士隊長はそこで驚愕の面相になり、転がり落ちるように馬を降りた。


「そろそろ、馬が疲れる頃かと」

「り、リシア様……何故このような場所に……」

「だから、馬と皆さん、疲労を癒します」


 その出来事の後、再び動き出した騎士隊は、先程に負けず劣らずな速度で街道を突き進んだ。一方、残された荷馬車では、


「リシア様、ちょっと意地悪」

「さっきの騎士隊長の顔、傑作だったな」


 という、パスティナ教の若き女司祭エーヴィーとその夫であり冒険者集団「飛竜の尻尾団」のリーダージェロの楽しそうな言葉が響く。


「意地悪なんてしないわ」


 対してリシアは少し不満そうにそう言うと、南の夜空に向けて祈るように手を合わせた。


*********************

 

 ディンス城塞に収容されていた義勇兵の数は約二千五百。その内城塞の守りとして五百をオシアに預け、残りの二千とレイモンド王子直衛の騎士数名を合わせた集団が城塞の西門から続々と吐き出されていく。装備も武装も纏まりの無い集団は、通常の西方面軍の基準で言えば正規兵とは程遠い雑兵だ。ただ、迫り来る王弟派の軍勢を前に、生まれ故郷のディンスを守るために留まった男達の士気は高い。その集団の中央に数騎の騎士を従えたレイモンド王子の姿がある。白銀の甲冑という戦装束に身を包み、並走する騎士に大振りな旗を持たせている。


 その旗こそがコルサス王国王家の秘宝「紫禁の御旗」。前王ジュリアンド亡き後、その愛妃アイナスが胎内のレイモンドと共に西方辺境伯アートン公爵の元にもたらしたコルサス王家正統の象徴だ。この旗の元にコルサス王国の直系の血を引く者が立ち、戦いを呼び掛けた時、周囲の人々は非尋常的な戦闘意欲を得ると伝わっている。


 事実、レイモンド王子自身、この旗の超常的な力に助けられたことが幾度もある。ただ、その時周囲に居たのは曲がりなりにも兵士であり騎士であった。だが、今レイモンド王子が戦いへと駆り立て導く人々は、義勇兵といっても無辜の民。そんな彼等を戦いに引き摺り込むという決断は、若く優しい王子には苦渋の選択だった。それだけに、一度選択したからには何が有っても成功させなければならない。


(思えば、生まれた時から選ぶ余地のない運命だったのだろうな)


 選択肢の有無と、それを選ぶことへの躊躇いは別の問題だ。冷徹な判断が出来ずに悩む姿を、愛おしい、と言ってくれる者もいる。そんな者達が笑って暮らせる国にするためにも、今ここで負けるわけにはいかない。迷った末に辿り着いたレイモンド王子の決心は強く心に固まっていた。


「皆、進め! 港を侵す敵を海へ叩き落とすのだ!」


 そう周囲に大音声で呼び掛けつつ、徐々に乗騎の速度を上げるレイモンド王子は、やがて集団の先頭に達した。勿論、随伴する騎士達はそんなレイモンド王子を制止しようとするが、逆に一喝を受けることになった。その上で、それらの騎士達は王子によって短く何かを言い含められると、その内一騎が今度は速度を上げて先駆けとなった。どうやら、先行してマーシュ率いる民兵団と連絡を取り合う伝令の命を受けたようだ。


 伝令として駆け出した騎士はしばらくして王子の元に戻る。そして、何事か短く言葉を交わすと、後は護衛よろしく、王子の直衛に留まる。やがてレイモンド王子を先頭にした二千の集団は港へ通じる大通りへ達した。


「皆、私に続け!」


 その合図と共に、城塞から大通りへ出た集団は大通りを右に曲がり進む。その先は港湾地区から街区へ抜ける筋通りの一つ、通称十二番筋の出口が有る場所だ。今、その場所は乱戦模様を呈した戦場になり果てていた。そこへ、レイモンド王子に率いられたディンス義勇兵が南から文字通り、突入を仕掛けた。


*********************


 マーシュ率いる民兵団は戦闘の端緒から押される状況が続いていた。士気の面では負けないつもりのマーシュだったが、敵も海を越えてやってきた四都市連合の海軍精鋭だ。士気の面では互角かそれ以上だった。


 その上数的差は防衛側が二千そこそこなのに対して、攻撃側は三千を上回る数。さらに単純な兵の質でも、正規兵の内で精鋭で知られる四都市連合海軍勢力に対して、マーシュ率いる民兵団は劣勢だった。


 辛うじて防衛線を保っているのは、入り組んだ倉庫街の地形を有効に活用しようと事前に準備したお陰であった。だが、それも、士気と練度と数に劣れば、徐々に突破されるのが道理だ。


「マーシュ団長、十二番辻が突破されそうです!」


 伝令兵の悲鳴のような報告が上がる。因みにマーシュ率いる民兵団の本隊は一番から二番筋に掛けて主力を展開している。この場所が港から一直線にディンス内部の大通りへ通じる最短経路だからだ。その一方、港から大分離れた場所にある十二、十三番筋には分遣隊を配していたが、そちらが先に突破されそうだ、という報告だった。


「何とか持ちこたえろと伝えろ!」


 我ながら芸の無い返事だと思うが仕方ない。その声を受けた伝令は悲鳴のような声を上げる。そんな伝令兵の顔をまともに見られなかったマーシュである。


 と、この時、見憶えのある騎士が飛び込んで来た。レイモンド王子直衛に回された傷痍騎士で名は確かランス。左足の膝から下が義足の老雄だ。


「王子からの伝令! マーシュ殿、状況は如何に!?」

「ランス殿か、一番筋は持っているが十二番筋がマズイ状況だ」

「承知!」

「まさか王子が?」

「そのまさかよ! 十二番筋は任されよ!」


 言いざまにその老騎士ランスは義足を意識させない手綱さばきで乗騎を操り、来た道を取って返す。その後ろ姿を見送るマーシュは、直ぐに言葉が浮かばなかった。


*********************


 レイモンド王子率いる義勇兵集団約二千は、このような伝令騎士のやり取りを経て港湾地区十二番筋へ急行した。そして、直ぐに乱戦、というよりも最早掃討戦のようになった戦場へ突入した。


 追い立てられていたのは民兵団の分遣隊。それに四都市連合の海軍陸戦兵が襲い掛かっている、という状況だった。どうも、マーシュ率いる民兵団が予測した一番筋に敵の主力がくる、という予想は四都市連合側に見通されていたようだ。結果、寡兵を割り振り、後退戦を展開する予定だった十二番筋側へ、処理しきれないほどの大軍が押し寄せだ。そのため防衛線は一気に崩壊した、というのが真相の模様。


 その勢いで寡兵を追い立てつつ、大通りを南下して一番筋を目指そうとしていた四都市連合の海軍陸戦兵集団は、突然現れた雑兵集団に驚いた様子になった。だが、直ぐに、その集団を率いる人物が王子派総大将のレイモンド王子だと分かると、


「あれは、王子派総大将レイモンド、討ち取れ!」

「かかれぇ!」


 と、凄まじい気勢を上げて攻勢を強めた。対してレイモンド王子は、


「ひるむな、迎え撃て!」


 と、こちらも負けじと大音声を発する。この夜の戦いの趨勢を決める決戦が始まろうとしていた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る